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■怖くないだろ?


テントの中には、か細いランタンがかけられているだけ。
外は真っ暗闇の山の中だ。
「エリオット……」
暖かいなあ。ウサギさんをギューッと抱きしめる。
「ナノ、苦しいだろ、止めろよ」
しばしば私を抱きつぶしかける恋人が、苦笑してこちらの頭を撫でる。

意外にも上手に張られたテントの中。
帽子模様の携帯寝具に包まれ、私は目をパッチリ開けていた。
インドアの身だと、枕が違ってるだけで寝づらいし、人里離れてることもあって、
何となく心細い。どこぞの騎士は、よくこんなことを日常に出来るもんだ。
で、私はついつい、頼れるウサギさんにすがる。
「ん……んん……」
そんな私を抱きしめ返しながら、エリオットは先にウトウトしてきたらしい。
それに気づいた私はギョッとして起き上がり、
「エリオット!先に寝ないで下さいよ!ねえ起きて!
何かお話しましょうよ!エリオット!」
必死に揺さぶるけど、エリオットはすでに寝息を立てていた。
「あうう……」
私はあきらめて、エリオットの腕の中に戻る。
「ナノ……」
「…………」
寝入っているのに、私が戻るとギュッと抱きしめてくれる温かい腕。
「ん……」
暖かい毛布にウサギさんの大きな腕。
努力のかい(?)あって、少しずつウトウトしてくる。
何十時間帯も経ったわけじゃないのに、屋敷が懐かしい。
けど、いくら季節到来だからって、エリオットはどうしたんだろう。
これだけ長期の休憩を取るのも楽じゃ無かっただろうに、苦労して下山したら、また
休み無しで仕事に奔走するハメになる。
私を喜ばせようと思っているのなら、疲れ果てた私を目にした時点で頓挫するはず。

――本当、何だって山なんですかね。はた迷惑な……。

早く下山したい。それしか思えなかった。

…………

…………

夕方の時間帯だった。
「もう、足が痛くて一歩も、歩けないです……」
山頂付近で、私はついに限界が来た。岩陰でぐったりして、足を投げ出す。
「エリオット……私はもうダメです……どうか私の墓標の前で泣かないで下さい。
そこに私はいません。だいたい五百くらいの風になって、あの天空を吹き渡り……」
「ただの靴ずれで、何言ってるんだ、馬鹿」
私の前にしゃがんで靴と靴下を脱がせたエリオットが、私の頭をはたく。
「あたっ」
「ていうか、何なんだよ、その中途半端な数の風は」
靴ずれの上から包帯を巻いてくれるエリオット。私はキッパリと、
「ヘクトパスカルの数量です。千の×、すなわち千ヘクトパスカルですと普通に
台風でして、朝晩問わずそこらへんを勝手に吹き回られると壮絶に迷惑です。
ゆえに控えめな数量にさせていただきました」
「……叩きすぎて馬鹿がひどくなったか?」
私の目の前でチラチラと指を振るエリオット。
『馬鹿がひどくなった』って、それ、デフォルト状態で馬鹿ということでは。
……と思いながら何となく指を目で追っていると、
「ま、いいか。頂上まで、あと少しだしな」
私にまた靴をはかせ、登山重装備なエリオットが立ち上がる。
出発ですか。でもいくら処置されたとはいえ、短い距離もかなりキツイ。
「じゃ、私はここで待ってますね」
私が座ったまんまエリオットにヒラヒラと手を振る。
すると、エリオットは私の前にかがみ、
「……よっと」
次の瞬間、視界が変わる。
「へ?わっ!」
なぜか足場が消失し、グラッとして、目の前の肩にあわててしがみつく。
するとエリオットが大きな手で肩をつかむ私の手首を握り、
「しっかりつかまってろよ」
エリオットはそう言って歩き出す。
「は?」
私はよく分からないで呆けた返答をする。

