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■甘やかされた話6

グレイが去り、それなりの時間帯が経った。
特に何ごともなく、さらわれたり身の危険がふりかかったりすることもなく、私は
それなりに平穏な時間帯を過ごしていた。
ときどきクローバーの塔をどこか切ない気持ちで見上げるけれど、そんなときに限り
グレイの姿はどの窓にも映らなかった。

そしてある夜の時間帯。
私は黒エプロンをしめてお台所に立っていた。
「よし、茶葉の量はこれくらいですかね」
急須に茶葉を淹れ、ヤカンの熱湯を一気に注ぐ。
「わっ!」
あんまり急にやったもので、お湯が飛び散って私にかかるところだった。
「う、うわ、また勢いで入れちゃいましたか」
このときのお湯の注ぎ方でまた味が違ってくるらしい。
空気の含有量や、茶葉への湯の当たり方がどうこうという話らしいけど、詳しくは
脳が理解を拒否する。
私は『やさしいお茶の入れ方』という本を片手に首を傾げる。
珈琲や紅茶のお店をやってる割に、緑茶の知識だけが限りなくゼロに近いのだ。
「ええと、まあこのくらいでいいですかね?」
急須の茶葉が開く様子を確認し、フタをして、湯呑みに注ぐ。
うーん、いい匂い。
立ち上る芳香に我慢出来ず、急須を置くと、そっと湯呑みを持ち、口に含む。
心にほんわか気分がみるみる膨らんでいく。
「ああ……お茶が美味しい」
緑茶こと日本茶。ノンカロリーでヘルシー、しかもこんなに美味しい。
なのに不思議の国で毎時間帯のように飲んでいるのは、私くらいのものだ。
私は緑茶セット一式をお盆に乗せ、ソファへ。
そこで二杯目を淹れ、匂いを楽しみ、のんびりと飲む。
「あ。あと、グレイですか。飲んでるのは」
と、私の影響で飲み始めたグレイを思い出し、彼を勘定に入れていいかどうか迷う。
――グレイ。私に合わせるために、無理してお茶を飲んでるんじゃ……。
また、小さく胸が痛む。彼にそこまでさせて、本当に申し訳ない。
しかし本人が自発的にやってる以上、私に出来ることはない。
「と、とにかく、私自身がしっかりしませんと」
グレイにこれ以上心配をかけないように。
とはいえグレイに、どうやって正気に返っていただき、私に飽きてもらうか。
グレイの緑茶攻撃第二弾を、いかに避けるか。
グレイに迷惑をかけないよう、どうお店をやっていくか。
グレイにどうやって……
「はあ……」
グレイ、グレイ、グレイ。キリがなくなり、私はプレハブ小屋でためいきをつく。
ヤカンのお湯もすっかり冷めてしまった。
「そろそろ寝ますか。ん?」
そのとき、私の敏感なお耳が音を拾った。

今、誰かが小屋の外の草を踏んだ。

「…………」
私は音を立てずに立ち上がると、猫のように床を歩く。
最初に裏口の戸を開く。夜の冷たい風が吹き込み、私は身を震わせた。
次に小屋に戻り、身をかがめ、ベッドの下にすすっと入ると、両手で口を押さえ、
息がもれないようにする。
完了。
直後、バタンと扉が開いた。
複数の足音が、薄い床をギシギシと鳴らす音。
私の胸も早鐘を打つ。
侵入者は手早くテーブル周辺を調べ、何人かの足音が裏口から外へ消える。
残りはなおも室内を探る。私の隠れ場所も時間の問題か。
しかし全員無言なのが、いっそ怖い。
どなたか存じませんが、お台所の商売道具には手を出さないで下さい。
「…………」
やがて、靴音がついに私の隠れるベッドに向かい出す。
嗚呼、ナノさん絶体絶命!
が、そのとき新しい音が到着する。
陽気なチェシャ猫の声が、
「ナノー!遊びに来ちゃった!……ん?おまえら、誰?」
途中から急速に低くなった。
また空間を勝手につないで不法侵入ですか。でも今は助かった!

チェシャ猫さんは一瞬で状況を悟ったようだ。
銃を抜く複数の音と張りつめる空気。
「夜更けに男どもが、一人暮らしの女の子の家に、何の用?」
いえ、チェシャ猫さんも言えた義理じゃないと思うのですが……。
と、内なるツッコミを吐いている間に始まる撃ち合い。
――うう、こ、鼓膜が、鼓膜が痛いですっ!!
床が振動し、ふさいだ手を通して銃声や怒声、悲鳴が頭を揺さぶる。
やがて何人かの人が倒れる。私はベッドの下から恐る恐るその人たちを見、
あ、帽子屋ファミリーの人じゃないや。
やがて音が収まる。どうやらチェシャ猫の快勝らしい。
うーむ、さすがは役持ち、カッコイイ!!
「ナノ!どこにいるの!?」
私はすぐにベッドを出るか返事をしようとした。
……しかし、ヘタレな私は撃ち合いで完全に腰が抜け、動くに動けない。
冷静なつもりだったけど、身体の芯から震えてしまって声も出せない。
やがてチェシャ猫が私を探して外に出て、そのまま帰ってこなかった。
それから一時間帯ほど経って、ようやく私はベッドの下から這い出ることが出来た。
……で、プレハブのあちこちに横たわる動かぬ顔なしさんたちや、撃ち合いで破壊
しつくされた室内を見たのであった。

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