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■ハートの城へ

それからしばらくした時間帯のこと。
私は晴天下、麦わら帽子をかぶって畑仕事をしていた。
「おーい、ナノっ!!」
息を切らして走ってきたエリオットは、畑にいる私に勢い良く言った。
「ナノ!いい知らせがあるぜ!」
「エリオット、パン下さい、パン」
私はお茶の木の雑草を抜きながら手を出す。
「…………」
「あ、失礼しました。いらっしゃいエリオット。パン下さい、パン」
「……いや、俺も人のことは言えねえけどよ。どれだけ食い物に執着してるんだ、
おまえ……そのうち太るぞ」
チクッと刺す言葉は聞かないようにして立ち上がると井戸で手を洗い、エリオット
から食料の袋を受け取る。
「で、良いお知らせとは何ですか?」
畑のわきでニンジンブレッドをかじりながらエリオットに言う。
エリオットは『おう!』と得意そうに私に、

「ブラッドがおまえに会ってやってもいいってさ!
上手く行けば屋敷入りが許可される!俺の部屋に一緒に住めるぜ!」

ニンジンブレッドが私の手の中から落ちた……。

「い、いいいえいえいえ!!!!わわわわわたくしごとき顔なしがマフィアのボスに
お目もじつかまつるなど恭悦至極に存じますれば卑賤なる身にはご遠慮したく……」
「は?何ワケの分からねえことを言ってるんだよ。
おまえはいちおうNO.2の女なんだから、ボスに会ったっておかしくねえだろ?」
「いえ、その。組織のボスが部下の女に会うのは……」
こういった組織では、場合によっては非礼になるはずだ。
するとエリオットは難しい顔で腕組みする。
「でも、おまえはブラッドを恨んでるって、一度言ってるからなあ。
今は別にそんなことはねえんだろ?おまえから恨み言は聞いたことがねえし」
「ま、まあ……」
この点に関して、エリオットはずっと私を信じてくれていたらしい。
「会合のときはブラッドも苛々してて、おまえに会ってくれなかった。けど『どう
ひいき目に見てもブラッドの首を狙えるタマじゃねえ』って何回も説得したんだ。
そしたら、とりあえず会ってみて、特に何もなければ屋敷内に住んでいいってよ!」
「…………」
私はそわそわと、ニンジンブレッドをかじる。
緊張してると思ったのか、エリオットは私の頭を撫で、自信たっぷりに、
「何も面接に行くわけじゃねえんだ。お膳立ては俺が全部やる。
おまえは何も話さなくていい。ボスの部屋に入って、頭を下げればいい」
うう、想像するだけで胃が痛いです!
「そうしたらブラッドがおまえを見る。どう見ても人畜無害だ。たいそうなことを
企んでる顔じゃねえ」
ま、まあ、実際に何も企んでませんが……。
「おまえを無害と判断したブラッドは、おまえにうなずいて、立ち去るように手を
はらう。それだけで終わりだ!その後で俺の部屋に行って二人で……な?」
意味ありげに笑う。最初から手を出して来なかった理由はそれですか貴様。
「まずは、ちゃんとしたメシ食って、二人で風呂に入ろうぜ。ここじゃ井戸の水を
引っかけるだけだっただろ?大浴場に行こうぜ!な、嬉しいだろ?」
ニコニコと立ち上がり、私の手を引っ張って起こそうとする。
まあ大浴場自体は嬉しいけど……。

問題がありすぎる。
バレるのだ。余所者だと。
マフィアのボスが一目見た瞬間に。

隠す……私が余所者ということは隠し通してみせる!

「さ、行こうぜ!一時間帯後には俺の部屋だ!もうこのボロ小屋とはお別れだな!」
「……あの、エリオット。大変申し訳ないのですが……」
空になったパンの袋を片づけ、頭を下げる。

「実はエース様のお手伝いに、ハートの城に行こうと思うんです」

「……あいつの手伝いに?」
エリオットはみるみるうちに不機嫌になって、私を見下ろした。
命を助けてもらった礼に、ときどきエースのメイドとして手伝いに行く。
それは私の方から言い出したことで、エリオットも承知したはずだ。
時間帯も経って、こちらの状況も落ち着いた。一度会いに行きたいのは本音だった。
「き、許可して下さったのはエリオットでしょう」
上目づかいにエリオットの顔色をうかがう。
「まあ、それはそうだけど、あのときはおまえに負い目があったから……」
と言って気まずそうに言葉を切る。苦い物が胸をかすめたようだった。

井戸の件をきっかけに、私とエリオットの関係は改善傾向にある。
抱きしめられて強ばることがなくなり、夜は安心して眠れるようになった。
エリオットは凶行の埋め合わせをしようとしているのか、何かと優しくしてくれる。
彼のしたことは許せないし、彼が怖い。でもエリオットには命を救われた恩もあり、
関係は簡単に切れなかった。私はエリオットへの恐怖心を減らそうと、普段は普通に
ふるまうように努力した。

それが功を奏し、互いに普通に接することが出来るようになっていって。次第に、
険悪な過去は『なかったこと』としてどちらも触れないようになっていった。
それはいつしか、私とエリオットの間の暗黙のルールになる。
でも負の遺産として、たまに顔をのぞかせるのだ。今のように。

エリオットは私を立たせて向き合わせる。
「俺自身が許可したことだ。今さら取り消しは出来ねえ」
そして私に唇を重ねる。触れるだけの、でも熱いキス。
「だけど覚えておけよ……おまえは俺の女だ。騎士に手を出されたら、俺に言え。
もう恩返しなんてどうでもいい。俺が落とし前をつけてやる!」
「は、はい……」
うなずいた。
というか、なし崩しにエリオットの女にされてるけど、マフィアの女ってやっぱり嫌
なんですよね、私。
自立出来ない今はエリオットに頼って生きるしかないんだけど、彼の女にならず、
今のまま働き続けることはできないんだろうか。うーむ。

そして私はエリオットに何度も頭を下げ、帽子屋屋敷を後にした。
留守の間の畑は、領土内の農場の人が見てくれるらしい。
「畑のこと、お願いしますねー!」
「早く帰って来いよ!すぐにブラッドのところに行くんだからな!」
姿が見えなくなるまで、門のところでエリオットは怒鳴っていた。

――帰ってくるまでにエリオットが忘れてくれてるといいんですが。

肩を落とし、私はハートの城に向けて歩き出した。

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