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■サーカスへ・下

……誰かが頭を撫でてくれる。少し乱暴だけど、とても優しい手。
「ナノ」
名前を呼ばれたけど、私は甘いまどろみに沈んでいる。
「ナノ……」
「…………」
「馬鹿ナノ」
「ええっ!?」
驚愕して目を開けると、そこは監獄だった。

「…………」
私は玩具に混じって監獄の床に横たわっていた。
そしてかたわらには、鞭を構えて私を見下ろすジョーカー。嬉しそうに笑い、
「やあ、ナノ。最近は本当によく会いに来てくれるね」
私は横になったまま、ジョーカーの薄笑いを見上げた。
そしてそのまま腕組みし、ポツリと呟いた。
「ある朝、ナノが何か気がかりな夢から目を覚ますと、自分が一匹の巨大なウサギ
に変わっているのを発見した」
「……巨大なウサギなら、一匹じゃなく、一頭の方が適切なんじゃないかい?」
ツッコミそこ!?芸風を変えようなど、ジョーカーのくせに無駄な努力を!やはり
『不思議の国の長いトンネルを抜けるとそこは監獄であった』の方が良かったかな。

ともかく監獄にやってきた。
私は仰向けのまま、じりじりと自分の牢獄の方向へ進む。
仰向けなのは、足をケガしているため。
「……せめてうつぶせになろうと努力したら?あと、髪が汚れるよ?」
「うおっ!」
普通に歩いてきたジョーカーが、私の進行方向に立つ。
彼のブーツに頭がごっすんとぶつかり、私は仰向けの亀状態でもぞもぞあがく。
「ほらほら、頑張ったら?ウサギさん」
今回、有利なジョーカーは、ブーツのつま先でちょいちょいと私の頭をいじる。
この!髪が汚れるって言ったの、誰だ!
「お、おのれ、権力乱用の所長め!!」
悔しくて仰向けでジタバタしていると、ふいにジョーカーの顔が近くなる。
ギョッとしたけど、どうやら、しゃがんだらしい。
「そうだ。いい加減にサーカスは来てくれるのかい?」
「へ?サーカス?」
きょとんとして見上げる。ジョーカーは私の前髪をいじりながら、
「そ。もう一人のジョーカーがやってるはずだけど、一回も来てくれないじゃない」
「な、何ですってーっ!?」
……しかも、もう何回かやってたらしい。誰か教えてくれたっていいじゃない!!
いえ、それどころじゃなかったか。最近、どうもゴタゴタしすぎてて。
「今回もひねりにひねった演目ばっかりなんだよ?
『ふわふわもこもこ羊の行進』とか『蛇がにょろにょろ大作戦』とか」
「あなたが、その顔でそのネーミングを言うと実に気色悪いですね」
「…………」
い、痛い痛い!前髪を引っ張るなっつの!
「君、ここに来ると、××が倍増しにならない?」
「いえいえいえ。ここは私の場所ですからして」
ちょっ!前髪でちょうちょ結びしようとするなっ!!
手をバタバタさせ、どうにか乙女の前髪を守り抜き、ジョーカーを見上げる。
「別にいいですよ。サーカスなら、一回だけ最高のものを見たことがありますから」
「…………」
ジョーカーがフッと笑顔を消した。私も、もう一人のジョーカーを思い出す。
「あなたの相棒はどうしたんですか?私がここにいるって言うのに」
「さあね。あいつもサーカスが忙しいからさ」
「ふうん」
私は手をのばし、逆さまのジョーカーの頬に触れる。ジョーカーは不思議そうに、
「三月ウサギは怖いけど、俺のことは怖くないんだ?」
「ええ。ジョーカーはエリオットと違って小物ですから」
「…………」
痛い痛い痛い!!前髪の固結びだけは止めて!!
「で、ですから、か、監獄では上手くやれると思うんですよね」
どうにか妨害し、涙目でジョーカーを見上げる。
ジョーカーはぐりぐりと、こぶしで私の頭をいたぶりながら、
「そうだね。君は、あんなちっぽけなものがあるから、ここを離れられない」
と、ジョーカーはチラッと牢獄の中を見る。
そして、しゃがんだまま頬杖をついた。
「アレがある限り、ずっと俺に会いに来てくれる……」
牢の中は、もうほとんどの物が消えていた。

