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■時計屋の焦り

 ※R15

 執務室の窓からはクローバーの街が見渡せる。
 憂い顔のグレイは、それを見下ろし、何かを思い出すようにため息を吐いた。

「シロちゃん……」

 イケメンの顔からこういう台詞が出るのはどうなんだろう。

 そしてグレイはハッとしたように私を見た。
「あ、ああ。君か。気がつかなくてすまない。俺の猫のことを思い出していたんだ」
 あなたの猫なのか。
「とても可愛い猫だった。俺の後をどこまでもついてきて、イタズラなど
一つもせず、疲れたときは察して寄り添ってくれる。いなくなってしまったが、
今頃どうしているだろうか」
 聞いてもいないのに語り出すグレイ。そんな優等生のような子猫など存在しない。
 ついでに言わせてもらえば、子猫の記憶をムチャクチャ美化してますな。
「あー、それはお気の毒に。じゃ、これ、ジェリコ館長からの書類です」
 私はあいまいな笑みで、会合の書類を渡す。
 
 会合は終わり近いが、グレイはまだ天使のような子猫を探しているらしい。
 最初はユリウスが隠していると疑い、しつこく絡んでいたそうだ。
 だけど、私が元に戻った。どれだけ詮索しようと子猫が見つかるはずもない。
 かくして愛らしい子猫は、永遠に行方不明になってしまった。
 グレイは意気消沈。私のせいではないはずなんだけど、罪悪感がある。
 気になった私は、口実を作って彼に会いに来ていたのだ。

「書類は確かに。ありがとう」
 微笑んで書類を受け取ってくれるグレイ。
 夕暮れの時間帯。長い影が寂しげな執務室に落ちる。
「…………」
「どうしました?」
 じっと見つめられていることに気づき、聞いて見た。
 だがグレイは、
「いや、君が似ている気がして――」
 誰に? あ、あはははは。
「か、賢くておしとやかな猫だったんでしょう?
 きっと良い人に拾われて幸せにしていますよ」
「ああ、きっとそうだな。あれだけ美しい純白の子猫だったんだから……」
 やはり憂い顔のグレイ。
 彼が早くシロちゃんのこと忘れてくれるよう祈りながら、私はそそくさと
執務室を後にした。
 
 …………

 グレイの様子も確認し終わったので、私はユリウスの部屋に戻った。
 さて次の会合まで一休み。やることがないって、何て素敵なんだろう!
 私はベッドにダイブし、
「会合っていいですねー。仕事をしなくていいから」

「喧嘩を売っているのか、おまえは……」

 時計を修理しているユリウスは、私の声を聞き咎め、イラッとした風な返事。

「でももうすぐ終わりなんですよね、あっという間です」

 お祭りはいつか終わる。この国に来て、会合が始まって、猫になって。
 あっという間だった。

 で、その後どうなるんだっけ……?
 ユリウスは仕事ざんまいだが。

「ユリウスも休みましょうよ、気晴らしに外に出てカフェでお茶しませんか?」
「そう言ってタカる気だろう、おまえは」
 ギクッ。
「タカりません、タカりません。そんなとんでもない」
「それに珈琲くらい自分で淹れればいいだろう」
 なぜわざわざ外に、とブツブツ。引きこもりめ。
「ほら、やることがなくて怠惰に過ごすくらいなら、珈琲の一杯も淹れる
気遣いくらい見せたらどうだ」
 ……かなり意地悪い物言いをしているが、これは『やることがないなら珈琲を
淹れてくれないか』とユリウス式に頼んできているのである。
「やることならあります。寝ることです!」
「今すぐ珈琲を淹れろ、でなければ追い出すぞ、居候」
 冗談でございます。
 仕方なく起き上がり、持参してきた珈琲セットに向かう。
 従順に珈琲を淹れだした私を確認し、ユリウスは修理の仕事に戻る。

 外は白い雲が流れ、客室は静か。ユリウスが時計を修理する音だけが響く。
 世界はどこまでも平和である。
 この国に来る前のことはきれいさっぱり忘れてしまっているけど、でもこんな
時間をずっと求めていたような気がする。
 
