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■捨てた話10

「もういいや、このまま店に戻ろう……」
肩を落とし、クローバーの塔へ続く道をとぼとぼ歩く。
あの口の軽い人々に聞かれたなら、今ごろ屋敷中に広まっているだろう。
ほとぼりが冷めるまで帽子屋屋敷に行けやしない。
まあエプロンは持ってるし、怪我したところを連れてこられたから荷物もない。
追っ手はないけど、どうせすぐ戻ってくるとナメられてるんだろう。
上等。当分、帽子屋屋敷関係者には商売しません!
決意を固めて、道を歩く。
そしてようやく私の店が見えたとき、私の足が止まった。

私の恩人の一人、グレイ=リングマークがたたずんでいた。

「こんにちは、グレイ」
私はグレイに微笑んだ。こちらを見ていたグレイはハッとしたようだ。
「ナノ。ココアを淹れてくれるか?」
寂しげな笑みを浮かべたグレイがそう言った。
「ええ、もちろん」
私は微笑んだ。

「どうぞ」
「ありがとう」
グレイは私が屋台から差し出したカップを受け取り、美味しそうに口をつける。
外回りの最中なんだろうか。それにしてはいつもと雰囲気が違うような……。
そういえばしばらく顔を合わせてないし、理由をつけて真っ昼間からホテルへ連れ込む気では?
警戒をこめてグレイを見ていると、飲み終わったグレイがカップを返してくる。
「ありがとうございます」
とりあえずカップは洗浄用の水につけ、グレイを見る。
でもグレイは立ち去りもせず、口説くでもなく私を見ていた。
「……ええと、どうしたんですか?」
さすがに困ってしまい、グレイを見ると、彼は長い沈黙の後に言った。

「それで、帽子屋屋敷にはいつ移るんだ?
それに合わせて店の解体と、土地売却を進める予定なんだが」

しばらく言葉が出なかった。

「どう……して……」

ここに居座って、赤字経営の店を続けていくことが、この店がマフィアの関心を呼ぶ
ことが、実は迷惑だったのだろうか。顔に出たのかグレイはあわてて、
「違う!俺もいつまでも君にはここで笑っていてほしかった。
だが、君が帽子屋を選んだらしいとナイトメア様から聞いてな。
俺も最初は認めたくなかったが……」
「ぐ、グレイ、ねえ。単なる勘違いですよ、それ」
一生懸命に否定する
「ブラッドはマフィアのボスで、抗争の黒幕で、ファッションセンスが壊滅的で、
夜はちょっと、いえかなりアレで、紅茶依存症で、最低なんですよ?そんな人を好き
になるワケがないじゃないですか!誰がそんな物好きなことを!」
でも言えば言うほどグレイは切なそうな顔になっていく。
「そ、それに、この店にかかったお金だってまだ全然返してませんし……」
「それなら、帽子屋屋敷から大金が送られてきた。君が屋敷に引っ越すことになった
から、店の撤去と、君の私物の発送を頼むと。元の借金分を引き、指示された事柄を
実行しても、まだまだ釣りが来る額だった。塔はそれを受け取ることにした」
「グレイ!私は店を続けます!」
屋台から出て、グレイの手を取る。
するとグレイが私を見た。凍るように冷たいまなざしで、
「なら、今から俺の女になるか?」
「……え……」
息を呑む。それは……出来ない。

戸惑う私をグレイが引き寄せ、抱きしめる。

そして唇が重なる。でも触れるだけの、強く押しつけるキスだった。
「グレイ……!」
たまたま周囲に人の気配はないけど、いつ誰が来るか分からないのに。
腕の中で彼に抗議する。でもグレイは泣きそうな顔だった。
「俺だって君の意思でなければ、誰が帽子屋のようなクズに渡すものか!!」
グレイの腕の中で身体を動かすことが出来ない。グレイの服をつかむことしか。
「俺は物わかりの良い男を演じるつもりはさらさら無い。君が監禁されていると思い
帽子屋屋敷に乗り込むつもりだった。だがナイトメア様から、今度ばかりは君が本気
らしいと聞いて……最初はとても信じられなかった。
半信半疑で店でずっと待っていた。そして戻って来た君の笑顔を見たとき……」
よく分からないけど、それで疑いが晴れたらしい。
どういうことなんだろう。私の表情に何か変化があったんだろうか。
分からない。この世界は分からないことだらけだ。
「ナノ。帽子屋は最低な男だ。逆らう者は残虐な方法で粛正し、市民を犠牲に
する抗争をいとわない帽子屋ファミリーのボスだぞ?」
「ええ、知ってます」
たくさんの人が倒れていた抗争を思い出し、胸が突き刺さるように痛い。
「女癖も悪い。今は君一筋に見えるが、手に入れた後も大事にしてくれる保証はない」
「……今だって、大事にされてないですよ」
自虐的に呟く。多分これからも変わらないだろう。
「そうだ。ブラッド=デュプレは危険な男だ。君が奴の女になれば傷つけられる」
「それでも……」
グレイの腕の中で呟く。彼の服をつかむ手を離し、グレイから離れる。

「それでも……ブラッドを好きになってしまったから」

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