……えーと、おんぶされてます。おんぶというか、私を前から担ぎ上げて、猫でも
乗っけるみたいに自分のリュックの上に乗せた。で、グラついて慌ててしがみついた
私の手をつかんで固定完了。
分かりにくいけど、つまりまあ、重装備の背中におんぶされてるわけで。
えーと……。

「……ちょ、え、エリオット!!危険!重すぎです!!止めて!本当にあなたが
危ないですから!!歩きます!靴ずれくらい大丈夫ですから!!」
歩いておんぶされながら、大慌てだった。
いくらマフィアの2といえど、後で全身が恐ろしいことになるのでは!
ていうか別の意味でも危険だ!傾斜のある登山道で転んだりされたら二人とも……!
「落としたりしねえよ」
「!!」
下から聞こえたのは、いつも通りの落ちついた声。
歩調を変えずに進む靴音。
私はなぜかそれ以上言えず、エリオットに黙っておんぶされていた。

…………
そして、やっとたどりつく。
時間帯はやはり夕暮れで、長い影が岩肌に落ちていた。
「頂上だ。いい景色だろ?」
「…………!」
本当だ。そこはもう登る場所のない地点だった。

「うわあ……」
見えるのは山ばかり。風が強い。少し肌寒いけど空気は清涼だ。
「…………」
急に怖くなって、私は強い風に髪をなびかせ、エリオットにじっとしがみつく。
ううう、ウサギさんの耳までびゅうびゅう揺れている。怖いよう。
「え、エリオット、何で私をここまで連れてきたんですか?」
何となく口から出た。すると、
「ん?ここなら、おまえも俺が怖くないかなって思って」

「……は?」
言われている意味がよく分からず、聞き返す。
おんぶされていて、エリオットの表情は見えない。
「おまえは俺がマフィアで怖いって、前に言ったよな」
「……ええ」
「でも俺はブラッドの部下を止める気はねえ。だからマフィアを止めず、どうやって
おまえを怖がらせないように出来るか考えたんだ」
意味がよく分からない。
「ここなら、俺が怖くないだろ?部下はいないし、周りは山だらけで、帽子屋屋敷の
ことを知ってる奴もいない。俺は山を登って、おまえを抱えて、力も多少弱ってる」
――えーと、多少なんだ。
「俺だって、そばにはおまえだけで、だから、おまえが逃げたりする心配をしなくて
いい。そばにいないからって、イライラして怖がらせることもない」
そして少し寂しそうな声が、

「おまえには……俺の姿が見えない」

目の前には少し垂れたウサギさんの耳。

私の手を支える力が強くなる。最後に緊張でうわずった声が、

「だから、俺が、怖くないだろ?」

私は答えあぐねた。
その瞬間に、夕方の時間帯が昼に変わった。
「――っ!」
夜明けにも似た夕暮れが昼に転じる。その一瞬は、まるで夜明けみたいだった。
私は山頂から世界を見下ろし、夜明けを見る。
標高が高く、空が近い。雲は下を流れていく。
山頂は木々が消え、高山植物が小さな花を咲かせている。
ライチョウが草むらから飛び立ち、それを狙っていたらしい猛禽類が大きな翼を広げ
どこかへとんでいく。そして山の峰に雄々しくコダマするオオカミの遠吠え。
物騒な街は遠く、どこまでも果てしない。

世界で一番高い場所から見下ろせば、不思議の国はこんなにもちっぽけだ。
なのに自分を脅かすだけだと思っていた不思議の国が、ずっと美しく見えた。
そこでふと思う。

――あれ……?私、本当に何を怖がってたんだっけ……?

「ナノ?」

――エリオット……!

そのとき、なぜそのときなのか分からない。

でも確かにそのとき、何かが自分の中で、はじけた気がした。

五感がより鮮明に、色づいていた世界がさらに色鮮やかになる。
「なあ、怖くないだろ?」
心配そうなエリオットの声に、私は息が出来ないくらいの感覚にめまいがして、
何も応えられなかった。

怖くないエリオットは……エリオットは……私の……


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