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■トカゲの新しい部下・下

グレイの仕事部屋で、私はガミガミ叱られております。
追いかけて追いかけて、部屋までつきまとって、振り向いてもらえました。
けれどダメ出しの嵐でございます。

「ここも違う、ここも間違っている……ここもか?こんな計算で!?」
愕然とし、ついには舌打ちして書類を机に放り投げる。
「もういい、この書類は始めからやり直しだ。何で基本的な計算を間違えるんだ」
一桁の足し算を普通に間違えている……とグレイは信じられないといった表情だ。
「全部じゃないですよ。ほら、七割くらいは合ってたでしょう?」
私は書類を拾い、人の三倍かかった努力成果を見、首をかしげる。
なぜか知らないけど数字には頭が凍りつくのだ。
「初等学校の授業じゃないんだ。こんな初歩的な計算を間違ってもらっては全体の
作業に支障をきたす!他にもケアミスが多い。もう少ししっかりしてくれ!」
「では責任を持って、最初からやり直しますね」
ニコニコ。二度目だから、正答率を九割に上げることは可能なはずだ。
「いや、この書類は他の部下にまかせる」
グレイはかなり疲れた顔で、私の次の書類に目を通す。
「……これは何だ?」
「はい!書庫にあった書類で、資料になりそうなものをまとめてみました!」
やはり仕事は自分から探さなくては。
「…………そうか。ご苦労だった」
グレイは少しだけ目を通し、私に返す。
「使われないんですか?」
「使うときに貸してもらう」
うーむ。ダメ出しゼロは危険信号ですな。
手直し箇所を指摘するのが面倒になるほど、ダメダメだったということだ。
私はその書類をしまい、ニコニコと仏頂面のグレイを見上げる。
「グレイ。次のお仕事は何ですか?」
グレイはしばし宙をあおぎ、
「……部屋の掃除をしていてくれ」
と、ホウキとチリトリのある場所を指さした。
それ、助手じゃないですし。

…………

「うーん、こんなもんですかね」
誰もいない部屋で、掃除を終え、私は満足して額の汗をかく。
労働って本当に気持ちいい。
まあ角っことか細かい場所にホコリは残ってる気がするけど、そんなものだろう。
「終了、終了っと」
私は適当にはきながら、窓辺に立つ。
「…………」
切ないくらいにきれいな夕暮れだ。私の気分も吹き飛ばしてしまう。


「…………帽子屋屋敷に、戻ろうかな」


ポツリと呟く。
戻っても拷問されるわけじゃない。むしろ両手を広げて歓迎される。
私の居場所も働く場所もある。知り合いもたくさんいる。
「…………」
街では死にかけ、塔ではいてもいなくても同じ扱い。
とにかく仕事が出来ないのだ。出来たとしても人の数倍はかかる。
元の世界から見捨てられた、という経歴は伊達ではない。
余所者特典がないと、本当に生きていけない。
塔はお世辞にも居心地がいい場所ではない。ナイトメアと会うことは許されてない。
グレイは命の恩人だけど厳しい。職員さんたちは、無能な私に無関心。
帽子屋屋敷帰還への誘惑は強い。

「……でもエリオットはマフィアですし」

いつかは出て行かなくてはいけなかった。
「はあ……」
いえいえ、ため息をつくと幸せが逃げる。
私はチリトリのゴミをゴミ箱に捨て、窓の外の夕暮れを眺める。
目をこらすと、遠くに帽子屋屋敷が見える気がした。
エリオットはまだ、私を探してくれているんだろうか。
畑のスイカはちゃんと成っただろうか。ニンジンを収穫する人はいるんだろうか。

……屋敷近くの麦畑で、何度か夕暮れにデートをした。
デートと言っても、単なる散歩だけど。
でも一緒にいて、手をつないで話すだけで楽しかった。
肩車をねだったら本当にやってくれた。走り出されたときは悲鳴を上げながら笑った。
ウサギ耳を引っ張ると、逃げるのが楽しかった。二人してたくさん笑った。
「エリオット……」
ガラスに額をつき、名前を呟く。
「いえいえ。後ろ向きじゃダメですよ!」
もう役持ちとは関わらない。そういう意味では、今の状況は理想的だ。
グレイもあの調子なら、100%、私に振り向くことはないだろう。
無能扱いの現状が不満なら、自分から変える努力をしないと。
「もっと頑張らないといけないですね!」
と机に向かう。
とりあえず乱雑に散らばった書類を整理しようと、両手でトントンと整える。
「ん?」
書類の中に見慣れた文字が目に入った。
思わず、その書類を抜き出し、目を走らせた。
『ブルーマウンテン』『マンデリン』『クローバーブレンド』『グラニュー』……。
おやおや。どうやら嗜好飲料関係の書類だ。
どうやら発注書みたいだけど、古い書類が紛れたのかな。
「うーん、私なら、あとこれを注文しますね」
うさ晴らしにペンでイタズラ書きし、とっとと捨てようとする。
「おーい!」
すると、部屋に誰か入ってきた。職員さんだ。表情からして、かなり慌てている。
彼はホウキを持った私を見るなり、
「君、そこらへんに厨房の発注書が混じっていなかったか?」
と聞いてきた。私は内心の動揺をおさえ、さっきの書類をぎこちなく出す。
「え、えと……もしかして、これですか?」
「ああ。それだ。悪いな」
ひったくるように私の手からそれを奪い、止める間もなく走って出て行った。
「…………」
どうしよう。廃棄書類だと思って落書きしちゃった。
私は書類整理を続けながら、ドキドキする。
――ま、まさか『アレ』、本当に来たりしないですよね。
来ない。普通は来ない。一般にはなかなか流通しないものだ。
どうせ問屋から塔に問い合わせ、厨房が否定して、発注ミス発覚になるはず。
絶対に来ない。間違っても機械的に処理され、本当に届いたりはしない。
「来ない、来ない。来ないはず……です」
私は冷や汗をかく。来ないはずだ。
客用の珈琲豆や、紅茶にまぎれ、私がイタズラ書きで書いてしまったブツなど。

冗談で品名と、××kgと書いてしまったアレ。

ココアの原材料……『カカオ豆』。

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