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■主従とカップ選び・下

「すごいな……」
「ええ。本当にすごい……」
「…………」
私は言葉すら出ない。
そこはさながら陶器の美術館か博物館だった。

まず、見上げるばかりの天井(壁画つき!)。しかしその天井までいっぱいに棚が
そびえ立っている。それも一つ二つではなく、これまた部屋いっぱいに。
そして全ての棚に、カップや受け皿などの陶磁器がぎっしりとつまっていた。
一応、どれに触れてもOKみたい。汚れても壊れても直る、不思議の国らしい。
「ナイトメア様。これは一部だそうです。まだ同様の部屋が××室ほどあるとか。
他にも、役持ちか上級貴族のみ入室可能な、VIP用最高級プレミアの間も……」
「いい、いい。どうせ彼女は入れないんだろう?」
未だに私をかまってくれるナイトメア。グレイがチラリと私を見る。
「…………」
グレイの目にはまだ警戒の色が濃い。いちおう、ナイトメアが私をかまうのは大目に
見ているようだが、そうでないときは極力ナイトメアとの間に立ち、故意に距離を
置かせている。そのグレイの警戒の視線がどうにも居心地悪く、心が痛い。
私は棚の陶器を見るフリをした。

…………
「……すごいですね……」
気を紛らわすために棚のコレクションを見始めたけど、実際に魅せられるまで時間は
かからなかった。美しい!とにかく美しいのだ!
雪のように真っ白な下地に、控えめな金ぶちのライン。
そこに緻密にほどこされた職人こだわりの図案。
ああ、『英国陶工の父』ジョサイア・ウェッジウッドの初代ジャスパーまで!!
レリーフの美しさには、見ているだけでため息が出てしまう。
「で、ナノのオススメは?どういうのがいいんだ?」
ふわふわ飛んでいたナイトメアも楽しそうに聞いてくる。でもグレイは、
「適当なブランドの、そこそこの値段のものを適当に選べばいいでしょう。
ほら。これなんか、カップの内側が金で、外の絵柄も細かく金箔が多い」
「んー、そうだなあ……」
「この青いのも絵が可愛いし、きれいですよ」
グレイはカップには興味がないのか、子どもが喜びそうなものを進める。
私はちょっと首をかしげつつ、二人に言った。
「そうですね。精緻な絵つけを施したものは、休憩時間ごとに楽しめます。
ただ、あまりにゴテゴテしすぎていると、来客に、趣味が悪いと見なされ、評価を
下げる可能性もありますね。かといって白地のみもシンプルすぎ。大げさに言うと
どのようなカップを使っているかで、あなた自身のセンスを世間に公開することに
なるわけです。もちろん部屋のインテリアとの兼ね合いも考えなくてはいけません。
さてメーカーさんですが、基本的にロイヤルの名のつく窯(かま)は、王室ご用達。
ですから、どれを取っても素晴らしいものです。例えば、あのロイヤル・ドルトンは
ブルーの色合いが芸術的ですね。ただ青と言えば、やはりセーブルが最高峰ですね。
セーブル独特のブリュー・ド・ロアはセーブル窯だけのものです。もちろん他にも
ジノリ、マイセン、ロイヤル・コペンハーゲン、ローゼンタール、アウガルテン、
ジョルジュ・ボワイエなど無数の名窯があります。ですがすでに閉鎖された窯にも、
名工の手による特級品や、埋もれた名品が山とあります。なのでブランドや値段に
振り回されるよりは、意中の異性を選ぶように『これだ!』と思える運命の出会いを
果たすこと。それが陶器選びにおける理想なんです」
一息にそこまで説明して、私は棚をザッと見る。
ああ、目の保養すぎて、疲れるくらいの美しさ!
「ヴァレンドルフ、ロイヤル・ウースター、ボルドー、ニューデルヴィエ……あ、
ヴァンセーヌまで。双頭の鷲をあしらったハプスブルクのカップも素敵ですねえ。
ナイトメア。あなたくらいの身分ですし、いっそ、オーダーメイドにします?」
柔らかな緑地に、金のクローバーの文様をあしらった珈琲カップなんてどうだろう。
軽くイメージを浮かべ、どうですかとナイトメアを見る。
「?」
おかしいな。反応がない。
ナイトメアとグレイは、私をじーっと見ていた。
「?……どうしました?」
そ、そういえば、権力者ならオーダーメイドのカップくらい当たり前だ。
まさか『今ごろ、そんなことに気づいたのか?』的な流れ!?
「……あ、いや、そうではなく。よくそんなにポンポンと名前が出てくるな、と」
呆気に取られた様子で夢魔が言う。
「へ?」
どゆこと?どゆこと?
「帽子屋屋敷にもこのくらいの名品が多かったのか?」
前の世界の帽子屋屋敷のことかな。
引き気味な夢魔に聞かれ『私のネタの由来が知りたいんですか』と思い至る。
んー、でも残念ながら今の知識は、前の世界でブラッドに教えられたことの丸暗記
だったりする。教科書の内容を暗唱したって、自慢にはならないでしょう。
しかも私は本一冊、読んだわけでもない。本当にただの受け売りなのだ。
「奴に習ったのか」
心を読むナイトメアに言われ、私はうなずく。
「紅茶ほどではないですが、彼も茶器にもこだわりがあるようでしたので。紅茶を
教えられる流れで、有名な窯やその作品について叩き込まれました。ティーカップ
を作っているところは大抵、珈琲カップも作ってますし」
「そうなのか?」
「ティーカップは香りや色も楽しむから広口浅底、珈琲カップは冷めないのが前提
なので狭口深底の形状ですけどね。けど元々貴族社会で一般的だったのは……」
「こだわってない!そこまで、こだわっていないから、説明はいい!」
ナイトメアに止められました。ここからが面白いのにー。
そして、私たちはそれぞれにカップの鑑賞に移ることにした。

…………

「うう、ダメだ。アレも欲しい、コレも欲しい。選びきれないじゃないかー!」
珈琲カップ一つ選ぶのに、数時間経ってもナイトメアは決まらない。
宙に浮かべるだけに、高いところのカップまで見ては、また一目惚れ。
名品、逸品、稀少品と目移りしまくって、あれもこれもと欲しがっている。
「……な、なあグレイ。全部買うというのは……」
ふわふわ浮きながら、補佐官殿にねだるが、
「お一つだけです!こんな高価なものを、コレクションされても困ります」
お菓子をせがむ子を叱るように、きっぱりと言うグレイ。
「決まらないのでしたら、やはり俺が選びます。これは白だし値段も手頃だ」
「嫌だー!そんな安っぽいの!」
グレイの取った、一見シンプルな白のカップを私はチラッと見る。
……うわ、ナイトメアってば、なんて失礼な!
「ローゼンタールのロマンスですね。単なる白じゃないんです。
カップに触ってみて下さい。このレースのレリーフが有名なんですよ」
「なるほど……この手触りは素晴らしいな」
グレイの親指が繊細な浮き彫りに触れ、感心したように彼はうなずく。
そしてハッとして私を見た。警戒と戸惑いがしばし瞳の中で交錯し、
「ご、ご親切にどうも……」
「こ……こちらこそ」
互いにぎこちなく頭を下げ、ちょっと照れて微笑み合う。

グレイの笑顔を、そのとき初めて見た。

まあ、すぐに警戒モードに戻っちゃいましたけど。



参考文献:『珈琲交響楽――カップが語る珈琲生活史』(味の素ゼネラルフーヅ社)

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