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■厚意と再会

私はフラフラと塔の中を歩いている。
散歩に出たいと言ってナイトメアの部屋を出てきた。
足取りが覚束ないけど、仕方ない。

あの部屋の人は優しい。
ナイトメアもグレイさんも気づかってくれる。
でも、ときどきそれが重い。
まだほとんど食べられない私を外に出す事にグレイさんは渋い顔だったけど、
ナイトメアが『一人になる時間も必要だ』と言ってくれ、散歩に出られた。
でもグレイさんは言った。
『だが、散歩はこのあたりだけにして、客室の方には行かないでくれ。
会合中で荒っぽい連中が多いんだ』
会合、というのはよく分からないけど、グレイさんの言葉なのでうなずいた。

――あ、でも行く前に。
私は玉露の袋を取りに行った。
最近は部屋に置いておく事も多いけど、何となくあれがあると落ち着く。
お守りのようなものだった。ちょっと大きいけど。
私は用意された部屋に入り、奥の扉に入る。
「…………」
見慣れた今でも圧倒される。
それは、ナイトメアが私のためだけに用意してくれた専用厨房だった。

塔の主だクローバーの国の領主だと言われても、何だかピンと来なかった。
けど『君が元気になってくれるように用意させた』とこの厨房を見せられたときは彼の権力と財力に驚いたものだ。
それはもう、店でも開けそうな空間だった。
ついでに博物館でも開く気かと言いたくなるほど、あらゆる飲料器具がそろっていた。
ティーポットだけで種類別に数十、珈琲も手回しミルからグラインダー、フレンチプレスまで何でもござれ。
もちろん私の本職(?)たる緑茶も、急須はもちろん、宝瓶に搾り出し、すすり茶器まであるというこだわりぶり。
もちろん別の棚の珈琲豆と茶葉の種類は、数えるのが馬鹿馬鹿しいバラエティだ。
――何で、こんなに親切にしてくれるんでしょうか……。
けれどさらに申し訳ないのが、これを見ても何をする気も起きない事だ。
以前の私なら大はしゃぎで何か淹れ始めただろうけど。
ナイトメアは、私の反応の薄さにがっかりするということはなく、君の気晴らしになればいいんだ、とだけ言ってくれた。
私はとぼとぼと専用厨房を歩き、奥の流し台を目指す。
そのとき珈琲豆の棚の、ある袋が目に入った。
――こ、コピ・ルアクっ!?
私は思わず珈琲豆の棚に駆け寄って取り出す。
ロット番号にジャコウネコのジャケット……間違いない、あのコピ・ルアクだ。
ジャコウネコが食べた珈琲豆を、糞から抽出、焙煎したという、世にも奇妙な工程を経て出来る幻の稀少種だ。
むろんとても高価。
だけど使え、とばかりにポンと置いてある。
さすがにこの気前よさには目を見張る。
少し興味もわいてきた。
――これで美味しい珈琲を淹れたらユリウスもきっと……

…………。

そうだ。ユリウスはいない。

美味しい珈琲を淹れても、飲んでくれる人はいない。

私は玉露の袋を抱え、私専用厨房を出た。

クローバーの塔は広い。
今は『会合』とやらの開催で、いろんな人が出入りしている。
だけど、そう歩かないうちに、へたばってしまった。
少し厨房に立ち寄り過ぎたかもしれない。
仕方なく、窓辺に持たれて日差しを浴びる。
ここはクローバーの塔。
ユリウスはいない。
別の国にいて、無事だ。
それは分かっていたけど、珈琲豆を見た、という単純なことでやっと実感した。
それまでずっと、彼の不在を自分の中でうまく処理出来なかった。
――ああ、いないんですね。

ため息が出る。私の落ち込みようは大げさだ。
別に恋人同士だったわけじゃないし、短期間しか一緒にいなかった。
死別したわけではないから、いつかは会える。多分。
でも、ユリウスは……。

「ったく、時計野郎。ブラッドを狂言にはめるなんて許せねえ!!」
そのとき、何だか騒がしい声が聞こえた。
懐かしい声な気がする。
もしかして会合の客室あたりに来てしまったのか。
近づかないようにと言われていたのに。
だけど動く気にもなれない。
「まあ、時計屋には一杯食わされたが問題はお嬢さんだ。
トカゲは何度言っても面会謝絶の一点張りだからな」
誰かの声に、ドキッとする。
この声にはいつも胸がざわざわする。
「お姉さん、本当に面会謝絶なのかな」
「会いたいね〜、お姉さん」
足音が近づいてくる。
私は一気に立ち上がり……急に立ち上がった反動で、ドサッと倒れた。
そして起き上がれなくて、床にへたばった。
やがて、見知った顔が向こうから現れた。
今はよりマフィアらしいスーツ姿だ。
そして双子君ではなく……誰だろう、あの二人。
「お嬢さん!?」
「ナノ!?」
「お姉さん?」
「お姉さん!」
彼らが見たのは、玉露を抱えて倒れた少女。
もうどこから突っ込みを入れたらいいのやら。
おまけに目からいっぱいに涙を流して見上げている。
それは驚くだろう。
倒れたまま、お久しぶりですと言おうとしたけどどうにも声が出ない。
駆け寄ってきたブラッドに抱き起こされ、私は紅茶の匂いを感じる。
――あ、ダージリンですね。
そのまま目を閉じた。


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