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■グレイさんのココア

グレイさんが入ったのは、塔の厨房だった。
私専用厨房も十分広かったが、塔の厨房となると一施設規模だ。
今は夜も更けて誰もいない。
「会合中はたくさんの人間が出入りするからな」
グレイさんはそう言って私を奥へ手招きした。
この人なので心配はない。私は素直に後をついていく。
やがて、グレイさんはコンロの前に来た。
傍らの流し台には、何かの袋とティーカップが一つ置かれている。
グレイさんは、私のためにわざわざ椅子を引いてくれた。
「ここで座っていてくれ、すぐ出来る」
「? はい」
私は玉露の袋を抱え、ちょこんと腰かける。
すると、グレイさんは棚から手鍋を取り出し、先ほどの袋の中身を手鍋に入れる。
そして冷蔵庫から牛乳を取り出し、同じく手鍋に注いで火をかけた。
やがて手鍋からぐつぐつと、いい煮沸音がする。
――この匂いは……。
珈琲でも緑茶でも紅茶でもない。
ひどく甘ったるい。でも懐かしい匂いだ。
やがてグレイさんは、沸騰直前に火を止め、鍋の中身をカップに注ぐ。
そして、私に差し出した。
「ナノ。飲んでくれないか?」
「は、はい」
私は受け取る。
甘いチョコレートの芳香。
ココアだ。
正直言って、あまり気が進まない。でも、
「俺のココアくらいで君の傷が癒やせるとは思わない。
でも、少しでも、何か栄養を取ってほしいんだ」
グレイさんに真剣な顔で言われ、逆らえるはずがない。
相変わらず食欲が完全に戻ったわけではないけど。
でもさっきは紅茶を飲めたしケーキも食べた。
私は少しずつ回復している。
――これを全部飲むのが、グレイさんを安心させる第一歩ですよね。
私はそっとカップに口をつけてココアを飲む。
温かい。
深いコク。ミルクとカカオの濃厚な味わい。
そして砂糖たっぷりの甘さ。
優しい味。人を癒やす飲み物だ。
私は思わず一気にココアをあおった。
「良かった。ありがとう」
淹れてくれたグレイさんが、なぜかお礼を言う。
私もお礼を言ってカップを返し、
「グレイさんは、料理がお好きなんですか?」
と聞いた。するとグレイさんは頭をかき、
「いや、実を言うと苦手な方なんだ。
だが俺の淹れたココアだけは、ナイトメア様も飲んで下さる」
そう言って笑う顔は、少し誇らしげだった。私はそうなんですか、と返そうとし、
「……?」
――あれ?
「ナノ?」
グレイさんが身をかがめて私をうかがう。
私は何だか身体から急に力が抜けてきた。
――ね、眠いです……。
猛烈な眠気が襲ってきた。ココアにはカフェインが含まれているはずなのに。
きっとあの温かさと甘さのせいだ。
一気に緊張が抜けてしまう。
私はフラフラを立ち上がろうとし、物の見事にグレイさんの腕の中に倒れ込んだ。
「ナノ! 大丈夫だ。俺が部屋まで運ぶ。
きっといろいろあって疲れたんだ。可哀相に……」
――あ、また可哀相って言われました。
けれどグレイさんは、私を両腕で抱えて、軽々と持ち上げる。
だけど、寝るのもアレだけど本当に寝る前にどうしても聞きたいことがあった。
「ぐ、グレイさん、ココア……」
――ココアがお好きなんですか?
グレイさんは慈愛に満ちた笑みを私にくれる。
「ああ。また淹れてあげるから今はぐっすり眠りなさい」
――いえ、そうではなくて……。
でもそれが限界で私は目を閉じた。
眠りに落ちる寸前、グレイさんが上機嫌に鼻歌を歌うのが聞こえた。何であんなにご機嫌なんだろう。
こんなに重い私を抱え、部屋まで行かなくてはいけないのに。
私はすぐに答えを導く。
――そうか。グレイさんはココアが好きなんですね。


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