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■麦畑で三月ウサギに出会う4

麦の穂が風に揺れている。
私はその中で気だるく横たわり、夕焼けを眺めていた。
といっても、さすがに今回は麦は食わない。
また迷い込んでしまった。
街は危険が多く、若い娘が眠れる安全な場所はほとんどない。
エリオットと別れ、少し時間帯が経ち、私は悩んでいた。

――やはり、クローバーの塔に頼るべきですかね。

相変わらず仕事は無いか、ついても給料が出る前にクビになる。
他の役持ちとは完全に初対面状態で、時計屋も不在。もう夢魔しか頼れない。
説明するのはややこしいけれど、夢魔は私が嘘をついていないと分かってくれる。
――それに会合中なら、手伝えることもあるはず。
あんまり役持ちの人たちと親しくならないようにして、下働きでお金を貯めて……。
そう思いながらうとうとと目を閉じると、
「……?」
鼻に、パンの匂いが届いた。

「ここに来ると、腹がすくんだ」

エリオットが、いつの間にか私の隣に座っている。
そしてニンジンブレッドを私に差し出していた。

…………
久しぶりのまともな食べ物に一心不乱にかぶりついていると、
「なあ、おまえブラッドに何をされたんだ?」
「…………」
そういえば、前回会ったとき、屋敷への誘いを断る口実に使ったんだった。
別の世界のブラッドに云々というのは、この世界でもさすがに電波扱いだろうなあ。
「言っちゃ悪いけど、ブラッドがおまえみたいなガキに何かするなんて思えない。
ブラッドも、子どもに手を出した記憶はないってさ」
……ガキだガキだ言われるから薄々思っていたけど、どうも私は彼に『女』でなく
『子ども』にカテゴライズされているらしい。
「家族を撃たれたっていうのも、おまえの勘違いじゃないか?
帽子屋ファミリーは目撃者を消すから、見られて放置するなんてありえない」
「…………」
何となく、真顔で恐ろしいことを言われたような。
「というか、私が家族を撃たれたって何なんですか?」
前の食事のとき、そんなことを言ったかなと聞き返す。
「え?だって×××ってバーではそう説明したんだろ?」
「――っ!」
エリオットの口にしたバーの名前は、確かに私が最初に働いてた店だ。
「何で、それを……」
私でさえ忘れていた、採用のための作り話なのに。
さして長いこといなかった店にまで聞き込みをして情報を集めたんだ。
「何も出ないから、もう少し調べようと思ったんだけど、それから進まねえ。
そのバーで働く前、おまえがどこで何をして、何があったのか、何一つ分からない」
「……ええと、私、用事が……」
立ち上がろうとするとエリオットに手首を握られる。
ろくに体力も残っておらず、私はそのままエリオットの近くに尻もちをつく。
驚いて目を開けると、間近にエリオットの冷たい目があった。
「おまえ、もしかしてどこかのファミリーの回し者か?」
「え!?」
今度はさすがに驚いた。想像の斜め上だ。
「だってそうだろ。俺が行く先々に現れるし、経歴は謎だらけだ」
「いえ、私があなたと遭遇する理由なんてこっちが聞きたいですよ」
というか行動範囲が近いから、会う確率が高いだけじゃないか。
でもエリオットは返答せず、忌々しそうに銃を取る。
最初のときと同じように、銃口を私に向け、
「ガキを利用して同情を引き、幹部に取り入って内情を探ろうって腹か?」
言いがかりですよ!でもエリオットは考える前に撃つ性格だ。
私の発する一言が、彼岸に直結する。

