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■愛される余所者

私のココアを飲んだ料理長さんは、難しい顔でしばらくブツブツ言っていた。
背後の料理人さんたちもココアを回し飲みし、何やら批評している。
そして、最後に料理長さんがうなずいた。
「……いいだろう。会合での提供に耐えうる味だ。君の作ったココアパウダーは全て
引き取らせてもらおう。それをカカオ豆の代金ということにしよう」
「ありがとうございます」
私はホッとして肩の力を抜く。

あれだけあったカカオ豆は全てココアパウダーになった。
そしてそれらが売れ、めでたくカカオ豆の代金がチャラになった。
間違えて発注したカカオ豆。その責任をどうにか取れた。
「では、私はこれで」
私は頭を下げ、エプロンを調理場のゴミ箱に放り込むと、出口に向かった。
「ナノ……さん」
声をかけられ振り向くと、料理長さんが真面目な顔で言った。
「よければ厨房に来ないか?君は紅茶の腕がすごいという噂があるし……」

「ありがとうございます。でもその噂は、大げさに誇張されたものです。
それに、私はもう飲み物を淹れることは止めたんです」

料理長さんの言葉を遮り、深く頭を下げる。
そして今度こそ振り向かずに厨房を出た。

…………

廊下を歩く。まぶしいくらいの日の光が窓から私を射し、長い影が緑の廊下に影を
落とした。私はまぶしさに時おり目を閉じながら廊下を歩く。
そしてどれだけ歩いたか。
「……あ」
「ナノ、ちょっといいか?」
廊下の向こうに、ナイトメアが立っていた。

私たちは階段のすみに並んで腰かけた……グレイに見つからないように。
「聞いたぞ。あの大量のカカオ豆からココアを作ったんだって?
グレイなんか、すっかり君への態度を改めたというじゃないか」
「どうですかね」
私はそう言ってうつむく。あまりその話はしたくない。
もう二度と飲み物は淹れない。あれはトラブルの元だ。
「いや、すまないが、その話をしたいんだ」
こちらを見るナイトメアは、病弱な夢魔ではなく、夢の中のような瞳をしていた。

「実は次の会合で、君が議題に上がるかもしれないんだ」

「え……!?」
いきなり言われ、ギョッとして顔を上げる。ナイトメアは言いにくそうに、
「君を最初に面倒見ていた帽子屋屋敷、一度は君が行くと口約束したハートの城。
それぞれが君の所有権を主張している」
ちょ……恋愛がらみでもないのに所有権って。
「いえ、だって、私は余所者とバレてないでしょう?
顔なしだって皆、思ってますよね?」
夢魔は静かに語った。
「どちらの主も紅茶狂だから起こった奇跡だ。帽子屋は腹心の尋常ではない懇願と
君の紅茶への評価から。ハートの城は紅茶係不在、それに宰相、騎士の推薦ゆえだ」
「そんな……。私はもう紅茶を淹れるのは止めました。そう言って下さい!」
隠れていることも忘れ、大声で言う。
「言っているさ。グレイが何度も何度もな。それでハートの城だけでも丸めこもうと
したところに、故意か偶然か、騎士が迷い込んできたからな」
「う……」
ココアを淹れるところ……しっかりと見られてましたね。あの野郎。
「塔も中立だ。二大勢力に手を組まれたら塔下に被害が出かねない」
「…………」
私はうつむき、膝に乗せたこぶしをギュッと握る。
夢魔は私の顔をのぞきこみながら続けた。
「君の心はグチャグチャだな。さまざまな思いが交錯してさっぱり読めないよ」
「…………私……」
その後が続かない。
「君はどうしたいんだ?三月ウサギに飼われたいか?女王に飼われたいか?
それとも塔で頑張るか?」
「塔です。私は、ここで顔なしとして頑張ります」
「頑張るのはいいが、顔なしとして、というのはもう無理だな」
ナイトメアの言葉はキッパリしていた。

「すでに、かなりの者が疑っている。役持ちにも、顔なしの中にも。
『何か異分子がこの世界に入り込んでいる』と。
その正体が分からない者が大半だが、君では無いかと見当をつけている者もいる」

「…………」
「現に騎士は気づいただろう。あれはたまたま判断材料がそろっていたから真っ先に
勘づいただけだが、同じことは他の者にも言える」
ナイトメアは感情のない声で続ける。
「例えば、いくら調べても、『ある時間帯』以前の経歴が、一切不明の者がいる。
紅茶を自力で作るほど異様な執着を見せるのに、それ以前には名前が知られていない」
「ナイトメア、もう……」
「気がつけば彼女のいる場所は、三月ウサギや門番の入りびたる場所になっている。
さらに調べれば騎士と関係がある」
「もうやめてください!」
「そして今は塔の夢魔に気に入られ、あの白ウサギまでが獲得に躍起になっている」
廊下に落ちる影が長く、日の当たる場所はあまりにもまぶしい。
「……ブラッド、ですか?」

「そうだ。君を『余所者』ではないかと疑っている筆頭はブラッド=デュプレだ」

彼には隠し通せない。一度疑いを抱かれたら、もう逃げられない。
一度も顔を合わせていないのに。
あれほど気づかれないようにしていたのに。
これでは私がバカみたいだ。
「逃げ続けるのか?」
「マフィアも、斬首刑も嫌ですから……」
「まあ、君の出身地が平和な場所だったからな。
だが君も『余所者』という不思議の国の一部だ。
君が逃げるたびに傷つき、狂う者がいることは自覚した方がいい」

エリオット……麦畑で私を助けてくれた三月ウサギ。

それでも、勇気を持って立ち向かうという答えは、私の口からは出ない。

…………

ナイトメアと執務室に行くと、カンペキに目の据わったグレイが待っていた。
「ナイトメア様!ナノ!また二人して仕事から逃げて……!
いいか、会合も近いというのに自分の役割というものが……」
ガミガミガミ。
苦笑する職員さんたちに見守られながら、私たちは叱られ続ける。
私は下を向き、床に虚ろな視線を向けている。

逃げ出したい。でも逃げる場所はもうどこにもない。

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