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■ココアを作るよ!・上

少し前。私がまだグレイに信用されていなかった頃、私はイタズラ書きのつもりで
厨房の発注書に『カカオ豆』と書いてしまった。
まさか本当に届くとは思わなかった……。

執務室のグレイは能面のような顔で言う。
「……厨房は大騒ぎだった。料理人は発注していないと言い張る。
業者は君の筆跡のある発注書を出し、発注自体は正当だから払ってくれと言う」
私は冷や汗をダラダラと高級じゅうたんにこぼし、デスクに座るナイトメアと、
かたわらに立つグレイに頭を下げ続けた。
「本当に、その、大変申し訳ありませんでした……」
ナイトメアは、
「向こうも塔の注文だから、何か特別なものを作るんだろうと、本来は扱っていない
品目なのに、必死で探してくれたんだそうだ。多忙な時期とはいえ、一度も塔側に
発注確認をしなかったのは、あちらのミスとも言えるが」
「とはいえ過失はこちらの方にあるでしょう……ナノ」
説教をしようとして、言葉が見つからない感じのグレイ。
私に好意的なナイトメアは、早くもフォローを入れようとしてくれてる。
「グレイ。ナノも悪気があってやったわけじゃない。代金は私が……」
「発注のイタズラはお詫びします。私が引き取り、後で代金を支払います」
ナイトメアを遮り、私は力なく言う。
グレイは私が考え無しに言ってると思ったか、眉をひそめた。
「何袋もあるんだぞ?ゴミ処分の時間帯は決まっている。部屋にでも置くのか?」
「少しの間だけ、夜の時間帯に厨房の一部を使う許可を下さい。
それで全てカカオ豆を片づけ、支払いが出来ます」
私は言った。ナイトメアは気づいたみたいだ。
「……君、もう止めたんじゃなかったのか?」
「止めますよ。でも……」
例外はある。カカオ豆のことは自分のミスだもの。自分で処理しないと。
「ナノ。もういい。カカオ豆はこちらで代金を払うし、処分する」
グレイが髪をかきあげ、ため息をつく。
どうも私が苦し紛れに言ったと思っているらしい。
「君だって悪気は無かったんだし、元はといえば普通の書類に発注書が紛れていた
ことが原因だ。反省してくれたなら、それでいい。俺からは以上だ」
そう言ってグレイは仕事に戻ろうとし、

「待って下さい、グレイ!」

思ったより強い声が出た。クローバーの声に来てから、一番大きくて強い声が。
その勢いに、グレイが驚いたように振り向く。
「ナノ?」
「お願いです!夜の時間帯、厨房の料理人さんが帰った後に、私に厨房の一部を
使う許可を下さい!カカオ豆は私が全て管理します!」
「いや、もういいと言っているだろう。厨房って、いったい君は何を……」
「ナイトメア、グレイ。どうかお願いします!」
頭を下げた。
私はクローバーの塔の、下位の職員用の狭い部屋を思い出す。
帽子屋屋敷から出るときに唯一身につけていた黒エプロン。
大事に洗濯して壁にかかっているはずだ。
「グレイ、どうする?私はナノがしたいようにすればいいと思っているが」
困ったようなナイトメア。グレイはしばし宙を仰ぎ、

「仕事後に君が何をしようと俺に干渉する権利はない。
厨房には俺から話しておこう。だが、君が言った以上、俺は本当に何もしない。
飽きたら、ちゃんと自分でゴミ処分業者に連絡して、処分してくれ」

飽きたことはない。不思議の国に来てから、ただの一度も。

…………

…………
「……久しぶりですね」
麻袋を開けた私は、友達に話しかけるようにカカオ豆に言う。
グレイに叱られながら仕事とは言えない仕事をどうにか終えた。
そして厨房に行き、そこの料理人さんたちに謝り倒し、彼らが帰ってから、やっと
対面できた。前の不思議の国では、私はカカオ豆からココアを作っていた。
今、このカカオ豆を全てココアパウダーにするつもりだった。

私はそら豆大のカカオ豆を一つ、つまみあげる。チョコレートの匂いはまだ無い。
白っぽく、弾力がある。クリオロ種か。香りのいいものが出来そうだ。
私は黒エプロンの紐を結び直し、顔を上げた。
「さて、と」
まず、お借りした天板にびっしりとカカオ豆を敷きつめ、オーブンに入れる。
温度を設定し、タイマーをつければ後は待つだけ。これがカカオ豆のロースト。
そこらへん、珈琲豆の焙煎よりずっと楽だ。
「待っている間、器具を準備しませんとね」
厨房の終了は遅く、始まりは早い。時間帯はいくつも与えられていない。
私はチャッチャと道具を出していく。そのとき、厨房の扉が開く音がした。
「あ……」

グレイが立っていた。目をキョロキョロさせて、すぐ私を見つけ、なぜか少し驚いた
ようだった。ローストはまだかかるし、私はグレイの方に歩いて行った。
「グレイ。どうしました?何か書類の間違いでも?」
「き、君の様子を見に来たんだ。その……大量のカカオ豆を持てあまして、困って
泣いてるんじゃないかと」
「え?何で困るんです?」
心底から不思議で、首をかしげる。するとグレイはますます戸惑ったように、
「いや、その……」
そこでオーブンのタイマーが鳴った。
「ちょっと失礼しますね」
私は分厚いミトンをつけてオーブンに向かう。
うむ。色、匂い、問題なし。
ブランクが気になったけど、なかなかどうして、勘は鈍らないものだ。
天板を出すと、冷ますために耐熱テーブルに乗せ、用意してあった別のカカオ豆を
すぐオーブンに入れる。タイマーセット。スイッチオン、と。
そして天板に向かう。まだカカオ豆は熱々だけど、構っちゃいられない。
長い料理用のハシで、不良豆をヒョイヒョイと取り除く。
未熟豆、虫食い豆、カビ豆、割れ豆……少ない方だ。
業者さんはいいのを探してくれたんだなあ。
目が疲れるので、一通り終わったら小休止。そろそろカカオ豆が冷めてきたかな。
不良豆を見つけやすくするため、カカオニブを出すことにする。
正しくローストされた豆の皮と胚芽をバリバリ取り除き、胚乳部分たるカカオニブを
スピーディに取り分けていった。
おっと、次のカカオ豆のローストが終わった。すぐ出さないと。

「あ……」

私が我に返ったとき、グレイの姿はとっくに厨房から消えていた。

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