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■過保護時計屋は容赦ない

 食堂は余所者の到来で、ちょっとザワザワしていた。
 噂はもう広まっているみたいだ。
「おはよう、嬢ちゃん。元気になったか?」
「へえ、ユリウスさんが連れてきた子ってあの子?」
「ユリウスさんもやるなあ」
 決して悪意があるわけでなく、オープンな雰囲気だ。
 しかしそれだけに物言いがストレートというか……。

「うるさい」
 
 ユリウスが低く呟くと、食堂がピタッと静かになった。
 私は目玉焼きをかきこむのに忙しい。
「ほら、そんなに急ぐな。口元が汚れる」
 ユリウスはナプキンで拭いてくれた。もぐもぐ。
「よう、ナノ」
 椅子を引き、誰かが向かいに座ってきた。
 声からして、ジェリコみたい。
『みたい』というのは昨日と外見が違うから。
 眼鏡をかけ、ビシッとしたスーツ姿だった。
 しかし色々ありすぎ、いちいち驚く気になれない。
「ジェリコさん、泊めて下さってありがとうございました」
 頭を下げると、
「気にするな。余所者は大事なお客さんだ。好きなだけ滞在してくれ」
 良い人だ!!
 それに対しユリウスは、
「あまり優しくするなよ、ジェリコ。甘い顔を見せればつけあがられるぞ」
 ……昨晩聞いた気がしないでもないことを言うユリウス。
 あ、そうだ。大事なことを聞かないと。

「ユリウス、私はあなたと知り合いなんですよね。
 記憶喪失になる前の私は、何をしていたんですか?」

「私の部屋に押しかけてきて居候し、家事もせずゴロゴロしていたが」

 容赦がなさすぎる!!

 ジェリコや周囲の人も肩をふるわせる。
「お、お嬢ちゃん。大人しい顔で結構、積極的だな」
「居候なんだから家事くらいはしようぜ〜」
「家事が出来ねえと、いい嫁さんになれねえぞ」
 一切、記憶にないことなのに、胸にグサグサ突き刺さる!!

「ほ、他は? 記憶喪失なんだから、もっとドラマティックな過去とか!」
「そういえばおまえが勝手に飲んでいた、私の珈琲の総額だが――」
「思い出さなくていい気がしてきました!」
 即答すると、ユリウスは息を吐く。
「そうしろ」
 どうしてだろう。『すごく危ない瞬間をやり過ごせた』という空気を感じた。

 でもユリウスに言われると、おぼろげだが『時計塔』とやらの風景が浮かんでくる。
 そうだ……。時計塔のことは知っている!
 長い階段、屋上を吹く強い風、二人で食べたサンドイッチ。
 仕事をするユリウスの――背中。

「思い……出しました」

「本当か!?」

 ユリウスはガタッと立ち上がった。
 その声の大きさに遠くの人たちまで振り返ったくらいだった。
 私も驚きつつ、
「い、いえ。全部ではないけど、そう言われると確かにあなたと
住んでいたような記憶があるんです。他はあんまり」
「……そうか」
 ユリウスはゆっくり座る。
「何だ何だ? 余所者を囲っていたのか? やるなあ」
 ジェリコがニヤニヤし、ユリウスを肘でつつく。オッサンだ!
「行き場所がないというから置いてやっただけだ。何も無い。
 現にその後、引っ越しで離ればなれになった」
「あー、そういえば、そんなことがあった気もします」
 ものすごく悲しかったことも覚えている。
 ただその後どうしたのかは、やはり頭がぼんやりして思い出せない。
「ユリウス、ユリウス。時計塔はどこです?」
 時計塔の部屋に行けば、もっとちゃんと思い出せるかも。
 だけどユリウスは、
「今はない。私は美術館に住んでいる」
「居候!?」
「仕事をしている!! 嬉しそうに指をさすな、居候!!」
 言い返された。私はやや焦り、
「じゃあ私も仕事をしますよ。居候ではいたくございません」
「っ!! 仕事をする気があるのか!?」
 凄まじく驚愕された!
「そうか。ついにおまえにも勤労意欲が……成長したな、ナノ」
 しみじみと言ってますよ!!
「あー、まあ話がそれているようだが」
 ジェリコが割って入ってきた。

 とりあえず記憶喪失については、いったん考えるのを止めた。
 ユリウスについて多少思い出したこと、で安心感も出たし。

「これからどうするんだ、ナノ?」
「ここでお世話になるしか……」
「おう、そうしろ。大歓迎だ!」

 私は行き先もないし、特に目的もない。
 時計塔がないのは残念だったけど、ユリウスがいるので美術館滞在を決めた。
 

 それで、何の仕事をするかという話になった。
 が。

「こいつは珈琲や紅茶を淹れるのが得意なんだ。
 ただ仕事がマイペースすぎるんだ」
 ユリウスが腕組みをする。
 他人の方が、私より私のことを知っているというのも変な話だ。
「腕はいいんだが、並行作業が苦手だな。チームでやらせると確実に足を引っ張る。
 物覚えも悪い。自分の興味以外となると、習得に時間がかかる。
 仕込むのはかなり覚悟がいるぞ」
 私は涙目でユリウスの靴をグリグリしたが、敵がこたえた様子はなかった。
 ジェリコさんだけは優しい目で、
「要は職人気質ってことだろ? そういえばナノとおまえは、ちょっと雰囲気が似ているな」
『……!! どこが!!』
 声が二人同時に出た。ジェリコが笑う。
「来たばかりなんだ。しばらく、焦らずのんびりしているといい。
 仕事はいつでも紹介してやるからな」
 ジェリコは朗らかに笑い、去っていった。

 残された私はユリウスに抗議する。
「ユリウス、ひどいですよ。他の人の前で」
「私はおまえの保護者だったんだ。
 多少はジェリコに説明しておく必要がある」
 ユリウスは冷たい。
 うう。親切そうだし、記憶の中のユリウスはすごく優しかった気がするのに。
 目の前の彼は辛らつだ。
「……て、保護者? あなたが?」
「今は違う。ここは時計塔ではないし、おまえもこの世界に来て、そこそこ経った」
 私に頼るなよ、と目を光らせる。

 何なの。この謎の突き放しは。
 知り合いなら、もう少し……いや、それは私のワガママかもしれないけど。
 何だかいやーな気分になる。

「そうですか。そんなに私がお邪魔なら、無理に住まないですよ」
 私は立ち上がる。
「お、おい、ナノ。どこへ行く気だ!」
 ユリウスは少し焦っている風。
「他の滞在地を見てきます。もっと住みやすいところがあるかもしれないし」
「ナノ!」
 ユリウスが言ったけど、怒っている私は彼に背を向け、早足で食堂を出て行った。

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