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■帽子屋屋敷の新しい住まい

やがてブラッドが言った。
「ふむ。それなら紅茶を淹れた犯人は、女王の手の物だろうな」
……え、そうなるんですか?
「そ、そうなのか?」
「ああ。姑息にも我々の紅茶を盗みに入ったが、私の紅茶のあまりの品揃えに吃驚し
つい盗みを忘れ紅茶を淹れてしまったというところか」
「…………」
――いや『ところか』じゃないでしょう、ブラッド……。
そんなグルメ漫画に出てくるような繊細な強盗がいるかっ!
しかし紅茶に関しては相変わらず頭のネジがゆるいボス。
引っかけなどではなく、本当にそれで納得されたらしい。
「紅茶に我を忘れて去るとは風流なものだ。
この腕前なら帽子屋屋敷に引き抜きたいものだが」
ボスはいたく満足されたらしい。
「え、え、ええと、さすがブラッド!か、必ずそいつを捕まえるからな!」
他ならぬブラッドの言うこととあって、エリオットも同意した?ようだ。
そこでブラッドが紅茶を飲み終わったらしく、カップを置く音が聞こえる。
「ええと、それでブラッド。さっきの話なんだけど……」
エリオットは気まずく言った。私は息をひそめ、成り行きに耳をすませる。
「あいつの処分は取り消せねえか?麦、食ってるけど、多分いい奴なんだ」
……どういう取りなし方ですかエリオット。あと『多分』て。

ブラッドはしばらくの沈黙ののちに言った。
「この至福の一杯に免じておまえの遅刻は不問にしよう」
「やったあ!ありがとな、ブラッドっ!!」
エリオットの歓喜の声。
「ハートの城の下手人に感謝することだ。
それに私としても、時間や会合に縛られるなど、屈辱以外のものではないからな」
「じゃあ、あいつに会ってやってくれよ。部屋は屋敷の、俺の部屋の近くに……」
「必要ない」
高揚したエリオットを、ブラッドの冷ややかな声がさえぎる。
「え?何でだ?ブラッド」
「おまえには思い入れがあるだろうが、私にとってはタダの無能な顔なしだ」
ブラッド。興味がないと、本当に言動が容赦ないですね。
事実とは言え、ぐっさり傷つくなあ。
「そんな顔なしに会う必要などない。聞けば勝手に私を恨んでいるそうじゃないか。
私もあえて寝首をかかれる趣味はない。その顔なしをおまえの部下にするのは許す。
だが屋敷への立ち入りまでは許可しない。離れにでも住まわせろ」

『離れ』。この場合、屋敷とは別の場所に建ててある建物のことだろう。
帽子屋屋敷は領土が広く、役持ちや精鋭の部下が詰める本邸の屋敷のほかに、大小
さまざまな建物や施設、農場があり、いわば一つの荘園を形成している。
私は本邸ではなく、屋敷から離れた適当な場所に住まなければならないようだ。
「わかったぜ……ブラッドがそう言うなら屋敷には置かない」
それを聞いて私はホッとする。これでブラッドと私の接点はほとんど無くなる。
それなら、私もあえて帽子屋屋敷から出て行くことなく、この世界で生きていける。
その後はエリオットもブラッドも私という『顔なし』の話題から離れ、会合のことや
マフィアの物騒な仕事についての話を始めた。
――本当に良かった。全部エリオットのおかげですね。
私は安心し、エリオットに感謝しながら布団に丸まった。

…………

それからしばらくして、私は帽子屋屋敷の領土をエリオットについて歩いていた。
天気はいつもどおりの快晴。草原がきらきらと波打ち、草花が風に揺れている。
私はエリオットが用意してくれた、日用品の手荷物を持っていた。
でもまあ並んで歩かない。
ブラッドの許可(?)っぽいのが出たこともあり、私は末端の末端、いや所属してる
かも怪しいけれど、どうにか帽子屋ファミリーの下っ端の下っ端になれた。
エリオットは、私を拾ってくれた命の恩人であり上司だ。
そしてエリオットは今までと変わらない笑顔で私を振り返る。
「ここだ。屋敷から少しあるけど、門番どももここまでは悪さしに来ないだろう」
「え……あそこに私、住むんですか?」
「悪い。どこも満杯でここしか空いてないんだ」

てっきり使用人の詰め所にでも住まわされるかと思っていたので驚いた。
エリオットがさしたのは草原の中にあるコテージだった。
コテージ。丸太を組み合わせて作られたカントリーテイストただよう小さな家だ。

……と言えば聞こえはいいけど実際、私の目の前にあるのは『山小屋』だ。

周囲の草はぼうぼうで荒れ放題。小屋自体も相当小さくボロ……コホン、不思議の国
なのに歳月を感じさせる古さだ。テラスなんぞ、もたれかかったら腐り落ちそうだ。
エリオットも自覚があるのか、苦笑して見せた。
「かなり手入れが必要だよな。心配すんな。後で手伝いに来るから」
この世界は雨が降らないけど、雨が降ればきっと雨漏りするだろうな。
私が前の世界で住んでいたプレハブといい勝負だ。
「うちの奴らは見えない場所はサボるからな。
このあたりはあんまり人も来ないから、荒れ放題なんだ」
そしてエリオットは、荷物を抱えた私を振り返る。

「ナノ。俺の部下として、おまえに命じる最初の仕事だ。
ここに俺専用のニンジン畑を作ってくれ!」

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