続き→ トップへ 短編目次 長編2目次

■恋より玉露

玉露の蒸らし時間が終了する。
私は、とくとくと急須の玉露を湯呑みに注いだ。
ほのかに香り立つ湯気。エメラルドの雫。ああ、美味しそう!
エリオットのかたわらに正座し、そっと湯呑みに口をつける。
懐かしい味。最高の渋みと甘み。玉露、最高!

「ああ、お茶が美味しい」

ニコニコと正座して茶をすする。
やっぱり玉露はいいなあ。存分に電波……いや玉露と愛を語らったかいがあった。
というか、もしかすると、さっきエリオットにとんでもないことを口走ったかも……
記憶からざっくり削除しとこう。

けど私自身、玉露を飲んで思い出したことがある。
私はかたわらで眠るエリオットの耳をちょいちょいと撫でる。
そしてこちらを注視する会議室の人たちを見る。そう、彼らに話すことがある。

「今回の件ではエリオットを振り回し、皆さんに大変ご迷惑をおかけしました」
私の言葉を待つ人たちに正座しつつ頭を下げる。

そう、こちらに向けられるのは温かい視線だけではない。
冷たい視線、殺意まじりの視線も多い。
エリオットは私の家出で荒れて、ひどい行為をあちこちでした。
原因となった私を間接的に悪く思う人がいて、不思議ではない。

「だからこそですね。私は逃げた結果に責任を取らねばと思うのです」
「ナノ、君に責任など……」
「…………」
「…………っ」
何か言いたげなグレイたちを目で制する。

さて、カカオ豆のときと同じだ。間違って発注したカカオ豆。
誰もが、処分するしかないと思っていた。
でもココアにしたとき、みんな喜んでくれた。
エースもあれで遭難時に助かったと言ってくれた。
私はグレイを、そしてペーター、ボリスを見る。

「私は帽子屋屋敷に住み、エリオットに従います」
沈黙。拳を握る補佐官、うなだれる宰相閣下の耳。歯がみするチェシャ猫。

「で、帽子屋屋敷から、お城や塔や森に通います」

これには会議室がザワッとした。恐らく戸惑いで。
「……どういうことだ?」
と、問うてくるグレイ。

「皆さんに、紅茶や珈琲を淹れに行かさせていただきたいのです。無料で」

『え……』
グレイ達は呆気に取られた顔だ。私の言ったことが飲み込めない、という感じ。
私は説明する。
「帽子屋屋敷に住むけど、定期的に、よその滞在地へ働きに通うんです。
そこで珈琲や紅茶、ココアを淹れる……要は『お詫びを兼ねての無料奉仕』です」
会議室はさらにざわめく。
飲み物を淹れてお詫び、なんて元の世界じゃありえない。
けど、紅茶や珈琲が権力者の機嫌を、時には人の命を左右するこの世界なら、この
仕事には意味がある。
役持ちの機嫌が良いのは、顔なしさんたちにとっても、悪い話じゃないはずだ。

紅茶を淹れにいけばビバルディだって、無関係な兵士さんたちを処刑せずにすむ。
マフィアの世話になるという私の罪悪感も、少し和らぐ。
あと塔に珈琲やココアを淹れに行けば、グレイの仕事も手伝えるし。
私は平凡以下だし、いつかエリオットは、私に飽きるはずだ。そんなときが来て、
帽子屋屋敷を放り出されても、自分一人で生きていけるようにしとかないと。

…………
会議室はざわざわしている。
私の唐突な提案に戸惑っているようだった。
けど、自分たちに得だと判断してくれたのか、とりあえず反論は来ない。
そして会議室の扉が開いた。私はそっちを向いて言う。

「そうすることに決めました。先ほどの誓約と矛盾しないと思うんですが」
帽子屋屋敷に住み、ブラッドやエリオットに逆らわないという誓約に。

会議室に入ってきた面々に、私はそう言って湯呑みをすする。
ようやく現れたブラッド、ビバルディ、ナイトメア。あとエース。
多分、外で話を立ち聞きしてたんだろうな。状況を理解している顔だ。
権力者不在で勝手に話を進めたから、怒られるかなと思った。
でも、ビバルディはむしろ面白そうな表情だった。イライラが顔から消えている。
ナイトメアは戸惑いつつ、ちょっとホッとした顔。
エースは……説明不要でいいですね。スマイルスマイル。
そしてブラッドは爆睡する悪友兼腹心をチラッと見て、静かに言った。
「珈琲を淹れて帰還するときは、厳重に身体を洗浄して悪臭を落とすように」
「はいです」
ボスの命令に、忠実にうなずいた。
そして心底から安堵して湯呑みをすする。
エリオットは穏やかな顔で眠っている。

ああ、お茶が美味しい。最高に幸せ。
やっぱり恋より玉露だなあ。


かくして私は、私のために起こったいろいろな不始末の責任を取って、塔や城、森に、
飲み物を淹れに行くお仕事をすることに決めたのだった。

私が帽子屋屋敷に戻るということで、エリオットも少し落ち着いた。
……まあ、『少し』だったけど。

3/6
続き→
トップへ 短編目次 長編2目次


- ナノ -