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きれいな月の出る夜のことだった。
クローバーの塔の近く、いつものプレハブ小屋の中に私はいた。
「…………」
私はテーブルの上を見つめている。
そこにはきれいな便せんが一枚あった。
私、ナノは椅子に座り、ペンを持った姿勢のまま固まっている。
「………………」
動けない。でもずっと固まっていては時間帯が変わってしまう。
「とにかく、何か書いてみますか。
時候の挨拶はいいですね。今はエイプリル・シーズンじゃないですし」
独りごち、私はまっさらな便せんにサラサラと書き出す。

『ブラッド=デュプレ様』

そう、これは帽子屋ファミリーのボスへの手紙だ。

『帽子屋ファミリーにおかれましては、いよいよご発展のことお喜び申し上げます。
また日ごろからのご愛顧に深く感謝を……』

「……って、何で知り合いにこんな硬い手紙出してるんですか!」
便せんを両手でぐしゃっと握りしめ、資源を無駄にする。
というかマフィアに対して繁盛おめでとう的な文もかなりアレだ。
「よくよく顔を合わせてるんですから、もっとフランクでいいですね」
と私は新しい便せんを取り出し、ペンを滑らせる。

『謹啓 
ブラッド=デュプレ様
貴家、益々御隆盛の趣、慶賀の至りに存じ上げます。平素格別の御厚情を賜り……』

「だ・か・ら!余計硬くなってどうするんですか!」
ちなみに言ってる内容は最初の手紙と寸分違わず。言葉って七面倒くさい。
二枚目もポイッとくずかごに放り、私は頬杖をついてうなる。
「飾っていてもダメですよね。一番伝えたいことをちゃんと伝えないと」
でもそういうことは苦手だ。
私は紅茶のブレンドを考えるときのように頭を抱えてうなる。
「一番伝えたいこと……」
私はもう一度ペンをにぎる。
何度も書いては破り捨て、額に汗が浮くまで考える。

『ブラッド=デュプレ様。
一緒に歩いていて恥ずかしいので薔薇つき帽子は卒業していただけませんか』

「違う違う違うっ!」
い、いえ、これはこれで言いたいことではあるけど、主旨が違う。

『ブラッド=デュプレ様
この前のあのプレイ、けっこう興奮したので、またやっていただけませんか?』

「〜〜っ!」
違う。いや言いたくないかと言えば嘘になるけれど、手紙で伝えたいことではない。
これもくずかごにポイッと。
「あううう……」
一番書きたいことはハッキリしている。それを書くだけだ。
でも書きたくない。書いてはいけない。
でも、書かずにいられない。書かないとおかしくなる。
昼も夜も、どんな時間帯のときも、頭から離れないことがある。
「…………」
私は何十枚目かの便せんをテーブルに広げ、ついにあきらめてペンを滑らせる。

書いた言葉は、美辞麗句を書き連ねた今までの手紙に比べ、あまりに単純だった。

『ブラッド=デュプレ様
 
 あなたのことが好きです。
 
 ナノより』


■捨てた話1


空は快晴、空気は澄んでクローバーの塔がよく見える。
私の店は元気に営業中だ。
「はあ……」
でもため息は深い。
相変わらず閑古鳥な屋台でお客さまを待ちながら考える。
――何だって、あんな最低男を好きになったんでしょう、私……。
いつからなのか、ハッキリしない。きっかけさえ分からない。
というか、ろくな扱いを受けた覚えが無い。
この店だって、マフィアの妨害がなかったらもっと繁盛していたはずだ……多分。
でも気がつくと帽子屋のボスのことを考えている。
来てくれないかと、そわそわして帽子屋屋敷の方向を見るのが習慣になりつつある。
彼の夢を見ては、プレハブ小屋のお布団の中でジタバタする。
姿を見かけた夜は興奮して眠れない。
『好きじゃないです、好きじゃないです、好きじゃないです!』
呪文のように言い聞かせてもダメだった。
「はあ……」
盛大にため息をつく。会ってもいないのに顔が真っ赤。
ふところには八時間帯かけて書いた数行の手紙。
彼に会ったら渡そうと思っている。

私はブラッドが好きみたい。これからそれを伝えに行く。

「……よし、行きますか」
私はプレハブ小屋の入り口で気合いを入れる。
「……どう思われるんでしょうかね」

不安と期待と高揚感に包まれ、私は扉を開けた。

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