 世界は平和で、ユリウスとは良い友人で。

 ……平和すぎて眠い。子猫だったときの癖が残ってるのかなあ。

「ユリウス〜、珈琲ですよー」
「ああ」
「じゃあ、私、寝ますんで」
「はあ? 昼間から何を怠惰な言っているんだ、おまえは」
 呆れたような声が聞こえたが、私はベッドに倒れ、ぐーすか寝てしまった。
 ユリウスの呆れたようなため息。

 彼は本当に親切だ。ずっとずっと、良い友人でいたい。心からそう思う。

「もうすぐ終わる。終わってしまうんだ……」

 時計屋が小さく呟いたのが聞こえた気がした。
 
 …………

 妙な夢を見た。

 キスをされる。
 
 何度も、何度も。
 
 最初は軽く触れるように。
 眠さでほとんど反応を返さないでいると、少しずつ深くなっていく。
 舌先で促されるように閉じた唇をつつかれ、夢心地でわずかに開けると、
熱い舌先が口内に滑り込む。
「ん……ぅ……」
 大きな舌に私の舌を遊ばれる。歯列をなぞられ、くすぐられ、息が危うい。
 唾液があふれ、絡む。同時に首をたどる、ざらざらした指先が痛い。
 はあ、はあと誰かの息づかいがする。
 息苦しさに顔をそらしたいけれど、キスが深すぎて逃げるどころではない。
 呼吸もままならない。

「……ん……」

 ここらで意識がハッキリしてきた。

 そして薄ぼんやりした暗闇の中に、私に覆い被さる大きな影を見る。

 ……ユリウス……?

 いやまさか。あの仕事人間が。
 私はにわかに信じられず、つい目を閉じ、寝たフリを継続する。
 だが次なる感覚に背筋がゾワッとした。

 ……胸を触られている気がする。気のせいではない。
 大きな手が、私の胸を包み、荒く……その、愛撫して、くる。
 痛い。私を寝たままにさせておこうという気配はない。
 起きるなら起きてしまえという強さで、あえて言うなら欲望の赴くままという
感じに、私の胸を激しくまさぐってくる。

 別の腕は身体の下に回され私の腰を抱きしめていた。
 だがそのため私はより強く密着させられ、強くなっていく彼の『熱』を感じざるを得なかった。

 待て。待って。何この超展開。
 私は自分を正気に返らせようとする。
 なぜ、どうしてユリウスが私に。
 これが夢ではないのなら、痴○というか夜這いというかの状況だ。
 いずれにしろ、合意した覚えはない。
 女性としては声を上げ、毅然と抵抗すべきところだ。

「…っ…んー……」

 だけど抵抗の代わりに出るのは、自分のものとは思えない声。
 
 キスが熱い。唾液が頬に滴る。
 一方、彼はますます大胆になり、服の中に……手を忍ばせる。
 手が肌着の中に……入って……。
「……っ……あ……っ……」
 ビクッとする。背筋がしなったのがバレただろうか。
 カーッと全身が熱くなる。間違いなく、直接触れられている。
 先ほどよりは少し優しく、大きな手が私の胸を揉みしだく。
 けれど先端を見つけ、そこを、集中的に愛撫し出した。
 ん……やめ……やめ……て……。
 私はなぜか、この段階になっても寝たフリを続けていた。
 密着させられた下半身に、彼の硬くなった下半身が当たる。
 ユリウスの息が荒い。指先が、私の胸の反応した部分をやや乱暴に擦った。
 服をたくしあげ、私の身体をあらわにさせようとしている。
 まるで私に下手な演技をやめさせ、起こそうとしているように。

 いや、ダメ、このままじゃダメ……。こんな、一方的な、同意さえ無いまま
求められるのは、絶対いや……。 

 でも例え私が起きて抵抗したとしても、強引にでも続きをされる。
 なぜだかそんな気がした。

 寝たフリを続ける私に焦れたように、彼の手が私の胸から離れる。
 ホッとしたのも束の間。

 手が、今度は私の下半身に伸びる。

 私の衣服を器用に片手でゆるめ、するっと手が入り込む。
 そして布越しの愛撫も挟まず、下着の中に。
 ……や……そこ、ダメ、今、濡れて……。
 完全に上着をたくし上げられ、素肌が晒される。
 そして茂みをかきわけられ、指が、濡れそぼつ谷間に……。
 ……入っ……。

