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■いつか殺意があなたに通じるまで

 全てを最高の珈琲のために。

 豆を選り分け、ローストし、ミルで砕き……以下省略。

 そして、一杯の珈琲が産まれた。

「はい、出来ました!」
 カップを受け皿に乗せ、スプーンと角砂糖を添え、お出しする。

 結局森では誰にも会わないまま、さっさと美術館に連れ戻され、珈琲を入れることになった。
 そして今、私は食堂にいる。

「……美味い!!」
 館長服のジェリコさんは、目を見開いた。
「いや本当に美味いよ。こんな珈琲は初めてだ!」
 言葉を惜しまず絶賛してくれるジェリコさん。うふ。
 食堂の皆さんも、興味を引かれたようにこっちを見てくる。
「うるさいぞ、ジェリコ」
 ユリウスだけは、不機嫌そうで無反応。
 む。出来が悪かったかな。
 高揚していた気分がしぼみ、私はしゅーんとなる。
 けれど、
「味に集中出来ない」
 ユリウスはそれだけ言った。

 珈琲を飲むのに、いちいち集中とかいるのか。
 でも目を閉じるユリウスは、本当に五感全てを味覚に集中させているようだった。
 心の中にゆっくりと嬉しさが広がる。
 ジェリコさんは苦笑し、静かに珈琲を飲む。
 食堂に静かな時間が流れた。

 …………
 
「というわけで」

 ユリウスの部屋に戻ったとき、彼が仁王立ちで言った。
「はあ」
 わたくし、なぜかソファに正座し、かしこまって支配者のお言葉をいただく。

「これからおまえは、どうする気だ」

「仕事もせず、昼間からゴロゴロと働きもせず遊び暮らす、ハッピー余所者生活に
突入しようと思いますが」

「その怠惰な性根を改めろ!!」

 冗談だってば。


「美術館のカフェで働きますよ。
 確かに私は物覚えが悪いかもしれないけど、わかりやすいように指導役をつけて下さるっていうし――」
「却下」
「なぜに」
「気に入らん」

 私はユリウスに高速タックルをしかけた。
 見事にかわされ、襟首つまみ上げられました。

「猫の子ではございませんが!」
 ジタバタしながら申し上げますと、
「カフェといったら、どんな客が来るか分からん。
 嫁入り前の娘が、何かあったらどうするんだ!」
「い、いや別にスラム街で働くんじゃないんだから……」
 美術館のカフェともなれば、素行の怪しい客はまず来ない。
 ぷらーんと、床につかない足を揺らし、
「ならチケットのモギりでも……」
「……客に手を握られるようなことがあったら、どうする」
「ないないない」
 手を高速で左右する。
「じゃあ、町の雑貨屋さんでバイトでも――」
「美術館から離れたら危険だろう! 抗争に巻き込まれたらどうする!」
 むむ。何でもかんでも否定され、温厚なナノさんもムッといたします。
 
「逆にお聞きしますが、ユリウスは私がどうすれば満足なんですか?」

「無事に社会復帰し、人並みに働くことが出来ればいい」

「むしろ社会復帰が必要なのは、あなたの方では……」

 時計塔の引きコウモリに言われたくないなぁ。
 ユリウスはぱっと手を離す。
 わたくし、床に転がった。痛い。
 そのままユリウスの足にじゃれつくと、
「猫かおまえは。床が汚いから止めろ」
 と言いつつ、靴先で私をグリグリ。止めて止めて。
 私は起き上がり、笑ってユリウスに抱きつく。
 時計屋さんはイヤっそうに、
「止めろ。慎みのない」
 女性をつま先でグリグリする変態が言うか。
 私はユリウスの肩によじ登りながら、
「ユリウス。もしかして、私が働くのが嫌なんですか?」
「……別にそんなことは言っていない。
 好きにすればいいだろう。私は仕事に戻る」
 あ、ムクレた。何なんだ。
 私を背中に乗っけたまま、ユリウスは作業台に向かってしまう。
 し、しまった。このままではユリウスは私を乗っけたまま仕事人間になってしまう。
 
 でも、ユリウスが何を言いたいか分からないけど――カフェやモギりの仕事が、
気が進まないのは本当。

 ……べ、別に社会復帰したくないとかじゃなくって!!

 ユリウスと一緒にいたいなあ。

 仕事に打ち込みすぎて倒れないか見てあげて、疲れたら珈琲を淹れて上げて、
眠ったらベッドに運ぶ――のは不可能なので、毛布をかけてあげたい。
 ただ、ユリウスは本人が言ったとおり、目下私の『保護者』。
 恋人でも何でもないし、私は別の部屋で寝起きしている。

 一緒にいたいとか……恥ずかしくて言えないし!!

「カフェで働きますよ。大丈夫。ジェリコさんがいるから危ないことはありません」
 ユリウスに背中から抱きつき、言った。
「……そうか」
 頼れる保護者はそう言った。
 どうしてだろう。彼がずいぶんと落胆したように見えた。
 でも気のせいだ。そんなはずはない。
 ユリウスは眼鏡をかけ、仕事モードに入ってしまう。

「……で、いつまで私に全体重をかけているつもりだ」

「殺意があなたに通じるまで」

 振り落とされた。

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