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■久しぶりに紅茶を淹れる・上

エリオットは、片手で私の手首を握りながら、勢いよく扉を開ける。
どうやらエリオットの部屋の外にまた部屋があり、帽子屋屋敷の共有スペースになって
いるらしい。
「ブラッド!悪い悪い!こいつが、この前言ってたガキで……」

沈黙。

「……あれ?ブラッド」

その部屋は無人だった。テーブルには紅茶やスイーツと、確かにお茶会が『あった』
らしい雰囲気はある。でも役持ちどころか人の気配はない。
いや、扉がカチャッと開き、スーツ姿の使用人さんが一人入ってきた。
困ったような顔をしている。
「あ、エリオット様〜、やっとご用が終わったんですか〜?」
「お、おい、お茶会は?別の部屋だったか?」
焦ったように言うエリオットに、使用人さんは呆れたように、
「お茶会は終わりました〜。ボスは会合でお呼びだったんですよ〜」

……あ。

そういえば私が起きて、ニンジンブレッドをごちそうになり、少ししゃべって服を
着替えて……とかなり時間が経った。
そりゃお茶会なんぞ終わってるわな。
使用人さんはわざわざエリオットを呼びに来たらしい。
……そしてエリオットの青ざめ方はさっきの比ではなかった。
「やべえ、本当にやべえ……ブラッドがいるのにNO.2の俺がいないなんてっ!」
それはマズイ。いい加減な会合だけど最低限、守るルールはあるみたいだし。
「ですからボスがお怒りなんですよ〜。何度もお呼びしたのに、拾ったガキ……いえ
お客さまが起きるのを待っていると仰るから〜。もうかなり経ってますよ〜」
使用人さんはチラッと私を見る。私は、何となく気まずくて、床を見る。
けどエリオットは、さながら一時間目が始まってから自宅で目覚めた学生のごとく、
「い、急がねえと!!ブラッドに撃たれるっ!!」
「あのー、エリオット、それでは私はこれで……」
これは出て行く好機と、エリオットの手をそーっと外す。
でもエリオットは勢いよく振り返り、まくしたてた。
「ナノ。おまえは俺の部屋に戻って待ってろ!紹介は後だ。行くぞ!」
最後の言葉は使用人さんに向けてのものだ。
エリオットはそのまま走り出す。使用人さんも慌てて走りながら、
「ま、待ってくださいよ、エリオット様〜!」
バタバタと駆け足。そして目の前でバタンと閉まる扉。
「…………」
後には呆然とした私が残された。

「……ええと、どうしましょう」
とりあえず、いきなりボスとご対面じゃなかったのにはホッとした。
それに会合なら塔の警備はそちらに集中しているはず。
エリオットも使用人さんも部屋の鍵をかけるなんてしていなかった。
外へ出るのは簡単だろう。
帽子屋屋敷に深入りする前に、おいとましなくては。
私はお茶会のテーブルを横切り、扉の方へ。

――お茶会……。

私は無人の部屋で立ち止まり、振り向く。
静かだ。とても静かだ。
室内に光が差し込み、開いた窓から聞こえる風の音が、やけに大きく響く。

お茶会。前の世界ではあまりにも当たり前で、この世界ではあまりに遠い。
テーブルの上にのせられた茶葉の数々は、一種類だけでも、私の×××時間帯分の
生活費に相当する高価なものだ。
また底辺の生活に戻り、こんな高価な紅茶に巡り会う機会はあるんだろうか。

私は吸い寄せられるようにテーブルに向かう。
そして、椅子にかけられていた使用人さんの誰かのエプロンをそっと身につけた。

そしてパンッと前をはらい、顔を上げた。

まずヤカンを、室内付きの小規模な厨房で火にかける。
コポコポと気泡が出て来たら止めどきだ。
そして茶葉をポットに入れる。
ダージリンのファーストフラッシュ。等級はファイン・ティッピー・ゴールデン・
フラワリー・オレンジペコーのグレード1。
最上級の最上級品だけど、それが味に直結しないのが紅茶の気むずかしいところ。
とはいえ、茶葉の段階から香るマスカテルは極上だ。
これをどう淹れるかで私のレベルが出る。
さてブレンドは?渋みを強めたいかな。もちろん水の色も鮮やかに出したい。
私は頭の中の無数のブレンドデータを展開しながら、アッサム・オレンジペコーの
缶を開け、ブレンドを開始した。

…………

ティーストレーナーでこされた紅茶が、ゆっくりとティーカップに注がれる。
ジャンピングも完璧で、水の色は文句のつけようがなく美しく深いオレンジ。
立ち上る香りも、マスカテルのフルーティーさとアッサムのグリニッシュな芳香が、
互いを殺すことなく混じり合っている。
エプロンを取った私は、静かな部屋でゆっくりとカップに口をつける。

「ああ、紅茶が美味しい。本当に美味しい……」

最高等級ダージリンの瑞々しく新鮮な味わいにアッサムの濃厚な深み、キーマンの
マイルドな甘さが上品に溶け合っている。
私が今まで淹れた無数の紅茶の中で、間違いなく上位五番に入る出来だ。

一口一口、舌で溶かすように味わい、楽しむ。
カップの最後の一滴まで飲むと、ティーポットを再び取り、二杯目を注ぐ。
なみなみとつがれる紅茶もこれで最後。
そして最後の一滴、ゴールデン・ドロップの波紋が鮮やかに広がっていく。
「よし……」
そして私はそのカップを取って飲もうとし、

かすかに開いた客室の扉から廊下の声が聞こえた。
「いや、だからさ、俺の話も聞いてくれよ、ブラッド」
「変える気はない。腹心だからこそだ、エリオット」
「やーい、馬鹿ウサギ、いい気味〜」
「ボスに恥をかかせるからだよ。ひよこウサギ〜」
私は全身の毛が逆立つ思いで、耳をすませた。

そしてこの世界のブラッドの声が、苛立ったような声がハッキリ聞こえる。

「おまえが拾ってきた者は今ここで撃つ。
それでおまえも、自分がしでかしたことの重大さが分かるだろう」

「そんな、ブラッド!ちょっと待ってくれよ!」

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