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■甘やかされた話5

――お花畑を見ました……。
ご不浄から帰還した私は荒い息を吐きながらグレイを睨みつける。
「大丈夫か?ナノ。やはり気分が悪いようだな。すまない……」
ソファに座るグレイは、私を案じるまなざしはそのまま、自分用に淹れた緑茶を一すすりする。
「え、ええと、グレイ。そのお茶は……」
「やはり、少し渋みが強すぎるか。もう少し甘めに淹れれば良かったな」
そう言って私に、苦笑気味に微笑んだ。
私はそれを戦慄の目で見つめた。
なぜ気づかない、その凄まじい味に。

石油でも飲んだかと思った。

グレイの淹れた茶への感想はそれに尽きる。
いくら料理下手とはいえ、お約束にもほどがある。
茶の淹れ方は多岐にわたれど、基本的に普通に淹れれば普通の味になるのに。
なのに、いかなる奇跡が起こってあんなことに……。
私はバッと厨房を見る。
……惨状が広がっていた。
捨てる予定だったカビの生えた茶葉、流しの下に放置して腐ってしまった『元』名水、
時間の巻戻りを待っていたサビだらけの茶こし、古くなり悪臭を放つ急須……以下略。
――もしや狙って選んだのか貴様……。
そのくらい、最悪な素材を組み合わせやがった。
紅茶や珈琲は商売に使う嗜好品だからいい。だが緑茶は、緑茶への侮辱だけは……。
「緑茶は君が好きだろう?だから、俺も興味が出て来て研究するようになったんだ」
わなわなと震える私に声をかけるグレイ。
非常に、非常に得意げな声だった。
「だが、やはり人を選ぶようだな。この前、部下に飲ませたら、口に合わないのか
卒倒して、未だに意識が回復しないんだ。俺の部下というのに軟弱すぎるだろう?」
「…………」
ツッコミ待ちなのだろうか。命を張ったボケをかまされていますか自分。
「ナノ。俺は……」
「黙って下さい、グレイ」
私はツカツカと歩き、忠実に私を待っていてくれるグレイの前に立つ。
「ナノ?」
「グレイ、あのですね……」
黄の瞳を見下ろし、言う。
「ああ、何だ?」
黄色。優しい黄色。
秋の日だまりのような、穏やかな暖かい目。
「…………」

静寂。

「ええと……グレイ……」
「ああ、何でも言ってくれ」
「ええと……」
ドッと冷や汗が浮く。

言えない、言えやしない。石油を煮詰めたような味でした、なんて。
「少しでも問題があるのなら言ってくれ。文献を読み込んで研究したつもりだが、
まだ精進が足りない。でも、少しでも君の喜ぶ茶を淹れられるようになりたいんだ」
グレイはどこまでも大真面目にぶっ飛んでいた。
いえ、あの『少しでも』どころか人類に適さないかと。
「…………」
言わなければ。今後の私や、部下さんたちの生命維持のためにも。
私は緊張のあまり渇いていた喉にゴクッと唾液を送り、口を開く。

「お、美味しかった、ですよ。グレイ。文句のつけようがありませんでした」

「それは良かった!」
「あ、あはは……」
途端にパッと輝く笑顔。私も苦しい笑顔を返す。
しかし内心では緑茶を裏切った罪悪感と、笑顔の板挟みで激しく苦悶する。
そこで、はたと我に返る。
――あ、そうだ。グレイに帰っていただかないと。
さんざん心配をかけ、護衛をしていただき、茶を淹れてもらいと、長いこと拘束して
しまった。いい加減、申し訳ない。
グレイは一足先に私の表情を読んだらしい。
「ああ。すまないな。長居した。そろそろ俺は帰ることにするよ」
「い、いえ、私こそお引き留めを」
「かまわないよ、君のためならな」
――つきあってもいないのに、こんなことを言うんですから……。

――つきあってもいない。
胸にかすかな痛みがさす。

――痛い?
ふと自分の思いを反芻した。
――グレイに変な期待をさせ、迷惑をかけ、申し訳ないから、ですよね?
すぐにそう思い、ソファから立ち上がるグレイと一緒に扉に向かった。

けれど、出口で私を見下ろすグレイは、非常に不本意そうだった。
「ナノ。しばらくは仕事が多忙で会いに来られないかもしれない」
どうやら、また夢魔が仕事をためているようだ。私はニコニコと、
「私は大丈夫ですから。グレイも私のことは忘れてご自分のお役目を……」
「このあたりの見回りを強化させる。少しでも奴らへの牽制になれば」
私の言葉を真っ正面から遮り、グレイは言う。
「ど、ども……」
そうは言っても役持ち対役無しでは圧倒的に後者に分が悪い。
結局、また似たような時間帯が続いていくんだろうなと、私はあきらめ気味だ。

「ナノ、愛している」

物思いにふける私に、グレイはかがんでキスをした。
「ん……」
彼から感じる煙草の味が、私の舌に……。

「――っ」
瞬間、私はドンッとグレイを突き飛ばしていた。

「ナノっ?」
「え、ええと、その、ごめんなさい……」
慌てて謝りながら、私も自分で自分のしたことが分からない。
何だって、グレイにこんなことを……。
驚いた様子のグレイだったが、大人な彼はそんなことで怒ったりしない。
逆に私に詫びる表情になり、
「すまない、君を傷つける気はなかった。
ただ、君が甘えさせてくれるから、調子に乗ってしまって……」
甘えさせてくれる?
甘やかされてるのは私の方です。
ずっと、ずっと。
胸が痛い。なぜこんなに痛いのか分からない。
きっと甘やかされて申し訳ないからだ。

グレイは私の頬を撫で、
「だが、さっきより少し明るくなってくれたようだな。良かった」
「ええ。どうもありがとう、グレイ」
グレイは微笑んで、額にキスをしてくれる。
今度は私も笑顔で受ける。
「山のような仕事を片づけたら、また君にお茶を淹れにくるよ」
「え……いえ、それはちょっと……!」
私の表情が強ばる。
「また会おう。ナノ。いつでも俺を頼ってくれ」
しかしグレイは絵になりそうな仕草でさっそうとコートを翻し、去って行った。
扉で立ち尽くす私は、呆然とそれを見送る。
――あの味を……あの味を、また……?

胸の痛みは消えたけど、胃に激痛が走ってきた。

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