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■淹れられなくなった話

「いい天気ですね」
私はユリウスに微笑む。

窓の外は、よく晴れた空だった。
今、私はクローバーの塔にいる。
エリオットと夕飯を取って、一晩仲良く眠って。
朝が来て、私はエリオットを仕事に送り出して。
それからクローバーの塔に、珈琲を淹れに来ていた。
『色んな領地に飲み物を淹れに行く』という約束を守り続けている。

ただ……最近、その訪問先に変化が見られている。

「はい、ユリウス。珈琲ですよ。自信作なんです!」
私は前置きもそこそこに、時計屋に珈琲カップを手渡した。

ユリウスの作業場では、いつも通りに部屋の主が仕事をしている。
窓の外では、塔の雪どけ水が、ポタポタと落ちている。
そして受け取った珈琲の匂いをかいだユリウスは、仏頂面で一言放った。

「1.75点」

……下がっているとは思ったけど、まさかここまで。
過去最低点だ。前の不思議の国だって、そこまで低くはなかった。
ていうか、まだ飲んでないし!!
「ちょ、ちょっとくらい飲んでくれたって、いいじゃないですか!!」
私は珈琲のトレイを持って抗議した。ユリウスは肩を落とし、
「だがそれくらいの悪臭だ。幼児が淹れる方がまだマシだぞ?飲んでみろ」
「はあ」
私はカップを受け取り、自信作の珈琲を一口――
「っ!!」
口から吹き出し、盛大にむせこんだ。
「だから言っただろう……」
予想していたというように、床に飛んだ珈琲を冷静に拭くユリウス。
うう、ザラザラするし、湯温はひどいし、苦すぎで酸味もきっつい。
「なななな何だって、こんな石油を薄めたみたいな味になるんですか!」
「それは私が聞きたい。とにかく、もう珈琲を淹れに来なくていいからな」
ユリウスは眼鏡をかけ直し、時計を一つ手に取る。
カチャカチャと修理を始める時計屋を、私は悲しい思いで見る。
「ユリウスだけには、ずっと美味しい珈琲を淹れたかったのに……」
すると一瞬だけ、ユリウスの手が止まる。
「そんなことを真顔で言うから、三月ウサギが悋気を起こすんだ」
悋気?りんき?嫉妬って意味だっけ。
私が首を傾げていると、ユリウスは時計修理を再開する。
その横顔は、どこか寂しげに見えた。
「過ぎ去るものを無理に追おうとするな。おまえには惚れた男がいるんだろう?」
私は1.75点の珈琲を片づけながら、ユリウスにおずおずと言う。

「でも、珈琲を淹れられなくなっても、ここに来ていいですか?」
そして一瞬の沈黙の後、ユリウスは言った。

「当たり前だ」
友達の笑顔で。

…………

ナイトメアの執務室では、すごい光景が広がっていた。
「……もう一杯、頼む……ナノ……」
グレイは真っ青を通り越し、真っ白な顔でそう言った。
「グレイ!もうよせ!帰ってこられなくなるぞ!!」
ナイトメアは必死な顔で、補佐官を止めた。
「グレイ様!もうお止め下さい!俺が代わりに飲みます!!」
「いえ、犠牲になるなら俺が!!」
そして上司の代わりに尊い人柱になろうという人々。

「あの、そこまで不味くなってるなら、飲まなくていいですから、本当に……」

やっぱりココアもダメらしい。私が淹れたのは、石炭のような暗黒の色と、猛烈な
腐臭を放つ自作のココアパウダーだ。それを、ためらいなくゴミ箱に捨てる。
「い、いや……そんな、ことは、俺は、とても、おい、し……」
グレイはぶるぶる震えながら、何とか私に笑顔を作ろうとし――倒れた。
『グレイ様!!』
駆け寄ろうとする職員さんたち……が、走りかけた姿勢のまま、動きを止める。
「う……急に、ものすごく気分が悪く……」
「な、何だ?身体が……動かな……」
そして職員さん達がバタバタと倒れていく。
「何?いったい、何なんですか!?」
「ナノ!ここは危険だ!一時離脱するぞ!」
ハンカチ(吐血用)を口に当てたナイトメアが、私の腕を引っ張る。
「え?でも、グレイが、他の職員さんたちもまだ……」
「もう手遅れだ!あきらめろ!!」
私は非情な言葉に愕然とし、
「そんな!みんなを置いて、私たちだけ逃げるなんて、ナイトメア!!」
でも夢魔は私を引っ張っていく。
「グレイ!みなさーん!!」
瀕死の状態で倒れている人たちが、扉の向こうに遠ざかっていく。
「閉鎖するぞっ!!」
ナイトメアが扉を閉める寸前――私が最後に見たとき、ゴミ箱の中から、禍々しい
猛毒の煙が立ちのぼるのが見えた。私がココアパウダーを捨てたゴミ箱の中から。