「……本当にスパイか何かだったら、あなたのことをもっと聞いてるでしょう?
下働きにって誘われた時点で一にも二にも無く飛びついてたはずです」

とりあえず、冷静に論理詰めしてみる。
「あなた方のボスも、直接、私を害したわけではありません。帽子屋ファミリーの
抗争で私の働いてた店がつぶれ、路頭に迷ってしまっただけなんです」
100%嘘ではない。前の世界で、抗争で損害を被ったことは結構あった。
「でもあなたのボスに復讐しようとか大それたコトは思っていません。
ただ、帽子屋屋敷とかマフィアの仕事場では働きたくないんです」
「……まあ、それなら納得が行くか」
エリオットがゆっくりと銃を下ろしてくれた。そしてトゲが抜けた声で、
「うちは荒っぽいのが多いし、そこまで無理に誘わねえけどよ。
何かあったら、俺の名前を出して会いに来いよ」
「行きませんよ。変に関わっただけでスパイ扱いされるなら」
チクリと言ってやるとエリオットも困った顔で、
「そ、それは悪かったよ。あんまり怒るなって」
こちらは額をぶっ飛ばされるところでしたが。
するとエリオットがまた何かを思いついた顔で、
「そうだ。おまえ、なんていう名前なんだ?」
「え?」
「そうだ、おまえの名前が分からないから調べるのに苦労したんだ。
でもおまえを雇った奴ら、誰もおまえの名前を知らなくてさ」
うーん。誰も私の名前なんて聞かなかったし、こちらもわざわざ名乗らなかった。

「私の名前……私は、ナノ、です」

まあ隠すようなことでもないし。
するとエリオットは満面の笑みで、

「そっか、いい名前だな、ナノ」
「……っ!」

そういえば、この世界に来てから名前を呼ばれたのは初めてだ。

何となくそう思っていると、エリオットがサッと青ざめる。
「お、おい、どうしたんだよ!?おいっ!」
「……え?」
エリオットを見ると、なぜかぼやけている。そして頬と目に違和感が。
「あれ……」
疲れ目かと思って目に手をやると、濡れている。
「あれ?」

ポロポロと泣いている、私が。何で?止まらない、どうしよう。

「どうしましょう……」
「俺が知るかよ!ほ、本当に何なんだよ。無表情で淡々としゃべってるかと思ったら
いきなり泣き出したり。ほら、このハンカチで……ハンカチ持ってねえ!
ああ、ガキは本当に面倒くせえなあ、もう!」
エリオットの焦りだか自分ツッコミだかに、こちらまで焦る。
まさかいきなり泣き出した私に苛立って撃つとか……。
でも視界が覆われ、暖かいものが身体を包む。時計の音が聞こえる。
「ほら、いいから好きなだけ泣けよ」
「……驚いて涙が止まりましたが」
エリオットの胸に抱き寄せられながら、ポツリと呟く。
「ええ!?どうしてくれるんだよ!」
いや逆ギレされても。
しかもエリオットはなぜか私を離さない。
暖かい。最初は緊張して強ばっていた私も、少しずつ力が抜けていく。
「……本当に変なガキだな」
エリオットがそう呟くのが聞こえた。

「もうすぐ……会合があってよ」
抱きしめられたまま、エリオットの声を聞く。
「塔の客室につめっぱなしになるし、ブラッドの護衛もあるから、あんまり裏通り
には、来られなくなるかも……」
「はあ、どうぞ」
というかお互い、最初から会いたくて会ってたわけじゃないでしょうと。
「おまえ、本当に淡々としてるな」
苦笑する声が聞こえた。私はどう返答すればいいか分からない。
エリオットはさらに私をギュッと抱きしめ、
「小さいな。全力で抱きしめたら折れちまいそうだ……」
「そうですね」
そう言うと、また笑う声。
「やっぱり変なガキ……麦は食ってるし、いきなり泣き出すし、トロいし……」
いえ、麦は食べてないです。あれ未遂ですから!
そして三月ウサギは独り言のようにポツリと言った。
「おまえが笑うと、どんな顔になるんだろうな」
私は応えない。
耳に聞こえるは夕暮れの風と麦の穂のざわめき、三月ウサギの時計の音。

私はエリオットに抱きしめられ、いつまでも麦畑に立っていた。

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