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■余所者バイト事情

 そういうわけで、美術館のカフェでバイトを始めた私である。
 もちろん最初は不慣れであったが、皆様の絶え間ない努力により、少しずつ様になってきた。

「あ、ユリウス!」

 そんなある時、ついにユリウスが、カフェの入口に姿を現した。
「どうしたんですか。日中から風呂場の黒カビのごとくジメジメしているあなたが、
湿気の少ない部屋の外をうろつくなんて。胞子でも発芽させるおつもりですか?」
「相変わらず、笑顔で喧嘩を売る奴だな」
 拳をワナワナと震えさせ、ユリウスは言った。
「お前が真っ当に仕事をできているか、確認に来てやった。さっさと席に案内しろ」
 偉そうに言うユリウス。仕方なく私は、
「へい、らっしゃっせー。一名様、ごあんなーい」
「酒場の店員かおまえは!」
 さっそくダメ出しされた。

 しぶしぶユリウスを席に案内し、私は、
「ご注文は何になさいますか。本日のお勧めは最高級サーロインステーキにございますか」
「なんでカフェで、そんな重いメニューを扱っているんだ!」
 カフェと言ったら、普通、サンドイッチとかスイーツだもんね。
「館長の要請でございます。ちなみに一番人気は大盛りカツ丼でございます」
「それはただの食堂だろう!」
 だからジェリコさんの趣味なんだってば。

 結局ユリウスはブラック珈琲一杯という、味気ない注文だった。

「っまたせしゃーしたー!」
 珈琲を出しながら言う。
「だから酒場の店員か、お前は!」
 不機嫌な顔で待っていたユリウスは、さらに眉間にしわを寄せ、私に怒鳴りつけてきた。
 挙げ句に、珈琲を一口飲むなり、私を睨んできた。

「おい。これはお前が入れたものではないだろう!」

「それはそうですよー、お客様。私、今は接客係なんですから」
 ユリウスはますます不機嫌そうになり、
「お前の珈琲を飲みに来たのに、話が違う!」
 私がちゃんと仕事してるか、確認に来たんじゃなかったのか。
「ウェイトレスが珈琲まで入れるって、どんな人手不足のカフェですか」
 場所にもよるがカフェなら、珈琲は専門の人が淹れるものだろう。
「それでも重篤のカフェイン依存症患者か。
 厨房の連中をなぎ倒してでも、珈琲を入れるのがお前だろう」
「どれだけ頭がおかしくなってるんですか、あなたの中の私は!」
「ハートの国の時から、お前はそういう感じだろう」
 なぜか否定が出来ない!
「館長さーん! 言いがかりをつけてくるお客様が!」
 いびられる薄幸のヒロイン、外野に助けを求める。

「言い合いが聞こえるから何かと思ったら……。
 ユリウス、うちのウェイトレスに嫌がらせをするようなら、出入り禁止にするぜ?」
 館長のご登場である。たまたま通りかかったらしい。

「おいジェリコ、なぜこいつが珈琲を入れないんだ。話が違うだろう」
「どういう話だよ! そんなに飲みたいなら部屋で淹れてもらえよ。
 女に八つ当たりは止めろ、みっともない」
「……べ、別に私はそういうつもりでは……!」
 役持ちの男二人が言い争いを始め、わたくしは安全な厨房に避難したのであった。

 …………

 開口一番、時計屋は言った。

「酒場のバイトはすぐに止めろ」

「酒場じゃなくてカフェですよ」
「似たようなものだろう」
 断言するなら共通項を話せ。
 とにかく、バイトが終わってユリウスの部屋に戻ってきた時、奴は保護者面で私に命令してきた。
「出来るわけないでしょう。頭を下げてバイトさせてもらったっていうのに」

 私は、無言の圧力によりユリウスに珈琲を入れさせられる。
 そして何となくソファに並んで座った。
 ユリウスはまーだブツブツと、
「やはりあんな場所で働かせるのではなかった。
 あんな慎みのない……丈の短い制服で……」
 ブツブツブツ。
「えー。可愛いじゃないですか。人気なんですよ。あの制服。
 まあちょっと短いかもしれないけど――」
「慎みに欠ける! あんな服を着て……お前がどんな目で見られるかと思うと……」
 何を想像してるんだ、この根暗時計屋。
「すぐに持ち場を厨房に移すよう、ジェリコに言え」
「でも最初は接客でしょう。厨房も人手が足りているし……」
「なら誰か止めさせろ。何なら私が――」
 他ならぬユリウスが『役持ち』のようなことを言い出した。

「待って待って。落ち着いてください、ユリウス!!」
 今にも立ち上がりそうなユリウスを、慌てて止めた。
 徹夜でイライラが溜まっているのだろうか。
「大丈夫ですよ、カフェのお客さんは、品がいい人たちばかりですから!!」
 ジェリコさんは、穏やかだが怒るとたいそう怖い。
 自然、美術館や、カフェの客のマナーも良い。
「見てくれだけだ。奴ら、お前の制服姿を見て、内心ではどんなに欲情しているか……」
「…………あの、ユリウス」
「何だ、居候」
 いえ今は、あなたも居候では。
 だがしかし、それ以上に突っ込まねばならない箇所がある。


「つまりあなたは、制服姿の私を見て、いやらしい気持ちになったわけですね」


「…………」
 勢いがピタリと止まる。
「な、な、何を……馬鹿な……おまえ、その、破廉恥な……」
 しどろもどろになり、私をチラチラと見る。
「……ユリウス。もう少し外に出て、普通の女性に慣れ――」
「しみじみと言うな!」
「お断りしておきますが、私が部屋に帰った後、私をネタにするとかそういうのは……」
「何を考えているんだ!! 本当に慎みのないことを言うな!!」
「ソファでウェイトレス姿を強制させられ、泣きそうな私。
 ユリウスは嫌がる私を無理やり押さえつけ、スカートの中に――」
「私は変態かっ!! 他人に対して、そんな失礼な想像をするな!!」
「いえいえ。私も不思議の国に来て、いろんな経験をさせて頂きました。
 男性のそういった生理的な事情に関して、ある程度の理解も――」
「記憶喪失のくせに、どういう経験だ!
 い、いや、他の国で誰に何をさせられていたんだ! 今すぐ全て白状しろ!!」
「いやですよ、ネタにされたくありませんし」
「ナノっ!!」
「ユリウス、ナノ。おまえら何をしてるんだ。廊下まで声が響いてるぞ!!」

 色んな意味で逆上した陰険男が私につかみかかる寸前、ジェリコが部屋に来て事なきを得た。


 とりあえず事情を話し、私は膝下のスカートに変えてもらうことで合意した。
 まあ本音を言うと、似合わないし、ちょっと恥ずかしかったのでホッとした。

 ……なお私が帰った後、ユリウスはしばらく自己嫌悪にさいなまれたらしい。

 私が本当に彼のネタにされたかは、不明のママである。

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