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■ベッドでドキドキしました

 カフェにあらわれたエースは、いつもと変わらず爽やかだった。
 ニコニコと私に手を振り、
「やあナノ、ユリウスにいじめられたり、いびられたり、泣かされたりしていないかい?」
「汚されました(想像の中で)」
「ああ、やっぱり?」
『何かやっぱりだ!』
 自分から前フリをしといて、ユリウスと一緒にツッコミを入れてしまう。
 エースは目をパチクリさせ、そして大笑いした。
「いやー、再会してすぐ、そんなにいい仲になるなんて羨ましいぜ。
 真剣に俺も混ぜて欲しいよ」
 真剣なのか。

 私はエースに珈琲を持っていきながら、
「さっきのは冗談ですよ。ユリウスには生活を束縛され、毎時間帯ダメ出しをされ、
 着るものにすら口出しをされる過酷な日常を送っております」
「ああ、やっぱ――」
「そっちも冗談だ!」
 笑顔で言いかけるエースを制し、ユリウスは殺意のこもった目で私を睨みつけた。
「お前があまりにもダメ人間だから、保護者として指導してやってるんだろう!」
 この恩知らずが……と、ブツブツ。
「保護者?」
 聞いてくるエースに、
「自称保護者です。私が記憶喪失なのをいいことに、身体を好きに……」
「いい加減にしろ!!」
 殴られた。

 ぶたれた箇所をなでつつ、美術館の廊下を(迷子になるので)、エースを送っていく。そしてユリウスについてぼやいた。
「ユリウスって距離が取り辛いですね。何かと細かいし、いじめてくるし」
「あははは。俺にはむしろ君の方が、ユリウスをいじめている気がするんだけどね」
 にこにこにこ。大変に楽しそうだ。
「けど、俺のことを全然思い出してもらえないのは辛いぜ。
 あ、そうだ。今度二人でキャンプに行かないか? そうしよう!」
 勝手に決めるな。
「ともあれ、恩人で年上の方に、失礼な態度も考え物ですね。
 少しユリウスに甘えるのを自重することにします」
「いーや。存分に甘えてくれ。
 扉の隙間から覗いたとき、二人で仲良くなってるぐらいになってくれよ!」
 覗くな。
 そしてエースは言う。
「距離の取り方がわからないのは、あいつの方だよ」
 エースは屈託無く笑う。暗さのない、友人を思う笑顔だった。

「まあ、じれったい二人を見ているのも楽しいけど。
 今度こそ置いていかれないように、頑張れよ、ナノ」
 なぜかドキリとした。
「あ、エース」
「本当に今度、二人で旅に出ようぜ!」
 この辺でいいよとエースは手を振って歩いていった。
 全く反対の方角に。

 ――置いていかれないように……。

 私はエースを追いかけもせず、立ち尽くしていた。

 …………

 枕を抱え、女の子っぽくベッドに倒れ込む。
「どうすればいいんでしょう」
 何を、とは自分でも分からない。
 けれど何だかモヤモヤする。
「とりあえずベッドから降りろ。そこは私が寝る場所だ」
 作業机からユリウス。
「私も寝たいですが」
「断る」
 ええー。

 部屋で一人で考えると、憂鬱になってしまいそうだ。
 なので、仕事中のユリウスの部屋に押し掛けていた。
 そしてベッドの占拠中である。
 ユリウスはお仕事中なのに、珍しく私に構ってくる。
「いいじゃないですか。どうせめったに使わないベッドなんだし」
「今すぐ使うから、そこをどけ!」
 イライラしたご様子で工具を置く。
「ユリウス、お仕事は?」
「今、終わった」
 いえ作業机の物品、どう見ても修理しかけの時計でしょう。
 素人の私が見ても、仕事が一段落という段階ではない。
 だがユリウスは私を睨むように、大股でこちらに近づいてくる。
 薄幸の美少女、迫り来る長身の男に危機感を抱き、
「いやあ、何をするんですか! こっちに来ないで!」
 わざと怯えた声を出し、枕を投げつける。
 が、ユリウスはあっさりそれを受け止め、ギシギシと音を立て、はしごを上ってくる。
「逃げても無駄だ。抵抗を止め、おとなしくしろ」
 ああ! ついにベッドの上に時計屋が!
 ……毎度思うけど、耐荷重、大丈夫なのかな、このベッド。
 ギシギシ音と振動がかなり怖い。

