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■子猫とチェシャ猫7

…………
………………

――とりあえず足を撃たせなきゃいいですね。

「っ!」
「……え?ナノ?」
パッとしゃがんで、なぜか足下にある赤座布団に正座。
ついでにどこからか取り出したる湯呑みでずずーっとな。
「はあ……お茶が美味しい」

…………
………………

「ナノ……空気読めって言われない?」

気勢を削がれたのか、ちょっと嫌そうなボリス。
「……ときどき」
心はドキドキ。ボリス君、座布団持ってきて。
「ていうか、いちおう、正座してても撃てないことはないよね」
「う……!」
太腿を撃たれて『下』まで貫通とかあるのかな。知りたくない実践しないでほしい。
とはいえ、ボリスから鬼気迫る空気は消えた。
でもまだ迷っている風だった。
私は(正座したまま)必死に訴えた。
「あのですね。ボリス。私を好いて下さるのはとても嬉しいです。光栄です。
でもですね、そういう乱暴なことをされたら私は絶対に怒りますよ?
お魚さん料理じゃなくてキャットフードを出しますよ?夜の営みを拒否しますよ?
珈琲を飲ませますよ?ミカンの汁を目にかけますよ?唐辛子をみじん切りにして
部屋にまきますよ?料理にタマネギとアワビを混ぜ、毛を逆なでしちゃいますよ?」
「……なんで猫が嫌がるものにそこまで詳しいんだよ、ナノ」
それでもボリスの顔にやっと苦笑いが浮かんだ。
私の誠意ある脅迫……じゃない説得の結果、ボリスは銃を下ろしてくれました。

「怒った顔も好きだけど、あんたの笑顔が見られなくなるのは嫌だからね。
キャットフードと営み拒否はさすがに打撃だし」
やはり、そこが痛手ですか。
「また遊びに来てね。ナノ」
「ええ。必ず」
そして私たちは互いに歩みよって、そっとキスをした。

…………
かくして、私は無事にお店に戻ってこられました。
が……。
「それでは君が不在の間にまとめた、俺からの経営改善案だが」
目の前にバサッと電話帳のごとき厚さの書類が置かれる。
「…………ども」

いいと言ってるのに、私の店には経営アドバイザーがおります。
店に帰った三時間帯後、連絡してもいないのに大量の書類とともに来訪されました。
「聞いているのか、ナノ!」
「は、はいです!」
塔の補佐官殿は大まじめに私に指導して下さる。でも声が怒っている。
ボリスの家にいたのは十分ご承知なようで、声が不機嫌です。
ああ、『この後』いじめられるんでしょうねえ……。
「まず減価償却費を当期利益に加算して計算するときのキャッシュフローは……」
「は、はい……」
意味不明な用語の連発に早くも泣きそうです。
それとこの後、彼に襲われるだろうという嫌な予感が的中しそうで泣きそうです。
そんな私の傷心を癒やすようにフワリとピンクの尻尾が鼻をくすぐって……
「て、ボリス!?」
「……チェシャ猫!?」
私と補佐官殿は驚いて椅子から立ち上がった。
いつどこから現れたのか。ボリスがプレハブ小屋の中に入り込んでいた。
「へへ。会いたくなったから来ちゃった」

小屋の中に私以外の男性がいるのにボリスは上機嫌だ。
そして呆気に取られた補佐官殿(と私)を無視して話し始めた。
「俺、気がついたんだ。ナノの笑顔を見ながらいつも一緒にいる方法!」
「ええええと、そ、それは何なんでしょう」
痛い。補佐官殿の視線が痛い。あなたこそ空気読んで下さいボリス。
そして、つきあってないのに、なぜ恋人の浮気を発見したような目で私を見ますか補佐官殿。
「俺はチェシャ猫だろ?ナノに飼われちゃえばいいんだよ!
俺、今からここに住んでナノがさらわれないように護衛する。店も手伝うよ」
キラキラキラと。どこぞの騎士さまのように得意満面の笑顔。
「…………」
補佐官殿をチラリと見ると、殺意と猫好きのはざまで揺れておられるのか、激しい
苦悶の表情を浮かべていた。
「だからナノ。ナノもまた、これをつけてよね」
と、ボリスが差し出したのは……ボリスの家に置いてきた首輪と鎖。
「…………」
補佐官殿は瞬時に決意を固めたのか両の手にナイフを握る。
「……やる気?」
ニヤリと笑ったチェシャ猫は私に首輪と鎖を放り、銃を取り出した。
「えーと……あのー……」
バサッと受け取ってしまったヤバいブツはとりあえずテーブルにでも置いて。
蚊帳の外な私は二人の間の火花を避けるべく、そろそろと小屋を出た。
「……はあ……」
そして背後から聞こえる銃声とナイフの硬音。
不幸な少女は、小屋の壁にもたれて体育座りし、星空を見上げた。
「さて、家に押しかけてきたチェシャ猫を追い出すには……」
とりあえず柑橘類の購入は必須だろう。ミカンでいいかな、食べられるし。
「でも猫ですか……」
猫のいる生活もちょっと楽しいかも。
それが子猫みたいなチェシャ猫なら、なおさらに。
「いえいえいえ!」
そういう安請け合いの性分がダメなのだと首を振る。
「でも猫ですかあ……」
うっとりと考える。考えたこともなかったけど、面白いかもしれない。
壁の向こうからは終わりの無い戦闘の音。
小屋の馬鹿どもが少ない家具を、思う存分に破壊する音。

そんな不毛な音を聞きながら、しばし猫のいる生活に現実逃避する私でした。

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