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■ひとりぼっちの余所者

「…………」
時間帯が夜に変わり、青空がきれいな星空に変わる。
遠くに見えるクローバーの塔がキラキラと輝き、私はため息をついた、
行くあてもなく、空腹でフラフラ歩いていると、裏道の方から靴音がする。
顔を上げると、帽子屋ファミリーの人たちが来るところだった。
「……っ!」
前の不思議の国で、さんざんな目にあった私はあわてて脇によけ、身構える。
「……で、襲撃の手はずは……」
「他の奴らががぬかりなく……」
私の横を素通りする帽子屋ファミリーの人たち。空気のように無視された。
彼らの気配が完全に遠ざかってから私は小さくうつむく。
「……これで、いいんです」
これこそ、あるべき姿だ。


『でもどこでもいいですか。一人で静かに生きていけるなら……』


あのとき。扉をくぐった私は元の世界には戻らなかった。
見えたのは、そびえたつクローバーの塔、ハートの城、帽子屋屋敷、あと森。

最初はクローバーの国に戻ったかと思って、ガックリうなだれた。
でも違う世界であることがすぐに分かった。
道で役持ちと何度かすれ違ったからだ。
『あ、こんに……』
あの白ウサギが、私に気づきもせず道を急ぎ、
『どうもお久しぶりで……』
補佐官も同様に、私を一度も見ることなくそのまま去った。
私は声をかけようとした間抜けな姿勢で口をパクパクさせるだけだった。
最初は皆の意地悪かと思ったけれど、店のあった場所に行って分かった。
私の店が影も形もない。更地になったわけでもなく、別の店が建っている。

私はパラレルワールドとでもいうべき『別の不思議の国』にいるようだった。
私が白ウサギに招かれなかった、別の不思議の国に。

呆然としたけれど、今さら元の世界にも、前の不思議の国にも戻れない。
むしろ新天地にたどり着けただけ幸運だと。そう思うことにした。
役持ちに頼るにしても、時計屋以外には頼りたくない。
……でもクローバーの国に出てしまったようなので、時計屋はいない。
夢魔は一度も私の夢に来ない。
役持ちは誰一人として余所者の到来に気づかず、私も彼らの前に姿を見せない。
そして私は裏通りにある小さなバーで働き始めた。

で、ひっそり生きていけるなら物語はそこで終わったのだけど、そこは私。
……さっきのざまだ。
この世界で、望み通りに私はひとりぼっちだった。

…………

「はあ……足が痛いです」
私は夕方の道を急ぐ。
「お腹、すきましたね」
起きてからずっと何も食べていない。空腹で足がふらつき、目がかすむ。
でも、こちらもバックレだし、高級な酒をダメにしたから泣き言は言えない。
「食べるのがダメならお茶だけでも……ダメですか」
もうずっとお茶も紅茶も珈琲も飲んでいない。
働かせてもらっているバーにあったのは酒類で、それ以外はソフトドリンク程度。
割ったお酒やお皿代も負担で、お茶を買う余裕なんてなかった。
「あ……」
そこで私は立ち止まる。
物思いにふけりすぎた。いつの間にか街から離れ、全く知らない場所にいた。
青々とした一面の麦畑だ。
「まずいまずい。街に戻りませんと」
さすがに怖いし、街じゃないと働く場所が見つからない。
でも疲れで足の動きが鈍い。それに周囲にひとけはない。
「少し、休んでいきますか」
私は吸い寄せられるように麦畑に入っていった。

「ふう……」
麦畑の真ん中に適当に場所を作り、そこに座る。
風が少し冷たい。私は体育座りの格好で夕暮れの空を見上げた。
「…………」
街では何軒か店をあたり、飛び入りで面接をお願いした。
でも私は外見もパッとしないし、愛想もない。空腹でぼんやりしている。
何十軒目かの店を断られた時点で、さすがに精神的に限界だった。
――やっぱり、この世界の役持ちの人に頼って……。
そして、慌てて首をふる。
せっかくチャンスを得たんだ。真面目に働き、つつましく生きてお金をためよう。
そしていつか自分だけのカフェを開店するんだ。
「そうですよ。大変なのは最初だけ。前向きに、前向きに……」
腹の虫が盛大に鳴る。
「何か、食べるもの……ないですかね」
と周囲を見、青い麦の穂が目に入った。
「…………」
沈黙、果てしない葛藤。
「麦って、食べ物の原材料ですし……」
一本折ってみる。恐る恐る青い穂を見る。
……どう見ても食べられる気がしない。
でもお腹が空いて空いて、胃に入れられるなら何でもいいという気さえする。
「…………ん……」
穂を口に入れるとメチャクチャ苦い。口の中がチクチクして気持ち悪い。
『ちょっと、ちょっと!これ食い物じゃなくね!?』と舌が必死に訴えてくる。
――い、いや、麦だもの!がんばれば食べられるはず……!
抵抗を押し殺してかもうとした。

そのとき背後で、誰かが麦を踏む音がした。
――?
私は麦の穂をくわえたまま振り向いた。

「……はあ?」
男の人の声だった。
それはずいぶんと久しぶりに見る顔だった。

この世界の三月ウサギは、呆気に取られた顔で、麦をくわえた私を見ていた。

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