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■夢魔の忠告

日の当たるクローバーの回廊で、私はお仕事を頑張っていた。
「…………」
私はギュッギュと大きな花瓶を吹く。
「うーん、まだ光沢が足りないですかね」
磨かれた花瓶には、ちょっと疲れた感じの平凡なナノさんが映る。
私はバケツの水で雑巾をギューッとしぼり、もう一度花瓶を吹いてみる。
「それで次の会合なんだが、領主同士での重大な話し合いもあるとか……」
横を歩いて行くのは塔の職員さん。
……そして、無言で私の脇を通りすぎるグレイ。
「おつかれさまでーす」
私はニコニコと頭を下げてグレイたちを見送る。

「…………」

私は花瓶に戻り、また一生懸命に吹く。
頑張って拭いても、そのうち勝手にきれいになる。
塔の人も、城や帽子屋屋敷の人ほどインテリアを気にかけない。
でも、他に出来る仕事がないんだもん。

…………

夢の中の空間で、夢魔はグチグチ言う。
「全く新人イビリとは、グレイは本当に嫌な奴だ。男らしくない」
君をいじめ、私まで薬攻めに……と、フワフワ浮きながら、憤るナイトメア。
「いじめでもイビリでもないですよ」
私は正座し、身を縮める。
塔の仕事は、行政分野だけあって、求められるレベルが高い。
私が全力で頑張って、グレイにも私への偏見がなかったとしても、つとまったかは
かなり疑問だ。けれど夢魔は不満そうだ。
「だからといって、私と会うことまで制限するのはひどいだろう。
君に企み事があるかは、心を読めば分かる。警戒しすぎなんだ、あいつは」
「私、グレイにはすごく感謝してますよ」
部下を罵る夢魔を見過ごせず、正座しつつグレイを弁護する。
私自身は、ダメダメすぎて、助手からお掃除係に格下げになった。
けど、それは自業自得だ。グレイは私のために頑張ってくれた。
ただ会合前で忙しくて、ちょっと素っ気ないだけ。
「それに、今は寝る場所もあるし給料もいただけます」
まあ食費を引くと、手元にはほとんど残らないけど。
でも少しずつだけど、お金を貯めている。
元の世界でも、前の不思議の国でも苦労してきた私にとって、衣食住がそろっていて
賃金の発生する仕事が出来るだけでも御の字だ。

夢魔はそんな私に、努力をひっくり返すことを言う。
「ナノ。そろそろ余所者の身分を明かしてもいいんじゃないか?」

きっちり正座した私に、夢魔は疲れているように見えた。
「その上で君を客人として遇させてくれ。そうすればグレイも君への態度を改める
だろうし、君だってもう働かなくていい。余所者なら誰も文句は言わないよ」
「ナイトメア」
「…………」
私の心を読んだナイトメアが黙る。
前の世界みたいに厄介なのはごめんだ。
私はこの世界で、自立した余所者を目指すのです。
「なら、せめて珈琲係にならないか?疲れた我々に美味しい珈琲や紅茶を……」
「もう飲み物は淹れません」
ナイトメアをさえぎる。
「嗜好飲料が関わると、昔から、ろくなことがないんですから」
権力者の気を引くし、夢中になりすぎてとんでもない失態を犯すし。

ついに夢魔はため息をつき、夢の空間を遠ざかっていく。
「分かった。なら君の好きにするといい。私はまた、君の奮闘を見守っているよ」
「そこまでひどくもないですよ。この世界なら、私はゲームに勝てそうです」
負けてるように見えるだろうけど、ある意味、私はゲームに勝ちつつある。
ドアを通って別世界に来た甲斐(かい)はあった。
薄氷の上とはいえ、居場所を確保しつつある。
労働し、立派にお給料だってもらえ、わずかながら貯金も出来ている。
あとは帽子屋の人たちが、私に興味を失うまでの辛抱だ。
その後、やっと自由が手に入る。今までとは全く意味の違う自由が。

「どうかな?君の失踪で、三月ウサギがどれだけ狂ったか知っているのか?」
夢魔が、私の高揚した気分に水をさした。
「へ?」
さっきと逆に、冷ややかな夢魔の言葉に、正座がくずれそうになる。
あ。夢なのに足がしびれてきた。ちゃんと立てるかなあ。
「ええと、もう私のことを忘れて、新しい彼女を作ったものだとばかり……」
「楽観のしすぎだ。君は余所者なんだぞ?現に、奴が今見ている夢の中で君は……
うう、おぞましすぎて言及がためらわれるような目にあっている」
「…………」
こっちだって、聞きたくもない。夢魔はさらに言葉を連ねる。
「そしてブラッド=デュプレだ。紅茶狂いで、ふところに入れた身内には甘い。
腹心の懇願、最高の紅茶の淹れ手……次にどう出ると思う?」
退屈に飽いている帽子屋のボス。降ってわいたトラブルなど、望むところだろう。
「そうだろう。いずれは動き出すぞ」
「ナイトメア……実は私が嫌いなんですか?」
彼は、不思議の国に私を引き入れた夢魔ではない。
ワイドショー感覚で、人の不幸をのぞき見してる野郎だ。
夢魔は肩をすくめる。
「別世界の夢魔と私は違うよ。私は私なりに君に好意を抱き、見守っているよ」
……見てるだけでしょう。まあ干渉されても困りますが。
夢魔はふわふわと遠ざかりながら私に言う。
「ともかく帽子屋の連中、それと君に一目惚れした男には気をつけることだ」
「エースのことですか?言われなくても気をつけますよ」
長い時間、一緒にいたわけではないのに、奴とはろくな思い出しかない。
ていうか一目惚れだったのか。そしてあの扱いか。本当に困った人だ。
「いや……」
夢魔は何かを言いかけ、そして思い出したように言った。
「あ、そうだ。君は今、夢を見ているよな」
「はあ、そうですが」
夢が終わりそうなので、私はヨロヨロと立ち上がる。

あ、足がしびれてフラフラする。

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