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■騎士との最低な出会い・上

その朝の時間帯。
私はついにニンジンの種子をもらい、種まきを開始する予定だった。
……が。

「え……これだけですか?」
驚いて叫んでしまった。帽子屋屋敷の裏口で渡された種子は、エリオットが用意する
と言っていた十分の一以下の量だった。
「これじゃ少なすぎますよ!種まきは一斉にやらなきゃいけないのに……」
本当に家庭菜園レベルの量だ。苦労して耕した土地の大半を遊ばせるハメになる。
「エリオット様がニンジン畑を作るおつもりだってボスのお耳に入ったんだよ〜」
裏口で応対した使用人さんは、すまなそうに言う。
なるほど、それでニンジンの種をごっそり取られたのか。
「いいじゃないの〜。あなただって、たくさん働かなくてすむわよ〜」
勤労意欲の低い他の使用人さんも、そうおっしゃる。
「でもですねえ……」
「エリオット様は、おまえがお気に入りだから、もう少しサボっても大丈夫だよ〜」
お気に入り。そうなのかな。まあ忙しい仕事の合間にちょくちょく来てくれるけど。
「とにかく〜、屋敷じゃこれだけしか出せないんだ、ごめんな〜」
「あ、はい。分かりました……」
使用人さんに頭を下げる。
「あ、ナノ。それといつものご飯を渡すわね〜」
「はい」
「うふふ〜頑張ってるから、ちょっとサービスしたわよ」
「ありがとうです」
使用人さんは、パンの入った紙袋とスープの入った缶を渡してくれた。
余所者効果が発動してきたのか、最近は少し多めに入れていただけている。
私はありがたく受け取り、帽子屋屋敷を後にした。

…………
「とりあえず、他の作物を植えるにしろ、足りないニンジンの種を街で買うにしろ、
どうするか考えないといけませんね……エリオットに相談しますか」
私は一度小屋に戻り、もらったパンを一食分片づけ、外に出る。
そのとき『ぐ〜』と腹の虫がなる。
「……お腹が空きました」
うう、食べたばかりなのに。少し量を割り増ししてもらっているのに。
重労働の割に、食事量が少なすぎるんだ。
「……街に何か買いに行きますかね」
エリオットの金を使いすぎるのは気が引ける。
でも腹が減っては戦が出来ぬ。体力もニンジン栽培に必要だ。
私は立ち上がり小屋の外に出た。
庭園を歩き、特に誰とも会うことなく門に至る。
幸い、恐怖の双子はサボっていて不在だった。
「さてと、出ますか」
私は門をあっさり越え、街への道を……

「あれ?また迷っちゃったかな」

……この世界では初めて聞く、聞き慣れた声がした。

赤いコートの騎士さまが、帽子屋屋敷の門を見上げ、困った顔をしていた。
「…………」
私は騎士を一瞬だけ見る。
その一瞬で『バチッ』と音がしそうなほど見事に騎士さまと目があった。
私はすぐ視線を地面に戻す。
――私は顔なし、顔なし、顔なし……。
呪文のように言い聞かせエースの脇をすり抜けようとし、
「ちょっと君」
「っ!」
ガシッと手首をつかまれた。

「何でしょうか。私は一介の使用人ですので……」
「俺、ハートの城に行こうとしたんだけど、何でだかここに来ちゃったんだ。
悪いけど、城まで案内してくれないかな」
……他の領土の人間に。図々しいにもほどがあるだろう。
「申し訳ありませんが、私はクローバーの塔の方へ向かいますので」
頭を下げて騎士の手を振りはらい……騎士さまの力が強くて振りはらえません。
「君、帽子屋屋敷の人?」
「ええ、最近雇われた者ですので……あの、離していただけませんか?」
離してもらえない。そして騎士の視線を感じる。じーっと私を見ている。
「っ!」
手首を引っ張られたかと思うと、騎士の方を向かされた。
そして騎士の別の手でクイっと、あごを持ち上げられた。
「…………」
久しぶりに間近で見る、ハートの騎士エース。
前の不思議の国ではろくな扱いを受けなかったものだ。
「君……誰?何か、普通の顔なしと雰囲気が違うような気がするんだけど」
まずい。違和感を抱かれている。
「普通の顔なしですよ。裏通りで育ち、帽子屋ファミリーに拾っていただきました」
「君がマフィア?何か、それらしくないけど……」
「構成員ではありません。下っ端の下っ端。雑用です。
屋敷の一角で、エリオット様にお出しする野菜を作っています」
「……ふーん。まあ、確かにちょっと土の匂いがするね」
疑いは何とか晴れたらしい。
手首を拘束していた手が離され、あごを支えていた指が外される。
私はホッとして、エースに頭を下げる。
「それでは私はこれで」
「うん。エリオット=マーチによろしく」
ハートの騎士は爽やかな笑顔で手を振った。
そして私は騎士との最初の出会いを無事にやりすごした。

……はずだった。

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