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■戻らない時間

あれから、また少し時間帯が経過した。
ガチャッと音がして、扉が開く。
「ユリウス、おかえりなさい。珈琲が出来てますよ」

私は椅子に座り、微笑んで珈琲を差し出した。
「ああ」
ユリウスは素っ気なく受け取り、一口飲むと、
「96.74点」
「……点数の内訳は?」
「湯温10点、焙煎9.5点、香味8.25点、渋味7.89点……」
以下略。あなた、フィギュアスケートの審査員か何かか。

やがてユリウスは珈琲を飲み終わる。
そして、カップを私に返すと、私に手で『どけ』と素振りをする。
「はいな」
と、私も椅子から降りて、ヨタヨタとユリウスの作業スペースを空ける。
まだ足は治療中なのだ。
ユリウスはそのまま私に声をかけず、椅子に座り、眼鏡をかける。
そして、超精密ドライバーを手に取り、一つ目の時計を修理し始めた。
「…………」
私は別の椅子に座り、それを微笑んで見つめた。
ユリウスのそばは居心地が良い。
ここにいて良いとは言わないけど、出て行けとも言わない。
外で何が起こっているか、私に教えて不安がらせることもない。
ありのままに受け入れてくれる。

時計を修理するユリウス、珈琲を作る自分。
何も必要としない、されない静かな時間。
私はこれをずっと、ずっと望んで……。

ニンジン色の髪が脳裏をかすめる。
脇腹を押さえ、危険だから近寄るな、と私を守ろうとした姿がよぎった。

「――っ!」
私はバッと立ち上がり、
「い、痛……」
足の傷が痛くて、また椅子に戻る。
そのときユリウスの手が一瞬だけ止まった気がした。
「…………」
でもすぐに作業は再開される。私に声が、かかることはない。
その不干渉にホッとするし、どこか物足りなさも感じる。
……て、さすがに手前勝手かな。

――外はどうなってるんでしょうか……。
エリオットはまた荒れてないだろうか。ディーとダムは心配してないか。
ブラッドは……もうフラフラする私を見限っただろうか。
「おい」
「え?はい!珈琲のおかわりですか!?」
ユリウスに声をかけられ、ビシッと背筋を正すけど、
「貧乏ゆすりはやめろ。みっともないし、集中出来ない」
「あ、はい。すみません」
いつの間にか身体を揺すっていたらしい。
注意されたこともあり、私は椅子に座り直し、静かな時間に集中しようとした。

――ハロウィンの飾りつけ、もう終わってるんですかね。
ハロウィンのこと、季節のこと、お茶会のこと。
考えるのは帽子屋屋敷のことばかりだ。
窓の外は夕暮れの空だ。
雪も上がり、ニンジン色の雲の向こうに、訪れない夜の切れ端が見える。
いつか見た夕日と山頂の風景が目に浮かぶ。
――エリオット。
『怖がらせたくない』と、私を連れて山に登った。その後で、すぐ私を怖がらせた。
怖いけど優しい、優しいけど怖いウサギ。そしてマフィアの2。
私は彼に寄りそうには臆病すぎる。
――エリオット……。
でも胸が痛い。考えれば考えるほど、どうして心がいっぱいになるんだろう。
夢にまで見たユリウスのそばにいるのに。

『ナノっ!!』

エリオットの声が浮かぶ。こちらに走ってくる大きな影、
私を呼ぶ笑い声、太陽のような笑顔、抱き上げてくれた腕、かすかに揺れる麦の穂。

胸が痛い。すごく痛い。何でエリオットのことばかり考えてしまうんだろう。
「……?」
そのとき、目の下に、何かが触れた気がして目を開けた。

「へ?」
いつ席を立ったのか、ユリウスが目の前にいた。
「……ユリウス」
「…………人の真横でグズグズ泣くな。これなら貧乏ゆすりの方がまだマシだ」
「――っ!」
そう言われて、自分がいつの間にかボロボロ涙をこぼしていたことに気づいた。
「あ、あ、ご、ごめんなさい!!」
あわてて謝るけど、ユリウスは、服のそでで乱暴に私の涙を拭く。
そしてそのまま扉の方に向かい、
「用事が出来た」
「あ……」
呼び止める間もなく、目の前で扉が閉まった。
後には呆然とした私が残された。

一見、冷静沈着に見えるけど、あの背中は……激しく動揺していましたね。
でも私に出て行けと言えず、自分が席を外すことにしたんだろう。
「ああ〜〜」
マズイ……この上ないほどにユリウスの邪魔をしてしまった。
ガックリと肩を落とし、頭を抱える。今さら自分の芯の無さを嘆いても仕方ないけど
ユリウスに迷惑をかけたのは大失点だ。ユリウスだって困ってるだろう。
せっかく助けてやったのに、ベッドを占領してゴロゴロされるわ、隣で泣かれるわ。
でも助けた立場上か、あまり文句を言ってこない。
エリオットとのことについても、何か意見や提案をするワケでもない。
親しくないがゆえの、不干渉と、ある種の突き放し。
警戒の源は、私がエリオットの女というあたりにあるんだろうか。
……それが、寂しい。

――時間は戻らない。

戻ることもある。でも不思議の国で過ごした時間は戻らない。
かつて私が懐いたユリウスにはもう会えない。
この世界のユリウスはユリウスで、変わらずに物静かで優しく、そして違う人だ。
「……ユリウス、ユリウス……っ」
私は今、自分の選んだ世界にいる。ここで生きていくしかない。
居心地のいい場所には戻れない。

私は誰もいない部屋で、一人、顔をおおって涙を流した。

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