…………

瘴気にまみれた執務室を閉鎖した後、私とナイトメアは談話室に来た。
私の方は、厨房をちょっとお借りして作った、ニンジンジュースを持参していた。
「いやー、落ち続けてますね。私の飲み物スキル」
正座し、手製のニンジンジュースを飲みながら、首をかしげる。
私の作ったジュースを受け取ったナイトメアは、
「これは……ふむ。普通の味だな。いや、むしろ美味い……美味い!!」
恐る恐るニンジンジュースに口をつけたナイトメア。
最初、ニンジンというだけで警戒気味だったけど、味が気に入ったのか、ごくごくと
一気に飲み干してくれた。
「美味い!こんなに美味しいニンジンジュースは初めてだ!!」
「えへへ。そうですか?」
私は照れながら、瓶から二杯目をナイトメアにつぐ。
しかし夢魔はすぐには飲まず、オレンジ色のジュースを真剣に眺め、言った。

「つまり君は、ニンジン作りやニンジン料理作りの腕が上がるのと同時に、紅茶や
珈琲の腕が落ちていったんだな?」
「ええ。いきなりではないのですが、徐々に」
私はのどごしさわやかなニンジンジュースを飲み、肯定する。
まあニンジンに情熱を注ぐことで、飲み物の腕が落ちることは予測していた。
ただ落ち方が予想外だ。単にマズイだけならいいけど、最近は毒性まで帯びてきた。
あんまり危険なので、帽子屋屋敷では、私に紅茶禁止令が出されているほど。

「遊園地やサーカスでは、ニンジンジューススタンドを出さないかって、すごく
薦められましたね。でもニンジンジュース以外のものは絶対売るなって」
「だろうな。これは売り物になる味だよ……これ『だけ』は」
ナイトメアは微妙に引っかかる言い方をし、うなずいた。
「でもそちらはまだ良い方です。ハートの城からはついに出入り禁止を言い渡され
ちゃいましたし」
「……何をしたんだ、君は」
「ええと……ペーターとキングさんと、エースの部下さん達を一網打尽にしちゃい
ましたので。エリオットやブラッドには、すごくほめられましたが」
毒を盛ったつもりじゃないだけに、とても複雑だった。
「一網打尽って……?いや、いい!やっぱり説明しなくていい!!」
説明しようとする私を遮り、汗をかきながらナイトメアは言った。

「つまりアレか。君はニンジンに関する能力を極限、いやそれ以上まで上げた。
代償として、それまで蓄積した、嗜好飲料の技術と知識が完全に失われたと」

私はうなずく。二つの能力を両立させられるほど器用じゃない。

「もうニンジンに関すること以外、何も出来ないんですよね」
それは本当に文字通り。計算もお屋敷の掃除も、メイドの最低限の仕事も出来ない。
しかも三月ウサギはたいそう嫉妬深いので、ペーターに差し入れも出来やしない。
エリオットに全力でニンジンを捧げ続け、時間をやり過ごしている。

「それでも君は、その知識を貪欲に求め、極めている。
そして喜ばれている。それはとても良いことだ。それだけで十分じゃないか」
心を読んだナイトメアが言う。私は最後のニンジンジュースをつぎながら言う。
「それってオタクですよ。私は記憶喪失だけど、実は単なるオタクだったんですね」
実はドラマチックな過去が、というRPG展開は、どうやら期待出来そうにない。
とことん平凡、いえ平凡以下だなあ、自分。
すると心を読んだ夢魔は笑う。
「いいや、君は天才だよ。1%の才能を99%の努力で無限に伸ばしている」
「はいはい、どうも。私、もう行きますよ、ナイトメア」
戯れ言を聞くのもアホらしくなり、私は椅子から立ち上がった。
「いい加減、執務室を換気して、グレイたちを起こしてあげて下さいね」
振り返ると、ナイトメアはまだ笑っていた。

「愛の力は偉大だな。君に全力で惚れられた三月ウサギが、本当にうらやましいよ」

……馬鹿馬鹿しい。

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