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■休息と帰還・下

良く晴れた青空だった。
私は帽子屋屋敷への道を、エースと一緒に歩いている。
といってもエースを先頭にすれば迷うから、私が先に立っている。
「で、何であそこまでひどいことをされたのに、戻るんだい?」
「そうですね……」
愚かの極みだ。とりあえず危険から身を遠ざけ、じっとしているべきだろう。
「でも、逃げて逃げて、それでまた逃げても、結局苦しくなるだけなんですよね」
けなげなキャラを演じる気はない。逃げられるものなら逃げている。
でもエースのメイドになったところで、危険な状況に変わりはない。

だいたい、この国は狭い。その中で帽子屋ファミリーという勢力の一角に睨まれ、
時計塔が来るまで、無事に過ごせるとは思えない。
領土にこもっているならいいけど、エースは最悪の放浪癖なのだ。
エース付きのメイドになれば彼にお供するしかない。
国が変わるまで、エースが領土にとどまるなんて不可能だろう。
ならクローバー塔に隠れ住まうのは?ご存じの通り、あそこは会合の場所。
外部の者が普通に入ってくる。前の世界のこともあり、補佐官殿や夢魔にはあまり
迷惑をかけたくない。
そして何より重要な一点。

エース本人が一番危険だ。下手をしたらエリオットを上回るほどに。

結局、彼のメイドになるのも、帽子屋屋敷に戻るのも、危険度は同程度と判断した。
あとは帽子屋屋敷に戻り、エリオットの仕打ちに耐えるしかない。
……ということを、(失礼になる箇所は省き)かいつまんでエースに説明すると、
「ふーん、顔なしも大変なんだな」
エースは他人事だ。まあ、私のために放浪癖を改めるとは思ってなかったけど。
「君は可哀相な子だ。助ける気がときどき失せるくらい、ね」
怖いことを言って片目をつぶる。
呆れはてたとも取れるし、より不幸になる姿を見たい、とも。
……どっちも最悪だ。
「でも、エースにはご恩があります。可能なら、ハートのお城でときどきお手伝いを
したいとエリオット様にお願いしてみます」
エースはニコニコと笑顔で、
「俺も是非そうしてもらいたいけど……許可してもらえるのかい?」
「ええと、多分……」
「……ふーん」
「…………」
やがて道の向こうに帽子屋屋敷の門が見えてきた。

双子はまたサボりなのか、姿が見えない。
「それではエース。送って下さって本当にありがとうございました。
必ず、あなたのメイドとして、お手伝いに馳せ参じますので」
「あはははは」
エースは笑って私に軽く唇を重ねる。そしてすぐに離れ、
「頑張ってエリオットを骨抜きにしてくれよ。君の不幸を祈ってるぜ」
おいコラ、今なんて言った!
でも鉄拳を突き出したくとも、エースは口笛を吹いて去って行くところだった。
一度も振り返らず歩き、ごく自然に道を外れ……ズボっと落とし穴にハマる。
「わ……っ!ちょっとメイド君!助けてくれよ!」
「本当にありがとうございました……エース」
私はエースが消えたあたりに深々と頭を下げる。
「必ずお手伝いに行きます」
「いや、出来れば今手伝ってほしいんだけど……」
そして帽子屋屋敷に向かい、歩き出した。後ろを振り返らず。

「あの……助けてくれないかな、メイド君……」
嘆く声は軽やかに無視して。

…………
「あら〜おかえり、ナノ〜」
裏口で久しぶりに見た使用人さんたちは、私の帰還に驚きも呆れもしない。
戻って来て当たり前といった顔だった。シビアだなあ、本当。
「お腹空きました。パン下さい、パン」
こっちも拍子抜けして、いつも通りに言ってしまう。
「うふふ〜相変わらず食いしん坊さんね〜ナノは〜」
普通にパンの入った袋とスープの缶をくれた。
もしかして、エリオットは態度を軟化させたんだろうか。
私にしたことを悪いと思って、反省してくれてるとか?
「エリオット様にナノが戻って来たとお伝え下さい。また来ますですね」
少し明るい声でそう言って、裏口に背を向ける。
そんな私に使用人さんたちの声がかけられる。
「エリオット様なら〜あの小屋でずっと寝泊まりしてらっしゃるわよ〜」
「また生きて会えるといいわね〜」
「さよなら、ナノ〜」

…………おまえら、絶対化けて出てやるからな。

小屋に向かう途中、草むらに座ってパンを食べた。
いえ、前回ダメにした経験があるので食っておこうと。
く、食い意地張ってませんよ?
うう、最近ハートの城の美味しいパンばっかりだったので味気ないよう。
帽子屋屋敷のニンジンブレッドも、また食べたいなあ。
そして私は青空を見上げた。
きれいだ。本当にきれいな空だ。

一瞬でも、今から帽子屋屋敷を出て、エースのメイドにしてもらおうかと考えた。

――エリオット……。

胸の中で、金色の麦の穂が揺れる。
私の名前を最初に呼んでくれたエリオット。
麦畑で倒れているのを助けてくれたエリオット。
私が心配だと塔まで連れて行って、ブラッドに話を通してくれたエリオット。
私の畑を褒め、一緒にニンジンを食べるのが楽しみだと笑っていたエリオット。

――嫌いに……なれない……です。

涙がポロッとこぼれた。
私への扱いはとても享受できない。でも今さら話し合いなんて出来るんだろうか。
撃たれるか閉じ込められるか押し倒されるか。
それでも、もう一度エリオットに会いたい。
私は顔を伏せ、とぼとぼと歩いて行った。

…………
やがて時間帯が夕刻に変わる頃、あの丸太小屋が見えた。
エリオットはいた。
小屋の前の階段に座り、ぼんやりと畑の方を見ている。
どこか疲れ、やつれた顔だった。
こんなときだけど、耳が垂れているのがとても可愛い。

「エリオット」
私は彼にそう呼びかけた。

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