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■涙

監獄の中を見て、私は腕組みしてうなずいた。
「うん、少しスッキリしましたかね」
とりあえずニンジンの量は半分程度になった。
畑の作物や問題集、他にも結構、消えているものがある。
でも、手作りの砂時計が寂しげに転がったまま。
小さなものなのに、それがなぜか目に入る。
いったいどこで見て、どこで見失ったか。全く思い出せないものなのに。

「この世界の時計屋と、前の世界の時計屋は違う人間だ」

後ろから意地悪な声がする。
「君は余所者だから、知り合うほどに親しくなることは出来るだろう。
けど、それでも前の世界の彼と同じ関係にはなれない。
君が脱獄囚の女であるがゆえに、永久に一線を引いた関係だ」
何か。好感度が一定値以上、上昇しないって言いたいんですか?
「……分かってますよ」
「本当に?前の不思議の国のことは、元の世界同様、戻れない場所だ。
君がそう割り切ろうとしても、君の中の一部がそれを納得出来ていない」
私の肩に手をかける監獄の所長、ジョーカーは、意地悪く笑う。
「だからここに来てしまう。
お気に入りの玉露と『あれ』だけが前の国から持ってきたものだから」
玉露はともかく『あれ』とは何なんだろう。物が多すぎてどれだか分からない。
目の端に移る砂時計は見ないようにする。
「ジョーカー。あなたはなんで私のことを知ってるんですか?」
この世界のジョーカーのくせに。と、にらみつけると、
「俺が君のジョーカーだからだよ」
続きを待った。けど、それ以上の答えは返らなかった。
「私、もう行きますね。最初は入るつもりだったけど、やっぱり入らないですよ」
私はそう言って、歩き出す。
でも後ろから笑い声が、嫌でも聞こえた。

…………

「何だか妙な夢を見ましたねー」
部屋のベッドにゴロゴロ転がって言う。
エリオットは床に座って、私に笑いかける。
床には服飾店の包装箱が複数、置かれていた。
いかにもブランド物という高そうなものばかりだ。
「まあ、疲れてるときはそんなもんだ。
それより、このドレスとこっちのドレス、あとこれ。どれがいい?」
と、高そうな箱をバリバリ破き、ハロウィン用のドレスを見せてくれた。
私はチラッと見ただけで後は天井を眺め、
「はあ、うーん、どれも素敵ですねえ。選べないなあ」
「おまえ、見てねえだろ。真剣に選べよ。
ナノに合うドレスをって、ずーっと悩んで特注にしたんだぜ?」
確かに生地といい、デザインといい、何とかコレクションに出られそうな素晴らしい
ドレスばかりだ……ただし全てのドレスが豪快なニンジン色なのですが。
そして私はまたゴロンと転がりエリオットを見る。
ちょっと垂れていた耳が、私の視線を受けてピンと立った。
……何だかなあ。

どうすれば対等の関係になれるんだろう。
軽い悪さや、ちょっとした軽口は全然OKらしい。
他の領土に行くことについても、条件付きで許可が出た。
けど、それで目標が達成されたことになるんだろうか。
いや許可が必要ということ自体が変で。でもエリオットはこのお屋敷の2であって
私には一応、屋敷の住人として彼に従う義務が……。
「……ワケ分からないです」
早くも考えるのが面倒になり、頭を抱える。
するとエリオットはドレスを置いて立ち上がり、私のそばにギシッと座った。
そして上から優しく頭を撫でる。
「なあ。頭が悪いのに難しく考えるなよ」
あなたに言われたくないわっ!!
「だから、もういいじゃねえか。俺をからかって、好き勝手して。これで満足しただろう?」
まるで子どもをなだめるように言う。

「だから時計屋に会おうなんて、二度と考えるな」

これ以上にない冷ややかな声だった。
私の背筋を凍らせるくらいに厳しい、容赦のない声色。
やっぱり、こっそりユリウスに会いに行ってたのはバレてたんだ。

「時計野郎は俺の宿敵だ。絶対に許さねえ……」

胸が痛い。

「でも多分、また会いに行っちゃうと思うんです……」
エリオットを見上げ、そう言う。ユリウスには私を惹きつける何かがある。
でもそれは恋とか愛とか、そういうものじゃない。
「帽子屋屋敷の情報は絶対に流さないし、ただ会って話をしたいだけで……」
「…………」
エリオットは無言だった。

そしていつ取り出したのか、私の額に銃を突きつける。

「ナノ。おまえは時計屋に惚れたのか?」
「違います!」
「なら、何で自分からあいつに近づくんだ!!」
怒鳴られ、ビクッとして身を縮める。そんな私を見て、
「おいおい、俺を怖がるのは止めにするんじゃなかったのか?」
嘲るような声がする。
いつかエリオットが追い払ってくれた彼への恐怖。
それは彼自身によって、また私の中に戻って来てしまった。
「無理なんだ、ナノ。俺はまだおまえを信じられないし、おまえが他の男に会う
ことが我慢ならねえんだ。おまえだって、どれだけ大口を叩いたところで、いざ俺に
銃を突きつけられれば、俺に怯える」
「だって……だって……」
冷たい汗がダラダラとこぼれる。

「やっぱり甘やかすのは止めだ。二度と時計屋には会うな。他の領土にも行くな」

三月ウサギは考えずに撃つ。三秒も保たない。
「ナノ、返事はどうした!!」
「え、え、エリオット……ご、ごめんなさい。他の領土には行きません。
ユリウス……時計屋にも、もう絶対に会いません!!」
そう言ってしまった。
最後まで抵抗しなければいけないと分かっていたのに。
そして三月ウサギが満足そうに言う。

「……ああ。やっぱり、こっちの方が楽だ」

そう言って、銃口を私から離す。そして哀れみをこめた目で私を見た。
「もう止めようぜ、ナノ。やっぱりおまえは、何も考えずに俺だけに従ってろ。
それが、おまえにとって一番、幸せなことなんだ」

「そんなことないです、そんなこと……」
必死に否定するけど、私を見下ろすエリオットは、
「な、次の休みには、ワインの試飲会に行こうぜ。
弁当持って、二人で紅葉狩りも悪くねえな。美術館は興味あるか?」
「エリオット、私は……!」
「ああ、その前にサーカスか?楽しみだな」
もう彼は私の話を聞いていない。
ただ、私の頭を撫でる。言葉は優しく、反抗は許さないと見すえたまま。
そしてこんな扱いを受ける私も、エリオットを嫌いになれない。
「ナノ、愛してる……」
エリオットがキスをして、私をベッドに押し倒す。
「私も……私も、です」
涙があふれる。
そしてエリオットは私の服のボタンを外し、愛撫を始める。
私は反応を始める自分を浅ましく思いながら、応えて声を上げた。

涙だけが、尽きることなくあふれてはベッドに染みこんでいった。

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