続き→ トップへ 小説目次へ ■珈琲の採点が終わった・後 それから、少し経ったある時間帯のこと。 「合格点」 夜の作業場でのことだった。 さらに研究に研究を重ねた勝負の一杯だった。 その珈琲を一口飲んだユリウスは、私を見てそう言った。 「は?」 お盆を抱えた私はその言葉が信じられず、眉をひそめた。 「合格点だ。もう点をつける必要が無い」 「ユリウス……」 納得行かず、低い声で言う。 合格、だけでは全く自分のレベルが分からない。 するとユリウスは気まずそうに、 「こういった嗜好品は個人の味覚に左右されるものだ。 私の舌に合わせていても、仕方ないだろう」 確かにそうだけど、今さらそれを言うか、と恨みがましい気さえ湧いてくる。 見返したい、評価されたい一心であれだけ勉強したというのに。 まさかそんな姿が哀れになって点をつけるのを止めたということなんだろうか。 「意地悪しないで教えてください。何点だったんですか?」 今回は自信があった。 挽いた粒も均一。豆に合った湯温と抽出速度。そして完璧な濃度調節。 珈琲の淹れ方をほとんど知らない状態から出発し、こき下ろされ、怒られ、怒鳴られ、 呆れられ、見放され、不眠症と戦い急性カフェイン中毒になりかけながらも、試行錯誤を繰り返してきた。 それなのに今さら『合格点』の一言で終わるなんて。 「おまえはもう、誰に出しても恥ずかしくないものを淹れている。 焙煎技術もずいぶん上達した。もう点数をつける段階ではない」 それはあれか。 漫画とかの『もうおまえに教えるべきことはない』状態のあれか。 でも全く嬉しくない。 「そうですか。もういいです」 少し肩を落とし、片付けをするために背を向けると、 「つけられるわけないだろうが。点数なんて……」 ユリウスが小さく呟くのが聞こえた。 『え?』と思って振り返ったけれど、もうユリウスは仕事に没頭していた。 没頭するふりをしていたのかもしれない。 そして、その朝の時間帯。 私はいつものごとくエプロンをつけ、時計塔の厨房に立っていた。 ユリウスの食事に出す、コロンビア珈琲の生豆を焙煎していたのだ。 鼻歌交じりに薄皮舞い散るフライパンを動かしていると、 「何かもうすっかり、手つきが慣れてるよな。 エプロンなんかしちゃって、ユリウスの奥さんみたいじゃないか」 「いや、こいつは珈琲と緑茶を淹れる以外、本当に何もしないんだ。 あとは珈琲の本を読むか、食って寝てばかりいる」 「ええ、居候なのに!?」 後ろから、気楽な声と、陰鬱そうな声が聞こえた。 ……何だかえらく耳に痛いことを話していた気がするけど、聞かないことにした。 振り向くと、エースとユリウスがいた。 「やあ、ナノ!」 エースが爽やかに手を振った。私もエースに軽く頭を下げる。 「珍しいですね。二人が厨房に来るなんて」 ユリウスは基本的に仕事場から動かない。 エースは時折迷い込んできて珈琲や保存食を強奪していくものの、来訪の主目的は仕事のようだった。 私が好きだと言いつつも、特に手を出しては来ない。 ユリウスが睨んでいるせいで私にちょっかいが出せない、ということをこぼしていた気もする。ありがたいことだ。 まあ、この騎士は本心が分かりにくい人でもある。 「悪いけど今、焙煎を始めたばかりでちょっと手が離せないんです。 珈琲は後でお淹れしますね」 そう言うと、 「いや、焙煎は中止してくれ、ナノ。 これから出かける」 「え?」 一度焙煎を始めた豆を火から下ろすなんて、言語道断だ。 ユリウスが珈琲豆を無駄にすることを許すなんて……。 驚きに目を見張る私に、ユリウスは重々しく言った。 「これから舞踏会に行く」 2/10 続き→ トップへ 小説目次へ |