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■帽子屋屋敷への帰還

「もう少しだぜ、ナノ」
「ええ。エリオット」
私たち二人は帽子屋屋敷に帰る。私は新品の服を着て、手ぶらで。
三月ウサギは歌を歌い、私の手をつないで。もしかすると、逃げないように捕まえて
いるのかもしれない……なーんて、考えすぎですかね。
でも彼の手は大きくて強くて、私ではとてもふりほどけない。
「…………」
チラッと振り返ると、森の木々の向こうに巨大なクローバーの塔が見えた。
――グレイ……。
エリオットの目もあり、塔を出る最後までお礼を言う機会が無かった。
いろんな領土に飲み物を淹れに行く、という約束だからまた会える。
でも、帰る前にちゃんとお詫びとお礼を言いたかった。

「ナノ」
「っ!」
少し低い声がして我に返る。エリオットが足を止めて、私を見下ろしていた。
さっきまでの陽気さが、嘘のように無表情だ。
「分かってると思うけどな。また逃げようとしたら……」
声にも顔にも一切の感情が見えない。
「逃げませんよ。誓約したでしょう?私はいつまでもずっと、あなたの物です」
つとめて愛想よく言った……つもりだ。
「そっか。分かってるならいいんだ」
エリオットがつないでいない方の手で、私の頭を撫でる。
そしてかがんで軽くキスをした。そして、その口で私の頬をそっとたどり、耳元で、
「次に逃げたら、今度こそ俺は何をするか分からねえ」
……対抗勢力にことごとく大打撃を与え、無関係な顔なしさんを無差別に××し、
果ては仲間のピアスたちにまで当たりまくったという。あれ以上の何をすると。
……考えないでおこう。
「愛してます、エリオット」
笑顔で言った。
「俺も愛してる、ナノ」
エリオットの声が少し明るくなる。そして、もう一度顔を近づけてくる。
私は目を閉じた。視界が無い世界にただ一つ、優しい唇の感触。
そして闇の中から声がする。

「……笑顔で嘘をつくところも含めて、な」

「っ!」
心臓が止まったかと思った。目を開けたけど、三月ウサギはもう顔を離していた。
「…………」
『愛している』と言ったことを疑われたんだろうか。でも私の嘘は、顔なしを装った
ことも含め、いくつもある。そこらへんに当てつけたのかもしれない。でも……。
「さ、帰ろうぜ。ナノ」
深く考える前に、エリオットが私の手を握り直し、歩き出した。
「あ、はい」
前のめりになりそうになりながら、ついていく。
私の耳に、三月ウサギの陽気な歌が再び聞こえた。
でも、その表情は見えない。

…………

見覚えのある道を通り、懐かしの帽子屋屋敷にたどり着いた。
門のところでは、使用人さん達が出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ〜」
「おかえりなさいませ〜エリオット様〜」
久しぶりに聞くダルそうな声、声、声。
彼らは、嘘をついたり迷惑をかけたりした私にも、親しげな笑顔を向けてくれた。
「おかえり、ナノ〜。お疲れ様〜」
「お疲れ様〜、ナノ〜」
「ナノ、久しぶり〜、お疲れ様〜」
――なぜ私にだけ『お疲れ様』をつける……。
でも余所者とバレても、距離を変えずにいてくれてホッとした。
これでコロッと丁寧語になったり『お嬢様』と呼ばれたりしたら違和感ありすぎる。

「ナノ!おかえり!」
「これからは屋敷でいつでも会えるんだね、ナノ!」
使用人さん達をかき分け、走ってきたのは大きいバージョンの双子。
「近づくんじゃねえよ!」
双子がたどりつく前に、エリオットが私の前に立ち、何やら怒鳴る。
「あいさつぐらいイイだろ?ひよこウサギ」
「束縛が強いとまた逃げられるよ?馬鹿ウサギ」
「うるせえ!」
えーと、ガンガンと、何かをぶっ放す音。私は背を向けて、青空を見上げる。
漫才にも似た、双子とエリオットの応酬。
巻き添えになる前にと使用人さん達がクモの子を散らすように退散する足音。
――帰ってきたんですねえ。

…………
エリオットは扉を開け、私に笑顔で言う。
「ここが、俺の部屋だ!」
「お邪魔します」
頭を下げて中に入ると、背中を叩かれた。
「ぐはっ!」
女の子らしからぬ声が出る。お、横隔膜が!
エリオットは爽快に笑い、
「何、他人行儀になってんだよ!これからずっとここで暮らすんだ。遠慮すんな!」
「はあ、さいですか……」
『エリオットの部屋』自体は前にいた不思議の国で見たことがある。
今は、記憶通りの内装に加え、私のものらしき新しい家具や服がいくつか見えた。
懐かしさと新鮮さが半々だ。私はテーブルの上のバスケットに入っていたバゲットを
ヒョイと取り、キョロキョロと部屋を歩き回る。
「……食い物については、ちょっと遠慮してくれ」
「はいです」
もぐもぐ。美味しいですねえ〜、このニンジンバゲット。
「おー」
食器棚を見つけた。私はティーセットに目を輝かせる。
用意された茶葉を確かめ、ヤカンを見つけ、それをいそいそと水道に持って行く。
ヤカンをこの世界のコンロにかけ、湯が沸騰するまでにとクオリティ・シーズンのヌワラエリアをティーポットに。
ティーカップをトレイに準備。戸棚から勝手にニンジンクッキーも出したりして。
エリオットはソファで足を組み、目を細めて、動き回る私を見ていた。

沸騰したヤカンをコンロから下ろし、ポットに注ぎながら思う。
――……便利ですねえ。
ふと丸太小屋が懐かしくなる。最初は川の水を湧かしていた場所だ。
今はさらに改良され、水道も整備され風呂までついたと聞く。
でも、あそこにはもう住まない。基本的に別荘扱いだ。
荒れ地から開墾した畑も更地に戻してもらった。
これからの生活を考えれば、とても畑の管理にまで手が回らないからだ。

顔なしとして一から築いた生活が『余所者』とバレて、崩れてしまった。

勝手に愛され、意思を無視され連れ戻され、閉じ込められる。
銃弾飛び交う世界ゆえに。
でも今もこれからも、自分なりに頑張って生きていかないと。

「おっと」
マズいマズい。タイミングを逃すところだった。
湯気を立てる鮮やかなニンジン色の紅茶をカップに注ぐ。
お皿に盛ったニンジンクッキーと紅茶。私は振り向く。
「エリオット。紅茶が出来ましたよ」
「おう!」
まぶしい笑顔が返る。
私も柔らかく微笑み、トレイを持ってエリオットのところに向かう。

私を支配し続けるご主人さまのもとに。

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