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■捨てた話11

グレイはずいぶん長く沈黙していた。
「そうか」
そう言って手を離した。
私も呆然と手を下ろす。
ブラッドを好きだと、誰かに向かって言葉に出したのは初めてだった。
けれど出てしまった言葉は、もう取り返しがつかない。
「なら、家に入って私物を取って来てくれ。
後で送ってほしいものにはこのテープで目印をつけておいてほしい」
グレイは押さえた声で言う。
「え……」
手渡された市販のビニールテープ。
どこまでも用意のいいグレイに戸惑う。
でも話が早すぎる。半時間帯前まで、私は店を続けるつもりでいたから。
店を解体とか、本当に帽子屋屋敷に引っ越すとか……。
でもそれよりグレイだ。いろいろお世話になって、結局傷つけて終わることになった。
今さらながらに申し訳なさでいっぱいになる。
もう、この人にココアを淹れてあげられないんだろうか。
今までのように会ったり、気軽に話をしたり、一緒に遊びに行くことはもう……。
だって、私がブラッドの女になってしまうから。
「それじゃ、俺は塔に帰って手続きに入る……元気でいてくれ」
「グレイ!待って下さい!」
思わず手を取る。
「ええと、あの、今まで、今まで……」
何を言えばいいのか分からない。
振り回してすみませんでした?私なんかを好きになってくれて、ありがとう?
「グレイ……その……」
「ナノ……!」
混乱して涙がぼろぼろこぼれる。グレイが慌ててハンカチを取り出し、目をこする。
「ナノ……泣かないでくれ。俺は泣かせようと思ったわけではないんだ。
そ、そうだ。しばらく考える時間が欲しいなら、解体工事は延期するから……」
延期。いつかはするということ。
「い、いえ、いいんです……。取り壊しちゃって。困らせてごめんなさい……」
鼻をすすりながら謝る。
「グレイ、今まで、本当にありがとうございます……」
「俺の方こそ……」
別れに胸が痛む。
この手を離したら、もうブラッドの女になるため帽子屋屋敷に行くしかない。
もう、たくさん親切にしてくれたこの人にココアを淹れることはない。
塔で会うことも、ナイトメアとお茶を飲むことも。
きっとブラッドが許してくれないから。
「ナノ……何かあったら、奴とよく話し合うんだ。
どうしてもダメなら、白ウサギや女王にでも相談するといい」
「はい……はい……」
泣きながら何度もうなずく。
グレイ。一時期は塔への移住も真剣に考えた。
彼の腕に飛び込むことも。
もしかしたら、そんな未来もあったかもしれない。
結局のところ、たくさん迷惑をかけ振り回してしまった。私は最後まで最低だ。
もう塔に行くことは決してないだろう。
私はそう確信し、グレイから手を離した。

「さよなら、グレイ」

…………
窓の外にはきれいな空が見える。
差し込む光は金色、髪をくすぐる風は少し涼しい。
私は窓枠に頬杖をつき、陰鬱な気分で不思議の国の朝焼けを眺めた。
――たまには曇り空になればいいのに。
自分が不快な気分のときに良い天気だと嫌な気分になる。
実際に雨が降ればもっと落ち込むだけだと知っていても。

「さてと……」
振り返る。薄汚れたプレハブ小屋。
住み心地はハッキリ言って最悪。床はギシギシと鳴り、あちこちガタガタ。
エイプリル・シーズンとなれば積雪や倒壊、すきま風に苦労させられた。
それでも少なくない時間帯住むと、それなりに愛着がわくものだ。
特に持っていく物もない、簡素な室内を見る。
このプレハブも、近いうちに業者に解体される運命が待っている。
私はもう一度、窓の外を見、それから日だまりの室内をゆっくり歩く。
そして玄関脇に置いてあったバッグを肩にかけた。
「さよなら」
少しの感慨をこめてプレハブ小屋に語りかけ、そして光のさす扉を抜けた。
そして店までの短い小道を歩き、屋台へ。
そこにはこう札がかかっていた。

『ご愛顧いただきました”銃とそよかぜ”は閉店いたしました』

あとは簡単な挨拶とお礼文。
今さらながら、店への愛着が痛いくらいにわいてくる。
でももう仕方がない。
これからはたった一人のために紅茶を淹れる。
土地は売りに出され、新しい所有者が何かしら店を建てるだろう。
借金は返済され、お別れと謝罪も済ませた。夢魔には後から礼状を送る。
「…………」
私はしばし青い空を眺め、
「さあ、行きますか」
と、少ない所有物の入ったバッグを抱えなおした。

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