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■ブラッド氏との出会い

――薔薇とティーカップ?
最初に目に入ったのはその二つだった。

男性は薔薇つき帽子を取って私に一礼する。
「こんばんは」
「こ、こんばんは……」
私もあわてて頭を下げた。
彼はまるで夢の中から出て来たような、目を離せない雰囲気を持つ男性だった。
月明かりに照らされ、ティーカップを片手に、彼は私に笑いかける。
「いい夜だな、お嬢さん」
「ええ。と、とても月がきれいですね」
何となく雰囲気的に応じてしまう。
いちおう挨拶を交わせたことで、私は少し緊張が解け、ついまじまじと彼を見た。
ステッキに乗馬服に薔薇付き帽子。
仮装に近いというか、屋敷に劣らず奇妙な格好の人だ。
けれどどこか品の良さがある。そして変わった格好を相殺する存在感。
とても整った顔立ちをした人だ。
カップから香りが漂い、私の鼻腔に届いた。
銘柄はさっぱり分からないけど、これは紅茶だ。
月明かりに泉にお屋敷に紅茶に、貴族のような男性。
恋愛より玉露の気分だった私の胸も、ロマンチックにときめく。
「お嬢さん。その水を飲み水にするのは止めた方がいい。
浄水はしているが、ホコリや虫の死体くらい浮いてるかもしれないからね」
……ロマンチックにはほど遠いことを言って、紅茶氏は私を現実に戻してくれた。

「そうですか。教えて下さってありがとうございます」
私は素直に頭を下げた。紅茶氏はなおも紅茶を飲みながら
「それで、可愛らしい侵入者殿は、我が屋敷に何のご用かな?」
「…………あ」
私はようやく自分が不法侵入者だと思い至った。
「す、すみません。勝手に入りまして! 私はナノと申します。
ちょっと迷子になってここに入り込んでしまいました!」
焦る私を前に、紅茶氏はくつくつと声を立てて笑った。
「ふふ。迷った末に屋敷に入り込んだ、か。どこぞの騎士のようなお嬢さんだ」
「騎士?」
騎士なんているのだろうか。まあ、奇妙なところだからいるのかもしれない。
「おっと自己紹介が遅れたな。私の名はブラッド=デュプレだ。礼儀正しいお嬢さん」
「ナノとお呼び下さい。ブラッドさん」
帽子を取る紅茶氏に、私も日本式のお辞儀をする。
「ブラッドでかまわないよ、ナノ」
「ご親切に感謝します。ブラッド。それで、家に帰ろうとして迷い込んだのですが
ここはどこですか? 住所を教えていただきたいんです」
するとブラッド氏は、
「ここは帽子屋屋敷だよ、ナノ」
「聞いたことがありませんね……では家に電話をかけたいのですが、
携帯電話を貸していただけませんか?」
料金のことはわざと言わないでおく。実は一銭も持っていない。
――というか、名字も忘れた私が家の電話番号なんて思い出せるんでしょうか。
試しに頭の中に家の番号を浮かべようとしたが、何も浮かばない。
というか住んでいた場所が、一軒家だったかそうでないかすら分からない。
すると男性は、
「そんなものはここにはないな。電話はあるが、果たして君の家につながるかどうか」
「え?圏外なんですか?」
ちょっと驚く。大きな城や遊園地があるような場所で電波がつながらないことがあるんだろうか。
……考えたくはないけれど、ここは海外なんだろうか。
「さてどうかな?」
意地悪な返答だった。
オロオロと戸惑う私にブラッド氏は、
「さて、私はちょうどお茶会のメンバーが少なくて困っている」
悪い人ではなさそうだけど、この外見ならさぞ人集めに苦労するのだろう。
「メンバーが少ないのは大変ですね」
「ああそうとも」
「がんばってくださいね」
私は家に帰る方法を引き続き探索することにしよう。
友達のいなさそうなブラッド氏に心からの声援を送ると、
「何を言っているんだ。君が参加するんだよ」
「え?」
私は止まる。ブラッド氏は続けて、
「参加しなさい。それで不法侵入は不問にしてあげよう」
「あう」
痛いところを突かれてつまってしまった。
対するブラッド氏は上機嫌なようだった。
すいっと私に近づくと、腰に手を回してくる。
「うわっ!」
私は、さすがに強ばるが、ブラッド氏は構わずに私をどこかに伴っていく。
「ぶ、ブラッドさんっ!」
「ブラッド、でいいよ。お嬢さん」
「いえ、そうではなくてですね」
けれど私を離す気配もなく、ブラッドはさっさと歩いて行った。

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