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※注意:この作品はR15、R18、鬱展開、暴力描写を含みます。
少しでも不快に感じられましたら、すぐにページを閉じてください!


■始まりと玉露

冷たい風を感じて目を開けると、あたりには暗闇が広がっていた。
「……?」
私は身体を起こし、怪我をしていないか確かめる。
幸い、目に見える場所に外傷はない。
ついでに言うと服も乱れていない。
勘ぐってはアレだけど、何か事件に巻き込まれたわけではないようだ。
――ということは、あれですね。また呑気に昼寝しちゃいましたか。
「あはは、ずいぶん遅くなっちゃいましたね」
私は自分で自分に笑い、小さくくしゃみをする。
風が冷たいなあ。空はあんなきれいな星空なのに。

私はダルい身体を叱咤し、木の根元から起き上がった。
「こ、腰が……」
寝過ぎたせいだろうか全身が痛い。
そして背中についた草だの葉っぱだのをはらった。
何てことだ。私はいったいどのくらい長いこと昼寝していたのだろう。
しかも夜まで!外で!
何もなくて本当に良かった。
私は小さく肩を落とした。
「またダメダメですねえ」
痛む身体をほぐし、とりあえず家に帰ることにした。
「――家?」
そして私は辺りを見回す。
そういえば、ここはどこなのだろう。
遠目には実に奇妙な光景が広がっていた。
「うわあ……」
まず視界に入るのは盛大にライトアップされたおかしな形の城、かなり遠くで
細かい形状までは分からないけれど、遊園地のアトラクションのような個性的な城だ。
でも逆の方向からは本物の遊園地が見える。あれは観覧車だろうか。
賑やかな喧噪がここまで聞こえてくる錯覚を起こしてしまう。
けれど近くに見える巨大な塔も、華やかさこそないものの、無視できない雰囲気が
あり、どこか重い威圧感を放っている。
そして……間近に見える何だか大きなお屋敷。
お屋敷ゆえよく見えないが何だかすごそうなところだ。
ここは何とか村という類のレジャー施設か何かなんだろうか。
自分の家からなんて離れたところに来てしまったんだろう。
――自分の家?
私ははたと止まる。そして小首を傾げた。
――ええと、私の名前はナノですね。名字は……あれ? なんでしたっけ?
「……あれ? あれ??」
頭がこんがらがる。

全く思い出せない。

こ、これは俗に言う記憶喪失というやつだろうか!
「ああ、困った、困った! 困りました」
思い出せそうで思い出せない。あの感覚が延々と続くのはかなり苦痛だった。
とはいえ、そればかりに構ってもいられない。
「え、ええと、まずは安全と食糧を確保しないと……」
ここがどこだか分からないし、夜の森に女一人では襲われる危険が高い。
記憶がどうこうという問題に立ち返るのはそれからだ。

とはいえ、どうしよう?

…………
私はとりあえず、お屋敷に保護を求めることにした。
何となく場所が一番近そうだったからだ。
行き先を決め、私は手に持った袋を抱え直した。
――手に持った袋?
見下ろすと、私は確かに袋を抱えていた。
気がつかなかったけど、私は最初からずっと、これを後生大事に抱えていたらしい。
包装の触感は上質の和紙。中は少し重みのある粉状のものだ。
もしかすると、この妙な場所や私の記憶に関する手がかりがつかめるかもしれない!
私はすぐに袋を月明かりに照らし、表面に書いてある文字を読み取ることにした。
――お願いします、私に関する唯一の手がかり!
祈るように袋を見る。するとそこにはこう書かれていた。

『玉露』

私は袋を大切に抱え、夜道を歩いていた。
よく分からない。よく分からないけれど、これを見た瞬間に自分が日本人で、
この玉露がとてつもなく重要なものだということが分かった。
きっと聖剣を守るドラゴンにとっての聖剣みたいなものに相違あるまい。
定番ネタからすれば、この玉露が世界を救うはずだ。
――というか、そういう妙な知識だけ覚えているんですね。私は。
自分の家の住所だの、名字だのと言った重要情報は相変わらず戻らない。
私は夜道を急いだ。

「……な、なぜにまだたどりつけないのですか」
歩けど歩けど、お屋敷は中々見えてこない。
いい加減、足が棒のよう。
近いと思っていたお屋敷は、想定外に敷地が広かったらしい。
夜目だったし、お屋敷が思ったより巨大すぎて一番近いと錯覚してしまった。
倒れている場所に近い方が記憶に関する手がかりがあったかもしれないのに。
そして相変わらず何も思い出せない。
でも、もうかなりの距離を歩いたし、今さら夜道を戻るのも怖い。
私は疲れる足を引きずって歩き続けた。

「うわあ……すごいですね」
ついにそのお屋敷に着いたとき、私の口から驚きの声が出る。
大きいとは思っていたけれど、間近で見ると本当にすごい門構えの大邸宅だった。
入り口も豪勢だけど、中をのぞくと本邸に加え、大小いくつかの別邸、屋敷付きの
巨大な泉まで見える。どれだけの財力を持っているのだろう。
「それにしても……」
私はしげしげと門を眺めた。
こんな大きな邸宅、しかも夜だというのに警備の人が見当たらない。
しかも門は開いている。
「い、いいんですかね?」
私は小心に辺りをキョロキョロ見回し、意を決して門の内側に入った。
――とりあえず、どなたかに道を聞こう。
建物に勝手に入るのはどうも気が引けるので、私は散歩している人がいないかと
辺りを歩き回ることにした。

――それにしても、変なお屋敷ですね。
そこかしこに見えるのは帽子のモチーフ。アートにしても行き過ぎを感じる。
ここの家主には帽子への特別なこだわりがあるのだろうか。
やがて、私の耳に水音が聞こえた。
どうもさっき門の前で見た泉のそばまで来たらしい。
恐らくこのお屋敷が作った人工の泉だろう。お金持ちはスケールが違う。
――そういえば喉が渇きましたね。
私は泉のそばに座り、水面に顔を近づけた。
庭園灯の光源に照らされて映るのは平々凡々たる娘さん。
「この水をわかしてお茶が飲めますかね……」
私は腕組みしてうなった。
そのとき、

「飲み水にはなるが、お勧めはしないよ、お嬢さん」

後ろから声がした。
私は振り返った。

――薔薇とティーカップ?

最初に目に入ったのはその二つだった。

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