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■甘やかされた話4

ベンチで並んで座り、グレイは横で、私を熱く説得する。
「ナノ、どうか塔に住んでくれ。
俺の存在が嫌なら顔を合わせないようにする。
俺はただ昔のように、君に笑っていてほしいだけなんだ」
「グレイ……」
何百回と言われたことを改めて言われ、困ってしまう。
「なあ、そうしてくれ、そうしようナノ!」
「ええと……」
困る。ひどく困る。
言われるたびに心の中でぐらぐら揺れるものがある。
――確かに、無理に店を続ける理由なんて、あってないようなものですが……。
役持ちの人たちに、みんなに利用してもらい、喜んでほしかった。
でも今や『別の意味で』利用されている。
だったら何のために店を開いたんだか。
――でも店を引き払う、ですか……。
それはそれで勇気がいる。
脳裏を横切る藍の髪と、胸をさす小さな痛み。
恋人を待つため、危険な場所に店をかまえる。
それなら理由としては大変に美しい。映画になりそうだ。
けど現実には、私とその人は、つきあってさえいない。
そして、多分向こうは私のことを何とも思っていない。
それなら喜劇。元の世界なら、ストーカー扱いされる執念だ。
――ここをあきらめて塔に住まいを移す……。
顔を上げるとグレイの真剣なまなざしと合う。
「ナノ……」
本心から私を案じてくれる黄の瞳。
ハートの城、帽子屋屋敷、どこに身を寄せても危害を加えられてしまう。
でもクローバーの塔なら心配はない。
グレイは約束を守ってくれる人だ。彼が宣言すれば、私は安全だろう。
でも、それはグレイにとても、すまない気がする。

――この人を好きになれたら……。

どれだけ思ったか分からないことをまた思う。
常識人で、社交性もある。仕事は有能で物腰は柔らか。
この人を好きになれたら、素直に好意を受けられたのに。
「ナノ。頼むから……」
グレイの大きな手が、そっと私の両手を包む。
木々の葉が優しく揺れ、木漏れ日はどこまでも暖かい。
きっと、はたからは仲むつまじく愛を語り合う恋人に見えているだろう。
だからこそ、申し訳無さで微笑み、残酷な答えを返す。
「どうもありがとうございます。とても嬉しいです。グレイ」
「……ナノ……」
黄の瞳が失望の色に染まる。私はただ申し訳なくてうつむいた。

…………
窓の外は夜の時間帯だ。
プレハブ小屋の入り口で私はグレイに頭を下げる。
「送って下さってありがとうございました、グレイ」
するとグレイは私を見下ろし、優しく微笑んで、
「気にしないでくれ。さあ、中に入ろう」
「…………」
ナチュラルに上がりこもうとしていやがる。
でもさんざん心配をかけ、帰りは護衛までさせた。
私は半ばあきらめ、グレイを招き入れた。

「うーむ……」
お馬鹿な私は厨房に立ち、湯の沸騰を待ちながら考える。
――何でグレイを好きになれないんですかね……。
彼の好意に何とか応えたいのに、それが出来ない。
「…………」
チラッと肩越しにソファに座るグレイを振り返る。
私を見ていた黄の瞳と目が合った。ニコッと笑いかけてくる端正な顔。
――うーむ……。
欠点らしい欠点が見当たらないのが欠点とさえ言える。
いや、唯一の欠点と言えば、私ごときを好きになる趣味の悪さ……。
「ナノ、どうした!?いきなり頭を抱えて!」
「い、いえ、自分で考えておいて大変な自己嫌悪を……」
あえぎながら返答する。駆け寄ってきたグレイは私の背を撫でながら、
「心配しないでくれ、ナノ。お茶を飲んだら、俺はすぐに帰る。
ひどい目にあった君に、これ以上辛い思いをさせたくないからな」
「い、いえ……」
どうも私がフラッシュバックかグレイへの恐怖かでうずくまったと思われたらしい。
――かといって否定して居座られても困りますし……。
「ナノ。君は座って休んでいてくれ。お茶は俺が淹れよう」
「…………」
「心配するな。俺だって茶くらい淹れられる」
頼もしげに微笑む。
――いえ『居座られても困る』とか思ってた己の狭量さに、さらなる自己嫌悪を。
なーんて言えるわけもなく。私はグレイに促され、大人しくソファに座した。
いい人。どこまでもいい人。胸が痛い。
――こんなにいい人なのに……どうして……。
うつうつと膝を抱える私はグレイの方なんか全く見ない。
ほどなくして、グレイが湯呑み二つを盆に乗せ、歩いてきた。
勝手知ったる人の家。小皿の上には茶菓子まで出してあった。
「さあナノ、粗茶だが飲んでくれ」
――ていうかグレイの淹れたお茶……?
マイワールドから現実に戻され、不安が広がっていく。
グレイといえばココア以外は壊滅的な腕前だ。
ま、まさか飲むなり××行きと言うことはさすがに……。
――いえいえいえ!
失礼な方向に行きかけた頭を振り、私はグレイの視線を感じながら湯呑みにそっと口をつける。

「――っ!!」

「ナノ!?」

グレイの声が遠くに聞こえる。そして私の手から湯呑みが落っこちた。

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