 私は壁際まで逃げ、必死の顔を作り、
「近づかないで! 少しでも私に触れたら、舌を噛んで死んでやるから!!」
 ユリウスもだんだん乗ってきたらしい。
「やれるものならやってみろ。お前に触れたらどうだというのだ」
 と、私に手を伸ばす。
「助けてー!! おまわりさーん!」
「生憎(あいにく)と私が役人だ」
 ユリウスは私に抱きつくふりをした。
 いつ機嫌が直ったんだろう。
 もう仏頂面が維持しきれないのか、口の端がちょっと笑ってる。私も笑う。
 そして私の方からも、ふざけてユリウスに抱きついた。
 ユリウスはよろめき、
「おい、ベッドの上で暴れるな!」
 私を抱きかかえる形で、一緒にベッドに横になる。

「おい……」

 ……ベッドの上で男性と二人きり。
 時間帯は夜で、仕事中の時計屋を邪魔する客もいない。
「その……」
 急に恥ずかしくなったのか、気まずそうな表情になるユリウス。
 整った顔が間近になり、長いまつげまでよく見えた。
「あ……え……いえ」
 ユリウスが恥ずかしそうにするから、私まで恥ずかしくなってきた。
『…………』
 そのまま二人とも沈黙し――。

 どこからか、鳴き声が聞こえた。 

「!?」
 何か聞こえた気がして、ついユリウスに抱きつく。
「どうした?」
「何か、窓の外から大きな音が……!!」
『何だ』とユリウスは私の背を撫で、
「クジラだ、気にするな」
 ああ、そうか。びっくりしたー。
 緊張していたのかもしれない。大げさなことをして、気恥ずかしい。
 不自然ではない程度に身体を離そうとすると、
「!!」
 なぜか突然、ユリウスが私を抱き寄せた。
 胸の鼓動が高鳴る。

 ――え? ええ!?

 どうして、と聞けない。さっきまでの冗談が言えない。
 おふざけのの延長なんだろうか。
 もう一度離れようとしたが、さらに強く抱き寄せられ、動けなくなってしまう。

 ――…………。

 私もそれ以上は抵抗しない。
 自分の耳に聞こえそうなぐらい、心臓がバクバクと鳴る。
 ユリウスの時計の音も、はっきりと聞こえる。
「…………っ!」
 背中に回された手が動き、背筋が反り返る。
 明らかに意図を持った動きだった。
 吐息が首筋に。ユリウスの呼吸が――荒い。
「あ、あの……ユリウス……」
 やっとそれだけ言ったけど、ユリウスは構わず、さらに私を抱き寄せる。
 両足の間に膝が入り、足を絡められた。
 何だか……変な感覚がぞわぞわと身体を這い上がる。
「ん……んん……」
 手が腰まで下りてきた。
 そろそろ冗談では済まない段階に入っている。
 も、もしかして……本当に私、ネタにされてたりして……。
 顔を動かすと、ユリウスの端整な顔が間近にある。
 その顔がゆっくりと――私に――。

 ――や、ヤッパリダメー!! 全然心の準備が出来てないー!!

「……!!」
 気がつくと、ユリウスを突き放していた。

 ユリウスが目を見開く。
 瞬間、二人の間にあった、ある種の暗黙の了解が粉々になった。
「ユ、ユリウス……私、そろそろ、その、部屋に……お仕事、あるし……」
 気まずくて気まずくて、しどろもどろに言うと、

「ナノ……」

 ユリウスが身を起こし、恥じたように顔を伏せた。
 この表情は見たことがある。
 ただでさえ陰気な時計屋が、凄まじい自己嫌悪を引き起こしているときの顔だ。

「すまない。そうだな。嫌だったな……」

 ――いや別に嫌じゃ無いんだけど。何て言うか……。

 ……。今、何を考えた自分。

 しかし我に返ると、ユリウスはすでにベッドのハシゴを下りていた。
 そのまま作業机に戻り、何事もなかったかのように時計修理を再開させる。
「あ、あの、夜分に押しかけ、ご迷惑を……」
 私もベッドを下り、ユリウスに言った。
 でもユリウスは時計を黙々と修理し、返答しない。
 私はそっと部屋を出た。
 なぜか私自身も落ち込みながら。

 もうしばらく、ユリウスとまともに話せないと確信しながら……。


 …………

 十数時間帯後。

 ベッドの出来事を完全に忘れた私は、満面の笑みで時計屋の部屋を開け、

「ユリウスー!! エースと数時間帯、キャンプに行ってきますねー!
 私がいなくても正常にお仕事をして、人様に迷惑をかけず社会に貢献するんですよー!」
 
「ちょっと待てーっ!!」

 過保護時計屋の怒声が響いたのであった。

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