 もう限界だ。私は目を開けようとした。

 ノックの音がした。

 疾風のごとき早さで私の上から重荷が去る。
 
 私は服を乱された状態でベッドの上に放置。
 ユリウスは部屋の扉を閉め、外で誰かと話しているらしい。
 
 私はショックもあり、半ば呆然とベッドに横たわり、寝たふりを継続していた。
 頭の中は大嵐だ。

 何が悪かったんだ。ついさっきまで普通に会話していた。
 家主と居候で、冗談を言い合って、気軽に一緒に寝て。
 いつも私が馬鹿ばっかやらかして、ユリウスがそれに怒って。

 ユリウスのことは嫌いじゃない。男性として意識したこともある。
 ベッドの上でおふざけで迫られたけど、嫌な気はしなかった。
 親愛のキスに抵抗がない程度には心も許している。
 けど今のような行為に走られるには、段階をすっ飛ばしすぎだ。
  
 いやそれどころじゃない! どうするんだ、この状況!
 今飛び起きたら、狸寝入りがバレる。
 だが寝たふりを続けてユリウスに戻ってこられて『再開』されたって困る。
 窓から逃げる? 無理無理、高い塔の上だって。
 どこかに隠れる? どこにどうやって!
 来客がいるうちに『ごめんあっさーせ』とユリウスの横をスーッとすり抜ける。
 いや、寝たふりがバレたのと同じだって。

 寝たふりをしながら頭の中で壮絶な会議をしていると。

 ……おかしいな。扉の外に気配がない。
 
 私は起き上がり、小走りに扉まで走り、そーっと開ける。
 いない。誰もいない。
 どうやらユリウスは使者と一緒に、何かしらの用事で行ってしまったようだ。

 運命の女神は私に微笑んだっ!!

 私は超速度で自分の部屋に戻ると、飛び込むように浴室に入り、猛然と
シャワーを浴びまくった。
 そして部屋の鍵をかけ、ベッドに飛び込むと布団を頭から被ってブルブルと丸まった。
 だが昼間爆睡したツケで、一睡も出来やしない。
 そして何時間帯が経っただろう。

『……ナノ』

 ビクッとする。ユリウスがノックしてきたのだ。

『ナノ。大事な話がある。ナノ』

 開けられなかった。開けたくなんてなかった。
 なぜなら、時計屋の声には気まずそうな様子も、すまなそうな調子もなかったから。
 人に犯罪行為をしておいて、その声は何なんだ!

 返事をしないでいると、ガチャガチャとノブを回す音がした。
 役持ちに鍵開け能力がありませんように、と布団を被って震えていると、
あきらめたのか、足音が遠ざかっていく。

 私は心底から安堵した。そして、心にムカムカがこみ上げてくる。
 あれは犯罪だ。××未遂じゃないかっ!!
 一発殴ってやれば良かった。抵抗出来なかった自分が悔しくて、涙がこみ上げる。

 ……でも何がいけなかったんだろう。
 直前まで、良い友人だったのに。
 ユリウスが一人の男性ということに無神経すぎただろうか。
 彼だって男だ。一つ部屋に女が出入りしていたら……その、ちょっとムラッと
来るときだってあるかもしれない。
 いつかのときだって、ちゃんと抵抗しなかった。
 それで勘違いさせてしまったのかもしれない。

 男はケダモノだ。隙を見せた私も不用心だったかもしれない。
 でも彼には金輪際近づくまい。
 助けられた恩はあるが、珈琲でチャラだ。
 会合の期間は別室でやりすごそう。
 領地に帰ったって、人の多い墓守り領だ。
 適当な理由をつけて、ユリウスの部屋から一番離れた部屋に変更させてもらおう。
 根暗時計屋もさすがにあきらめるだろう。
 
 だが私は知らなかった。
 ユリウスには焦る理由があった。

 もうすぐ会合が終わる。

 ユリウスはすごく焦っていたのだ。
 強硬手段を講じるほどに。

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