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■三月ウサギの怒り

帽子屋領土の一角にある小屋では、三月ウサギの怒声が響いていた。
「ナノ!誰に何をされたんだっ!!」
「で、ですから。本当に何もされてませんから……」
私は自分が怒られている気分で、椅子に縮こまる。
「いいから言えよ!どこの人間だろうと、俺がシメてきてやるっ!!」
今にも銃を取り出しそうだ。
というか、エリオットの怒りがすごい。
所属の者を傷つけた奴が許せない、という村意識だか仲間意識だかなんだろうか。
そこまで受け入れてくれたのだとしたら嬉しいんですが。
「ナノ!」
「いえですから……」
「いいから!」
「あの……」
……とはいえ、エリオットは教えろ教えろと、とにかくしつこかった。
ついに私も根負けする。

「その、帽子屋屋敷の外にちょっと出かけまして、そこで……」
「何の用だったんだ?買う物があれば俺に言えって言っただろ?」
返答に困る。エリオットはどうも私に、自分の境遇を重ねてるフシがある。
お腹がすいて、なんて言ったら、使用人さんを撃つ可能性もゼロではない。
「ずっと農作業をしてましたから、種まき前にちょっと散歩をと思って……」
「…………」
あ。エリオットが黙った。え、もしかして嫌味っぽい発言でした?
「で、クローバーの領土に行く途中の道で、ちょっと絡まれちゃって……」
「おい、てことは……おまえ、まさか……っ!」
エリオットが青ざめて私の身体を見る。待て待て待て。何を想像した!
「されてません!されてません!ちゃんと逃げてきましたから!!」
自分の名誉のためにも、その一点は全力で否定する。
「ほら、顔のどこにも傷がついてないし、服も変なシワはついてないでしょう?」
「……ああ、そうだな」
やっと肩の力を抜いてくれた。
「……で?」
「へ?」
「未遂でも同罪だ!相手は誰だったんだ!どこの領土の奴だ!?」
すごまれた。いえ私にすごまれても。
「わ、分かりませんよ。見たこと無い服の人でしたから」
エースの名は出さないでおこう。領土間の関係とか、ややこしい事態になる。
「そうか……」
けれどエリオットはまだモヤモヤしてるのか、しばらくブツブツ言い、顔を上げる。
「そうだ。おまえ、まだ銃を持って無かったな!俺が悪かった。
よし、今から護身用の銃を一緒に買いに行こうぜ!」
と立ち上がる。私は背筋が凍った。

「い、いえいえいえいえ!いりません、いりません!銃はいりません!」
「大丈夫だって。おまえみたいなトロい奴でも使えるのを買ってやるから」
「いりません!お金がかかります!これ以上のご迷惑は……!」
「迷惑料はニンジンで返してくれればいいって。さ、行くぞ」
ンな不均衡すぎる等価交換があるか。
「いいんですよ。しばらく帽子屋屋敷から出ませんし!」
「屋敷内で銃を使うことだってあるだろう!」
いえ、それ、あなただけですから。
「人を撃ったりするのは嫌なんです!」
「は……なんだって?」
するとエリオットは動きを止めた。私が理解出来ないという顔をした。

「何でだ?ならどうやって自分を守るんだ?また襲われてもいいってのか?」
私はしばらくどう返したものか迷った。そして言う。
「自分の選択には責任を持ちます。とにかく、人を撃ちたくないんです」
「誰かに撃たれてもか?襲われてもか?」
「…………」
しばらく考え、言葉を紡ぐ、
「私は、命を軽く考えることが出来ないんです。エリオット」
「身を守れなきゃ、好きにされるぞ?いいのか?相手を許すのか?」
「まさか。襲われるのも撃たれるのも嫌です。だからそういうときは逃げます。
ひたすらに、なりふり構わず、みっともなく、愚かしく。
でも誰かの時計を止めるくらいなら、逃げた方がいいです」
するとエリオットが眉をひそめ、グシャッと金髪を手でかきむしる。
「理解出来ねえ。他の奴の時計が大事ってことか?あんな軽いものが?」
「軽い?」
「ああ、そうだ。例えば俺の時計なんか、吹けば飛ぶ軽さだぜ」
そう言って自嘲気味に笑う。
うーん。価値観の違いだなあ。何とか分かってもらえないだろうか。
私は椅子から立ち上がり、エリオットの胸に手を伸ばす。

触れた瞬間、なぜかエリオットがビクッと身じろいだ。
指先から時計の音がする。
なぜ入っているか未だに分からない謎の音。
私はそれに耳をすませる。
「軽くなんかないですよ。あなたの時計は、私には重すぎます」
「俺の時計が、重い……?」
「ええ。とても」

しばらく沈黙があった。そして苦笑する気配。
「変な奴だな。そんなんでよく生き延びてこれたもんだ」
うん。何をされても不思議の国の人たちを嫌いになれない……約一名をのぞき。
けど、だからこそ、私は不思議の国に来られたのかもしれない。

殺気立っていたエリオットの空気がようやく和らぐ。
「とにかく、襲った奴が分かったら俺に言え。帽子屋ファミリーの奴に手を出した
ことを後悔させてやる。×××××にして××××××にしてやるからよ」
「えーと……どうも……」
ま、まあ、ファミリーの一員として扱われているのは、嬉しいかな。
「けどまあ、理解は出来ねえが、ほんの少しは分かる気もするぜ」
「え?何がです?」
「時計の重さの話だ。俺はおまえほど博愛主義じゃないが、ブラッドや昔のダチの
時計なら、確かに他の奴に比べて重いな」
「…………」
エリオットは温かい目で私を見、
「おまえの時計も、ちょっとは重いかもな……」
そう言って私の胸に手を伸ばそうとし、

「止めてっ!!」
私はパシッと、エリオットの手をはねつけた。

「え……」
空気が止まる。
さっきまでの雰囲気が一瞬で霧散し、エリオットは呆然とした顔で私を見ていた。
拒まれるなんて思ってもみなかった、という表情だ。
そしてエリオットはすぐハッとした顔になり、
「あ、ああ。そうだよな。おまえ、ひどい目にあいかけたから、怖いよな。
本当に悪い。何かしようと思ったわけじゃ無いんだ。
おまえの話を聞いてたら、むしょうにおまえの時計の音を聞きたくなって……」
……三月ウサギの感情は実に分かりやすい。
平静を装っているけど耳が垂れている。
こんなシーンですが、ちょっと可愛い……。
「いえその、あの……私こそごめんなさい……」
「いや、いい。当然だ」
「…………」
胸に手を当てられたら心臓の音でバレてしまう。
エリオットは未だに私を、少し変わった顔なしだと思っている。
私は変な注目を集めずひっそり生きていたい。
もう黙って、うつむくしかなかった。

「じゃ、俺、そろそろ仕事だから帰るな」
エリオットが私に背を向ける。
一瞬、嫌われたかと心配になった。
でも扉を出る直前、いつもの笑顔で私を振り返る。
「そのうち聞かせてくれよな、おまえの時計の音」
「は、はあ……」
「じゃ、ニンジン栽培、頑張ってくれよ」
「はい!」
エリオットは笑いながら扉を開け、出て行った。

……えーと、耳が垂れたままで。

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