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■捨てた話8

それでまあ全快した私だけど、何となくブラッドの部屋に滞在していた。

――はあ。お茶が美味しい。
正座し、ずずーっと玉露をすする。足下には携帯型の半畳分の畳。
畳の外には私の靴がきれいに並べて置いてある。
私が緑茶を楽しめるようにとブラッドがくれた品で、ありがたく愛用している。
「ナノ、和菓子を食べるか?」
すぐそばのソファからブラッドが声をかけてきた。
彼も彼でお茶会の最中。テーブルには私用の和菓子も用意されていたらしい。
「!」
美味しいお茶には美味しい和菓子が欠かせない。
私は湯呑みをお盆に置くと立ち上がり、いそいそとブラッドのところへスキップ。
「靴くらい履きなさい」
こちらの胸にのびる手を笑いながらかわし、和菓子を取ろうと手を伸ばし……
「ん?」
ブラッドの飲んでいる紅茶の匂いが鼻をくすぐり、気になって手を止めた。
これは使用人さんの淹れたものだっけ。
「飲むか?ヌワラエリアのブレンドティーだ。渋みをウバで強調し、アクセントに
アールグレイ。そしてワインを加えたものだ」
うーむ、お酒類を使ったブレンドだけは苦手だ。
「……どうも」
ブラッドから受け取って口をつける。確かに、癖のある渋みとアールグレイの柑橘系
の香り。それをアルコールが引き締める大人の味わい。さすがプロのブレンダー。
――でも、ワインを入れてるのにアールグレイの柑橘系は……。
そもそもヌワラエリアも香りが強い。ワインはむしろ蛇足な気がするんだけど。
私だったら、もう少しウバの含有量を増やして……。
「……はっ!」
お尻を触られ、飛び上がる。何をするかと振り返って睨むと、
「いや、紅茶を飲み干されたから若干の対価をいただこうと思って」
すまして言われた。
ハッとして見ると、持っていたティーカップはいつの間にか空になっていた。
「さて、口寂しい私は何を飲めばいいのかな、お嬢さん」
ブラッドは優雅に足を組む。私はチラッと畳の上の緑茶を見るが、
「もちろんグリーンティーはお断りする。君には至高の品だろうが私には合わない」
チッ。
そしてブラッドが何かをスッと差し出した。
私がいつもしているカフェ用の黒エプロンだ。
どこに行ったかと思ったら彼が持っていたらしい。
「久しぶりに君の紅茶が飲みたい。もちろん淹れてくれるだろう?」
「…………」
そういえば腕の怪我もあって、ずっと淹れていなかった。
私は半眼でそれを受け取り、ヤケ気味に和菓子を口に放り込んだ。

…………
私は靴をちゃんと履いて、テーブルの前に立つ。
テーブルの上には厨房から持ってきた茶葉、適温の湯、ティーポットと茶こしこと
ティーストレーナー。ティースプーン、もちろんティーカップ。
ブラッドはソファに構え、余計な茶々を入れず私を見ている。
どういう皮肉なのか用意された茶葉は、あのときブラッドにプレゼントしようとした
ティピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジペコーのダージリン・オータムナル。
さて、この秋摘み紅茶をどうさばいたものか。
まあオータムナルは芳香が強めだから甘みとやわらかみのあるアッサムをサブに構成
していこう。もちろんフラワリー・オレンジペコーも十分に考慮し、量を調整して。
……よしっ!
黒エプロンをパンッとはらい、私は顔を上げた。

それぞれの茶葉をブレンドし、ティーポットへ入れる。

でも、正直に言えば自信がない。
ブラッドに言わせると、最近の私の腕前は『無難』なレベルらしい。
この世界に来て初めてクローバーの国に引っ越したとき、会合があった。
そのとき、最後の会合の直前に、私はブラッドが絶賛する紅茶を淹れた。
でも私の紅茶の腕はそのときがピークで、それから徐々に味が落ちた。そして最初の
エイプリル・シーズンあたりでようやく底打ち。
その後は上がったり下がったりしながら『無難』なレベルにとどまっているそうな。
私が味の追及より『どれだけ売れるか』と俗な方向に関心を抱いているのも、ボスは
気にくわないらしい。小さいなりにお店を持つ身として、仕方ないことなのに。
それで今も『過度な期待はすまい』、という目で私を見ている。

――でも、ダージリンのオータムナルか……。

評価が高い初摘みのファーストフラッシュ、王道の夏摘みセカンドフラッシュ。
前二者に比べ、秋摘みのオータムナルはやや飲む回数が少ない。
でも、私にはいろいろ感慨深いものがある。

――オータムナルは、私がこの世界に来て、初めて飲んだ紅茶だから。

あの頃は茶を淹れる技術どころか紅茶の味さえ分からなかった。
でも私の反応が嬉しかったのか、ブラッドは私を屋敷に置いてくれた。
紅茶の味が分かる友人は得がたいと言って。
あのときからとても時間が経った。

私は少し考え、一度はブレンドした茶葉を捨てる。
そしてまた茶葉をポットに開け、ブレンドし直した。

そして保温されたヤカンのところまでポットを持って行き、ヤカンを持ち湯を注ぐ。

私はブラッドが好きだ。離れたくない。
でも稼業が合わない。人を傷つける仕事の人とはお近づきになりたくない。
私の心を移すような茶葉の対流を見ながら考える。

――それにブラッドは、ブラッドが好きになった私を受け入れてくれるんだろうか。
分からない。逃げれば追いかけたくなるものというけど、世の中、釣った魚に餌を
やらない人は多い。そしてブラッドの最低な人となりも嫌と言うほど目にしてきた。
とても不安だ。でも……それでも……。

揺れる茶葉が湯を吸収して、少しずつティーポットの中を落ちていく。

――ここだ!

ティーポットを取り、ティーカップにストレーナーを当て、高すぎず低すぎない位置
から静かに湯を注ぐ。私はブラッドに湯気を立てるティーカップを差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう、お嬢さん」
まあ、どうせ酷評だろう。
かなり考え事をしてしまったし、あれで美味く出来たわけがない。
店はもともと閑古鳥で淹れる量は少ない。腕を怪我していたせいでブランクもある。
でも罵倒されれば、こちらもスッキリと出て行ける。

――ブラッドがこの紅茶を飲み終わったら、出て行こう。

そして紅茶を含んだブラッドが、顔を上げて私を見た。
心臓がドクンと鳴った。

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