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■銃とそよかぜ・後

「帽子屋屋敷には戻らないと?」

私の返答を聞いたブラッドは底冷えするような声を出した。
「マフィアとか、そういう世界は合わないと思うんです」
本音を言えば、お世話になった分の金もちゃんと働いて返したい。
……とはいえ、もうすぐ元の世界に戻れるらしい。
ゆえに踏み倒す確率が高いので言えないけど。
「やれやれ。私に何をねだりたいんだ? お嬢さん。
新しいグリーンティーの茶葉か?服か?宝石か?」
「そんなものは、いりませんですよ。
子どもじゃないんだから物には釣られません」
「釣られてほしいものだ。その方が話が早いからな」
「性悪猫ですから」
以前、猫のようだと遠回しに言われたことを皮肉ってみる。
けれど、ブラッドは違うことを言った。

「いや。あれから少し考えが変わった。
君は猫と言うより『そよかぜ』のようだ」

何か。風のように空気っぽいということですか。
しかしブラッドは歌うように言う。
誰も来ない、静かな紅茶保管室の中で。

「窓を開けた私の部屋の中に君はいつの間にか入り込んでいる。
君が私の髪を優しく揺らしてそして私は君がいることに気づく。
けれど、その暖かい風を心地よく思っているといなくなってしまうんだ」
ブラッドは言葉を切る。
「銃では風をつかまえられませんよ、ブラッド」
そう言うとブラッドも少し笑う。
「銃とそよかぜか。相性も悪そうだ」
「そうかもしれませんね」
うなずく。ここで別々の道に立ち去れば爽やか映画。
でもブラッドは諦めてくれない。
「では帽子屋屋敷に帰るぞ、ナノ」
「あのお……人の話聞いてました?」
だが帽子屋ファミリーのボスはニヤリと笑った。
「私はしたいときにしたいことをする。
君の指図といえど、受ける気はないな」
何というか、言動がいろいろ矛盾していないだろうか。
突っ込みを入れるだけ無駄な気がするけど。
「だから……おっかないのが嫌なんですよ!
マフィアだの、銃だの、犯罪行為だの!」
「マフィアが嫌なら、私の部屋にずっと置いておく。
私と紅茶を飲み、それ以外はベッドにいろ」
それは命令だった。

時間帯が昼から夕刻に、突然夜に代わり、どこからか賑やかな音楽が響いてくる。
紅茶の保管室には相変わらず誰も来る気配はなく、私は場にそぐわないドレス姿でブラッドと対峙し、話をした。

「……というわけで、私はあなたに、その、そういう扱いを受けたのが嫌だったんです」
あまりにも物わかりが悪い男性だったので、結局自分の口から説明する羽目になった。
けれどブラッドは分かっていない。
「私の下であんな顔をしていた君が、あの行為に傷ついたとは、納得出来かねるな」
私の言い分を聞いたブラッドは冷ややかに言った。
そして乱暴に私の肩に触れ、
「神聖な紅茶の殿堂で、しかも君は珈琲の香水をつけているが、もう一度確認させてもいい。
君があの行為を確かに喜んでいたと。
君が誰の物か、君に再教育出来るというのなら」
冗談だと思いたいことを、実行するのがブラッドの恐ろしいところだ。
「ブラッド……止めてください」
私は強く言う。
本気になったブラッドが、人目や人の意思に構わないのは経験済みだ。
「ナノ……」
ブラッドが私の肩を抱き寄せ、大きく開いた鎖骨のあたりに唇を触れさせる。
「ブラッド……っ」
触れられた箇所が熱い。
私の中に、あのときの熱が再生される。
もう一度。理性なんか捨てて、彼の望むままに。
以前の、帽子屋屋敷にいたころの私なら流されていたかもしれない。
でも……。
――ユリウス。
彼の姿を思った瞬間に、私は落ち着きを取り戻す。
寡黙な時計屋の彼は、なぜか私の心に勇気をくれる。
私と同じ目線に立とうとし、不器用で親切で、飾り気がない。
でもブラッドよりはるかに信じられる。
ブラッドのように、考えると心に波風の吹く人ではない。
だから私は言ってみる。
「ブラッド。私はユリウスが好きになったと思うんです。
だからもう、私のことは諦めて、他の人を探して下さい」
「嘘だな。時計屋ごときに君が落とせるとは思えない」
ほぼ即答だった。そして再び私のドレスに手をかけようとする。
だんだん腹が立ってきた。
この人はなんでこう私に執着するのだろう。
執着している割に私が傷つくことを平然と口にするのだろう。
「君は私の物だよ、ナノ」
「私は私です。物なんかじゃない。
あなたのペットでも何でもありません!」
だけどブラッドは決して私を分かろうとしない。

「分からないなら何度でも言う。
ナノ。君は私の物だ。
所有権も優先権も全て私にある」
「違います!私は私の物です!」
「帽子屋屋敷に連れ帰って珈琲の匂いを落としたら、君の身体に分からせてやろう。
当分は私の部屋から出られないと思いなさい」
勝手すぎる言い分に、私の中で何かが外れた。

「いつそう決まったの!
私はあんたみたいな最低男なんて大嫌いだよ!」

……私は思わず口に手を当てる。
いつもの丁寧な言葉使いではなく、怒りにまかせた罵詈雑言でもなかった。

ブラッドは、どこか勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「やっと、本当の君に触れることが出来たな。
時計屋ではなく、私だけがたどりついた。
そうだろう? ナノ」
「私はあなたが嫌い、です」
この人といると、自分が自分でいられなくなる。
「私は君が好きだ、誰よりも。ナノ」
ブラッドはそう言った。

銃では、そよかぜを捕まえられない。
銃はただ風を切り裂くものだ。

「ナノ……」
ブラッドが私の肩を抱き、再び唇を寄せてくる。
私は身じろぎも出来ず、ただ彼の瞳を見ていた。
そのとき、

「そいつに触れるな、イカレ帽子屋」
私は振り向いた。

時計屋ユリウス=モンレーが立っていた。


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