あるのはたった一つ。玉露の袋だけ。

あきらめきれない私は、何とかジョーカーを回避し、牢に近づこうとした。
「おっと!」
私で遊ぶジョーカーは、手や足で進行を邪魔する。
「おのれ!ジョーカーの分際で!」
「ナノこそ!」
いつの間にか、陰鬱な監獄に明るい笑い声が響いていた。

…………

…………

――何か、楽しい夢を見ていたような。

あれは楽しい夢であっちゃいけない気がする。
でも確かに楽しい夢だった。

――ダメダメですねえ……。

覚えてもいない夢で、勝手に落ち込む私ナノ。
「…………」
で、まあ現実に戻ればオレンジの世界だった。
私は今、エリオットのベッドに横たわっている。
そして床にはハロウィンのスイーツだの、アクセだの、高価なドレスだの、その他、
意味不明な贈り物だのが、乱雑に転がっていた。
リボンをつけた未開封のものも多く、床のかなりの割合を占拠している。
ちなみに私は……ええと下着姿です。
片足は包帯でぐるぐる巻きです。でも動かさなければ、そこまで痛くはありません。
どうやら赤の量の割に傷は浅く、もちろん大事な動脈も無事でした。
帽子屋屋敷での処置が適切だったこともあり、回復が早かったのです。
とはいえ、療養期間もあって、サーカスを何度か逃したんだろう。

――サーカス……?

ふと頭に浮かんだ言葉に首をかしげる。
すごくすごく大事な言葉だった気もするんだけど、どうも思い出せない。
そして首をかしげていると、部屋の扉が開いた。

現れたのは、もちろん私の支配者たる三月ウサギ。
度重なる私の浮気と裏切り(という思い込み)に、もう分かりあう努力を放棄し、
最近は一方的に好き勝手してくる。
「ナノ……」
「エリオット……」
うわ、ちょっとお酒臭い。片手には半分空いたワインの瓶が握られている。
ていうかあのラベル……ニンジン?ワインなのにニンジン?パチモンでしょ、それ。
「ナノ……」
フラフラとこちらに近寄るエリオットは、案の定、悪酔いをしているらしい。
そしてサイドテーブルにゴトッと、ワインを乱暴に置くと、為すすべなく、ベッドで
待つ私に覆いかぶさった。
「……っ!」
押し倒される際、大きな身体が私の足に触れ、私は顔をしかめる。
でもエリオットは気にしないらしい。
「ん……」
こちらのあごを持ち上げ、キスをする。うう、息が酒臭いよう。
最近、酒量が増えていないか、このウサギ。
「ちょっと、エリオット……まだ昼間ですよ……」
下着の中に手が入り込み、今さら感はあるけど、いちおう抗議しておいた。
「黙れ」
でも突っぱねる私の手はあっさりはらわれ、逆に身体をまさぐられる。
こちらの意思はお構いなしに、下着を下ろし、肌に手を這わせてきた。
「エリオット……や……」
首を振るけど無視される。胸を大きな手が愛撫し、酒臭い息で気分が悪い。
「ねえエリオット、あの、私、サーカスに行きたいんですが……」
聞いてないだろうなと思いつつ、いちおう言ってみる。
でもエリオットは私の足に口づけながら、
「好きだ……」
やっぱり聞いてねえ。
「ん……や……」
そして手が下の茂みの中をまさぐり、じわじわといやらしい感情がこみ上げてくる。
「ねえ……エリオット。私、サーカスに……」
「ナノ……」
「ん……」
かき回す水音に、言葉が飲み込まれていく。
私は潤んだ目をぬぐい、無視される悲しさをため息で流した。

もう私たちはダメなんだろうか。
エリオットは私を、二度と信用してくれないんだろうか。

『助ける』『逃げてこい』と助力を申し出てくれた、たくさんの友達の顔が浮かぶ。
……しかし外に出なければ、そもそも助力を請うどころではない。
足を負傷し、この部屋でさえ、出るのが難しい状況だ。ブラッドや双子は、今も私が
毅然と対処し、エリオットと交渉中だと思っているんだろう。
本物の馬鹿ですか、私は。

――サーカスに行きたいですねえ……。

深みを増す愛撫を受けながら現実逃避をする。
でも行きたい場所は、もしかしたらサーカスじゃないのかもしれない。

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