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■さよなら帽子屋屋敷

エリオットは珍しくニンジンスイーツに手を出さない。
私の紅茶を、まるでブラッドのように、ゆっくりと飲んでくれた。
「これ、苗木から茶葉までおまえ一人で作ったんだよな」
半分くらい飲んでから、ようやく私に言った。
「全部じゃないですよ。苗木はエー……もらいものですし、留守の時は農家の方に
手入れしていただきました」
首をかしげると、
「それでもほとんど全部おまえだろう!ここに来てからずっと大事にして……。
茶葉から紅茶まで作って……それも……上手く言えねえけど、こんな味の……」
「そうですね。ちょっと渋みが弱いかも。屋敷の味には遠く及びませんよ」
「そんなことはねえよ!ブラッドの一級品には及ばないかもしれねえけど、お茶会で
出ても十分おかしくない味だ!おまえがこんなのを作れるなんて……!」
何だか絶賛してくれるなあ。
それ以上は言葉にならないのか、エリオットはニンジンスコーンに手を伸ばした。

…………
しばらくは静かなお茶会が続いた。
エリオットはオレンジ色のものを片づけながら、私の紅茶を飲む。
そしてしばらくして、真剣な顔で言った。

「なあ、おまえはやっぱり屋敷に住めよ。俺がブラッドに推薦してやる」

「それだけは止めてください!」
私は血相を変えて言った。
「何でだよ!」
「だ、だって、私はブラッド……様のことを良く思ってないし、ええと、それに
騎士と通じてるって噂だって立ってるんだから……」
「あんな噂、もう誰も覚えちゃいねえよ!それにブラッドはこの屋敷のボスだ。
敵に通じてるって知ってて、面白がって抱えてる構成員だって、何人かいる」
素知らぬフリして敵のスパイを飼う。ブラッドなら確かにやりかねない。
「俺がブラッドにおまえの紅茶や、紅茶の腕前を話してやる!
おまえの作った紅茶を持って、今から屋敷に行くぜ!」
エリオットはその気になったのか、勢いよく立ち上がる。
「ブラッドはおまえの紅茶の味を知ってる。今も忘れてねえ!
おまえの、さっきの紅茶の淹れ方だって、うちの奴ら以上だった!」
「い、いえ、そこまで……」
「自力で紅茶を作るくらい、強い思い入れだってある。
ブラッドも絶対に文句はいわねえよ!」
エリオットは、頼もしい笑顔を見せる。
「行こうぜ。おまえは屋敷に住んで、高い地位を得られるんだ!」
「ダメです!それだけは……!」
私は首を振る。
「何でだよ、おまえはブラッドに含みはねえんだろ?」
言うことを聞かない私に、エリオットはイライラしてきたようだ。
「何でだよ。何だって、そこまでブラッドに会いたがらないんだ?」
「だって私は……私は……」

まだ怖い。
別の不思議の国に来ても、まだ心に傷を残している。
マフィアのボスにされた行為。快楽の道具にされ、ペット扱いされた屈辱が。
この世界のエリオットはきっと私を守ってくれる。
この世界のブラッドも、そんなエリオットの意思を尊重する。
でも、そうと分かっていて、まだ怖い……。
余所者とバレるのが。
マフィアのボスの興味を引くのが。

でも、そんな事情を話せるわけもない。信じてもらえるとも思えない。

「ナノ……」
うつむく私にエリオットが何か言いかけたとき。小屋の外から声がした。
ハッとして、私もエリオットも黙る。
そして小屋の外から、明るい声がした。
「そうだよ、ボス。あのお茶の木はナノが全部、大事に育てたんだ」
「ひよこウサギに気を使って、自分では紅茶を買えなかったんだって〜」
双子の声だ。
そして、それに続くダルい声がした。

「それで自力で紅茶を作ったのか。実に大した物だ。
エリオットの奴。こんな逸材を隠していたとは……」

会合以来で聞く、ブラッド=デュプレの声だ。

「ブラッド!来てくれたのか!」
もう隠す気がゼロのエリオットは、大声で言う。
バタバタと走って、扉に向かう。
逆に私はじりじりと後じさりし、エリオットが扉を開ける前に、裏口を開ける。
そして急いで、でも音を立てないように裏口をしめる。
一方表では、バタンと音を立ててエリオットが出る気配があった。
外の空気には、納屋や小屋からもれた紅茶の匂いが混じっている。

そうだ。何で考えなかったんだろう。
屋敷でエリオットに会ったブラッド。私の紅茶の匂いをつけたエリオットは、その
匂いについて問われ『新作の紅茶の匂いだ』とごまかしたらしい。
でも『新作の紅茶』なんて言われたら……ブラッドのことだ。
当然それに興味を持って、飲もうとしたに決まってる。

でも、そんなものはない。あったとしてもエリオットの放っていた匂いとは違う。
不審に思ったボスは、いろいろ聞いて回り、もしかすると私が通っていた屋敷の
裏口で、同じ匂いにたどりついたかもしれない。
そして使用人たちから聞く。エリオットが執心している小娘の話を。

さらに興味を持った彼は双子を伴い、畑まで来て……博識な彼は気づいたんだろう。
ここで『紅茶』の木が栽培されてるということに。
そして、紅茶の芳香を放つ小屋と納屋を見つけた……。

…………
「いいのか!?本当にいいのか!?」
私が呆然と推理している間、表の方からエリオットの歓喜の声が聞こえた。

「ああ。例え、私の命を狙っていようと関係ない。
そのナノという娘を、帽子屋屋敷の、一級の紅茶職人として迎える。
彼女が望みうる限りの給料と待遇を約束しよう」

「え、じゃ、じゃあ。俺の部屋に置いても……?」
「おまえの部屋でもどこでも、好きな場所に住めばいい」
「よっしゃあ!」
快哉を叫ぶエリオット。そしてブラッドは、
「しかしこれだけの天才が、なぜ在野に下っていたか、気にはなるな」
ほめすぎだ!いえ今は、そんな場合じゃ無い。
「ああ、それは俺もよく分からないんだけどよ……」
と、困ったようにエリオット。

私はじりじりと小屋から後じさりし、人目につかない林の方へ近づく。

「でもナノは絶対にボスを狙ったりしないよ。いつもニコニコしてるし」
「でもときどき、すごく寂しそうな顔をして、遠くを見てるよね〜」
「そうそう。そういう憂いがあるところなんか、すごくいいんだよ!」
「ほう。それはますます興味深いな」
双子が余計なことを言う。ブラッドもブラッドで気を引かれたらしい。
ていうか、私にそんな、青春の別世界タイムがあったんですか?
「おいガキども!ナノは俺の女だって言ってるだろ!?」
またいつものケンカが始まりそうなところで、
「エリオット。いい加減にしろ。
とにかくそのナノという娘に会わせてもらおう。
そして彼女が、苗木から作ったという紅茶を、ぜひ飲んでみたい」
「っ!!」
ブラッドがケンカを止める。エリオットの笑顔が見えるようだ。
「ああ!ちょっとドジな奴だけど、会ってやってくれよ!ナノ!入るぜ!」
エリオットが小屋を開けた音がした。
その瞬間、私は一目散に駆けた。
エプロンをしただけの着の身着のままで。

駆けて駆けて駆けて、帽子屋屋敷を出て。

そのまま振り返らずに走り続けた。

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