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■カフェイン依存症患者の嘘

ホテルの窓は真っ暗だ。
必死でがんばったけど、もう胃液しか出なかった。
「はあ、はあ……もう出ないです、エース」
ベッドに腹ばいになり、私は言った。空の洗面器を見るエースは、
「うん。珈琲は全部出たみたいだな。良かった良かった」
そう言って洗面器を片づけに行く。
「……ありがとう……ございました」
ベッドにぐったりと横たわり、私は言った。

あの後、エースに軽く、本当に軽くお腹を突かれた。
それで、×十杯の珈琲で酷使された胃はアッサリ音を上げた。
……逆流の開始である。
無理やり外に連れ出され、店の裏で(お店の人、ごめんなさい!)苦しんでいると、
遅れて急性カフェイン中毒の症状が一気に来た。
……いやあ、もうお花畑を見るくらいの苦痛だった。
胃が溶けるくらい痛いし、心拍数が跳ね上がるし、血流が良くなりすぎて、全身が
真っ赤になるし、一時はけいれんまで起こして意識が遠のいた。
でもどうにか持ちこたえ、その後は……逆流。ひたすらに逆流。
それでエースに介抱のため、ホテルに連れて行かれた。
文句は言えなかった……。

でもエースは相変わらずの笑顔で薬を飲ませ、洗面器を取り替え、トイレに誘導し、
背中をさすってくれた。まあ最後あたり、その笑顔も疲れ気味だったけど。
「ご奉仕してもらうはずだったのに、俺が君に奉仕することになっちゃったな」
洗面器を片づけ、戻って来たエースはあははと笑い、私の横に寝そべる。
「面目ございません……」
落ち込む私の背中をなでなでするエース。そして思い出したように、
「あ、そうだ。カフェの店長さんが、無料珈琲券くれたぜ?」
「え?あれだけご迷惑をおかけしたのに?」
いい人だなあ。絶対に常連になろう。
「飲み過ぎは良くないけど、今後ともごひいきにってさ。
それとも、もう珈琲なんて見たくもない?」
「いります……」
目の前でヒラヒラと揺れる、無料券の薄い束をガッシと握る。
嬉しくて頬ずり。
「……君、本当に珈琲が好きなんだな」
無料券を大事にふところにしまうと、エースに横から抱き上げられた。
そしてエースのお腹の上に乗せられる。
「ちょっと、エース……」
恋人でもないのに馴れ馴れしい真似をされ、ムッとする。
でも不調すぎる身体は抵抗命令を拒んだ。エースは私の首筋にキスをし、
「メイド君、もしかして珈琲を淹れるのが得意だったりする?」
「いいえ。飲む方専門です」
否定してやる。けどエースは私の髪をなでながら言う。

「嘘だ」

「……っ!」
見透かされ、ぎくっとする。間近の緋色の目が、私を逃がさない。
「君は一杯一杯の珈琲の味を細かくメモしていた。専門用語も使った。
第一、ブレンドまでわざわざ聞くのは、淹れる奴のすることだ」
「…………」
これに関しては言い訳は不可能、とあきらめ、力を抜いてエースに体重を預ける。
「本当は淹れるのが大好きです……でも、今は優雅に珈琲を飲む余裕がなくて」
「ふーん。それで一気に飲んじゃったのか。でもほどほどにした方がいいぜ?」
「はいです」
……思い返せば返すほど、アルコール依存症みたいでしたね、私。
久々の珈琲に理性が吹っ飛び、エースに大恥をかかせてしまった。猛反省しないと。
そんな私のお尻をさわさわと撫でながらエースは……お尻?
「ちょっと!変な場所を撫でないでいただけます!?」
「ん?落ち込んでるみたいだから慰めようかと」
「結構です!それより、もう寝かせて下さい!」
けど聞いちゃいない。
「君といれば退屈しなさそうだと思ったけど、本当に期待を裏切らない子だよな」
迷惑をかけられたのに、逆に嬉しそうに言って、手を離すどころか、ウエストの中に
手を忍ばせようとする。
「……っ!」
「君を慰めさせてよ」
「お断りします。これ以上やるなら、すぐに帰ります!」
腰を必死に押さえて敵の手を妨害する。
でも彼は止めない。ニヤニヤと、手を中に……。
あ……お腹を下にしてたものだから、また吐き気がしてきた。
「う……」
顔色を青くして口を押さえると、エースも、
「あ……ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺の上に吐くのはちょっと……!」
大慌てになって飛び起きてくれた。
かくして、夜のご奉仕は無事にお流れになったのでした。

…………

そして休息を取り、時間帯が何度か変わったころ、どうにかカフェインが抜けた。
「どうも、お騒がせいたしまして……」
げっそりして、ご不浄から出た私はベッドのエースに頭を下げる。
エースは爽やかな笑顔で私を手招きし、
「よし、それじゃあ君の調子も完全に治ったし、改めてご奉仕を……」
「今は昼です、ご主人様。さあ、大冒険とやらに出発しますよ」
私は冷酷に言うと、エースの手を引っ張り、ベッドから引きずり下ろした。

何もせずホテルを出るのがよっぽど不満なのか、ホテル前でエースは未練がましく、
「いやいや、俺は騎士だから、情熱的に君が望むなら昼間だろうと関係なく……」
「ええ、ええ。昼間だろうと野外だろうと関係なくね」
前の世界においてイヤというほど心当たりがあるので、つい嫌味っぽく言うと、
「ええ!?君、そういう属性があるんだ!?ますます気が合いそうだなあ。
じゃあ、さっそく見晴らしのいい草原で……」
待て。何で『見晴らしがいい』場所になる。
そして何だって、ホテルのときより嬉しそうな顔になりますか、あんた。
「いえいえ。草原ならホテルの方がまだマシというか」
「それじゃ、さっそく行こうぜ、愛し合いに!」
昼間から爽やかに何をほざきやがる。
というか、この流れだと、例え今を乗り切ったとしても旅先で油断した隙にヤラれる
予感がひしひしとする。経験的に抵抗は難しいだろうなあ。
――もう本当に帰りますかね……。
騎士はお礼をしたいという、こちらの好意に堂々とつけこむ人だ。
もうエリオットのところに帰り、騎士には本当に大根を贈ってやろう。
「で、メイド君。次のホテルはどこにする?」
「いいえ、もうあなたとは……」
ズルズルと引きずられながら決意を固めていると。
「……次のホテル?」
声がした。

振り返ると、スーツ姿のエリオットがこちらを見ていた。

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