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■顔なしの余所者・下

そしてエースはわざとらしく肩を落とし、エリオットに言う。
「じゃあ、交渉しようぜ、エリオット=マーチ。
この子を譲ってくれるなら××××地域の警備を一時的に手薄にしてもいい」
え?何を言ってるんだろう。
するとエリオットの目に、考える色が浮かんだ。
「××××か……確かに、あのあたりは潰したいな……」
「だろ?ハートの城の領土だけど対向ファミリーの本拠がある土地だ。
でも帽子屋さんに勢力拡大されちゃ困る女王陛下が、あそこの警備強化を命じてる。
だから君らは、どんなに奴らを潰したくても、なかなか入って来られない。
そこで俺が軍事責任者の権限で、一時的に警備を引く」
「で、俺らが潰せる、か……悪くないな。ブラッドの喜ぶ顔が目に浮かぶぜ」
エリオットがニヤリと笑う。それはマフィアのNO.2の顔だった。
頭の中では陰謀の計画が進んでいるようだった。
当事者の私を置いて話が勝手に進んでいく。
「あ、あの……私は、私のいたい場所は……」
おずおずと声を上げてみる。けど、

「顔なしは黙ってろ。これは役持ち同士の話し合いだ」

あのエリオットが私を見ずに冷たく言った。エースも同調する。

「そうだぜ。役無しカードが、役持ちと同じテーブルに混ざろうとか、主人に恥を
かかせる真似をするもんじゃないよ」

「……っ!」

……ぞわっと鳥肌が立った。
私はエースと遊んだけど、だからといってエースのメイドになりたいわけではない。
帽子屋屋敷で今まで通り暮らしたい。
でもエリオットもエースも、そんな私の希望を確認しようともしない。
いや、聞くことさえ思いつかないようだった。
彼らは私の頭上で、物でも何でもない私の譲渡について、平然と話し合っている。
さっきまで私とダンスをしたハートの騎士、麦わら帽子をくれたエリオット。
目の前の彼らは本当に同じ人なんだろうか。

…………
私は花かんむりを全て外し、手押し車の近くに座って膝を抱えている。
交渉はまだ続いている。
「兵士の警備を軽くするのは×時間帯だけ。それ以上は譲れないな。調子に乗って、
君らに他の領土まで侵略されたら、俺は陛下に首を斬られちゃうよ」
「そんなことしねえって。だから××時間帯に延ばしてくれ。どうせ、あんたは顎で
命令して、それで終わりなんだろう。こっちはいろいろと……」

本当に、この話し合いで、私はエースに譲り渡されてしまうんだろうか。
ありえない、許されることじゃない。
逃げなければいけない。分かっている。
でも、逃げたところで行き場はない。それとも夢魔に泣きつき、今さら身分を明かし
客扱いされ、ずっと何もせず、ぬくぬくと生きる。それでいいのか。
でも、前の世界よりひどい扱いを受けるため、扉をくぐってきたわけじゃない。
ただ私を拾ってくれた不思議の国で、ひっそりと生きたかっただけなのに。

――帽子屋屋敷を出たくない……。

涙がこぼれる。
自分で耕した畑、古くて小さい小屋、親切な使用人さんたち、私を気にかけてくれる
大切なエリオット。
別れたくない、離れたくない……。
交渉の行方を聞くのが怖くて、私は膝に顔をうずめた。

…………
「……おい、帰るぞ」
ハッとして顔を上げた。
エリオットが私を見下ろしていた。
「え、エリオット!?」
慌てて立ち上がる。周囲は夕刻の時間帯になっていた。
いつの間にか、うたた寝していたらしい。
「あ、あれ、エースは?」
キョロキョロとあたりを見るけど、
「フン、あの騎士についていきたかったなら残念だったな。交渉は決裂だ」
「……決裂?」
聞いた言葉が信じられない。もう少しでまとまりそうな感じだったのに。
「兵士の警備を引き払う時間帯について、×時間帯か××時間帯かで、最後まで
平行線だった。あいつはあきらめて帰ったぜ」
エースが去ったらしい方向に、忌々しげな視線を送るエリオット。
――よ、良かった……本当に良かった……。
安堵でまた泣きそうになる。あの不便な小屋に、一刻も早く帰りたかった。
「ナノ」
「…………」
そしてエリオットに名を呼ばれ、私は止まる。
エリオットは何か言いかけては口を閉じ、結局何も言わない。
仕方なく、私の方から話し出した。
「あ、あの、エリオット……あなたは、本当に、わ、私を……」
エースに譲るつもりだったんですか?
私を取り戻そうとエースに銃を向けてくれたあなたが、同じ口で私の譲渡について
エースと交渉した。それは本心からですか?何か考えあってのことなんですか?
声が震えている。私は怯えた表情でエリオットを見上げた。

「……騎士の提示した条件は悪くなかった」

ポツリとエリオットが言う。私はびっくりしてエリオットを見上げた。
「ニンジン畑は惜しいが、騎士といるおまえは本当に楽しそうだったし、あの様子
なら、騎士もそうそう、ひどく扱うことはないだろうと思った。だから、おまえを
譲る方向で交渉をまとめようとしたんだ。だけど俺が去った後で、無理やりあいつに
抱かれるおまえを想像したら、どうしても……」
「ちょ、ちょっと、ちょっと、ちょっと、エリオットっ!!」
何つう図を想像してるんですか!
というか、無理やり襲われる時点で十分ひどいわ!
「私はエースなんて大嫌いです!ハートの城に移る気はこれっぽっちもありません!
ずっと帽子屋屋敷に置いていただきたいですっ!」
全力で叫んだ。冷や汗がドッと出る。でもエリオットは解せないといった顔で、
「なら、何であいつと一緒にいたんだ?おまえを狙ってる奴なんだぞ?
無理やり連れて来られたって感じじゃなかったし、楽しそうだったじゃねえか」
「それは……」

お茶の木だ。

ツバキだと嘘をついているけど、本当はエースにいただいた、お茶の木。
精神的にヘタレな自分は、毅然として贈り物を拒む、ということをしない。
喉から手が出るほど欲しいものを目の前に出され、あっさり受け取った。
そしてエースに、さっさと警戒を解いてしまった。

我ながらバカです……。

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