続き→ トップへ 小説目次へ

■ダメダメですね

私はグレイさんの後ろについて歩く。
夜の時間帯になったクローバーの塔はとても静かだ。
「あの、グレイさん」
私は言う。先ほどのやりとりが回想されるにつれ、どうも久々の大ボケをかました気がして仕方ない。
「グレイさん?」
先を歩くグレイが立ち止まる。そして振り向き、私を見下ろした。
大きな背丈とよく似合うスーツ。でも煙草の臭いはやはりいただけない。
「ナノ」
「はい?」
私は見上げる。まだ少し気だるい。
部屋に帰ったら眠りたい。
「ひどい目にあったな」
「はあ」
まあ、確かに少しひどい目にあった。
「噂は聞いている。帽子屋屋敷に滞在し、一時期は奴の女になっていたと」
「事実ではありませんよ?」
それだけは、はっきり言っておく。
するとグレイは沈痛な面持ちでうつむいた。
「ああ、そうだろう。君は望んでマフィアの女になる子ではない。
異世界に来て、立場が弱いのをいいことに帽子屋に好きなようにされ……。
本当に、たった一人でよくそれだけの苦難を乗り越えてきた」
「え……?」
何か、先ほどから妙に、妙に食い違っている気がするのは気のせいだろうか。
大丈夫ですよと繰り返そうとして、ふと思う。

――何だか私、ずっとグレイさんに心配をかけてますよね。

初対面でエースと心中かという状況だった。
その後もベッド生活が続き、起きたら起きたでほとんど飲まず食わず。
何というか、ナイトメアがもう一人増えたようなものだったんだろうか。
現に、グレイさんはずっと私のことを心配し、常に気にかけてくれた。
ナイトメアのお世話や『会合』とやらで多忙なのに。
そ、それは申し訳ない。
すごく申し訳ない。
安心させることも出来なかった私の責任だ。
「ぐ、グレイさん……」
とはいえ、それでグレイさんのこの哀れみのまなざしである。
「ああ。すまない。君の傷をえぐるつもりはなかった」
「い、いえ傷も何も……」
どうもグレイさんの中では、私が『帽子屋ファミリーに虐げられた可哀相な少女』ということになっているらしい。
誤解を解かないことには、どんどん悲劇のヒロイン認定されてしまいそうだ。
「それでは、行こう。あと少しだ」
「はい」
グレイさんはまた歩きだし、私はついていく。
な、何か。何とかして安心させないと。
――とりあえず、次の食事から少しずつ食べて……。
食べて、どうしよう。
グレイさんの大きな背中を追いながら私は考える。
この親切な人を安心させるにはどうすればいいだろう。
そういえば、この世界に来てかなりの時間が経つけれど、私は仕事をほとんどしていない。
いや、記憶から締め出していたけど、実は何度か挑戦したのだ。

……けど、全てが壊滅的に失敗した。
メイド仕事を手伝えば皿を割るわ水をぶちまけるわ。
仕事を倍増どころか三倍増四倍増させ、
『お嬢様はのんびりお茶を飲んでいてください〜』
とニコニコと、しかし断固たる態度で使用人さんにモップを取り上げられた。
ならデスクワークをとエリオットの補佐につかせてもらったこともあるけど、
『初めて見た……エリオットより数字に弱い人間は……』
あのブラッドが目を見開いて驚愕していた。
で、毎日茶を飲む羽目になっていた。
時計塔でも居候居候、言われるのでユリウスの仕事を手伝ったこともある。
……思い出すも悪夢だ。
壊す、ぶちまける、落とす、転ぶ、破る、紛失する(以下省略)
『……もういい。厨房で珈琲でも淹れて適当にゴロゴロしてろ』
ついに追い出された。
あの珈琲事件も、積み重なった私の失敗に、ユリウスがぶちきれたようなものなのだ。

……掃除洗濯料理全てダメなら、数字も無理、書類もダメ、整理整頓も出来ない。
細かい手作業、単純作業、肉体労働、デスクワーク、何もかもダメ。
いや、本当に。泣けるほどにダメダメすぎた。
それで、今さらお金を稼ぐような仕事が出来るのか。
思うに、元の世界での自分も、あまり要領良くやれていなかったのではないだろうか。
私は記憶を取り戻すことや元の世界への執心が、未だに強いとは言えない。
自分のダメさ加減から考え、自分は元の世界にろくな記憶がなかったのではないか。
ときどきそんな気がしてならないのだ。
そうと分かっているだけに、今さら書類仕事を手伝えば、卑屈ではなく、本当にグレイさんの心労を増やしそうだ。
この世界の人たちは私に重いくらいの好意を向けてくれる。
でも私は何も返す物がない。
――いったい、どうすれば。
早くも泣きそうになってきたとき、
「ここだ。ナノ」
グレイさんが、私を振り向いた。


2/5

続き→

トップへ 小説目次へ

- ナノ -