続き→ トップへ 小説目次へ ■小瓶はどこだ? 「こ、珈琲道は奥が深いんですね……」 ユリウスの作業室のこと。 私はソファの上で珈琲の本を読みながら頭を抱える。 生豆か焙煎豆か。 深煎りか浅煎りか。 粗挽きか細挽きか。 その他、粉量、湯温、抽出速度。 肝心の淹れ方にしても、ドリップ、サイフォン、イブリック、マキネッタ(以下略)と多岐に亘る。 もちろん豆の種類もそれに劣らず多種多様であり……これは素人が数十時間帯で制覇出来るレベルではない。 「だから、無理に覚えなくていいと言っただろう。 趣味で飲んでいるうちに少しずつ覚えていくものなんだ」 時計修理をしていたユリウスはなだめるように私に言う。 「緑茶でいいだろう。おまえの国の専門だし、好きなんだろう?」 「ええ。恋より玉露が好きです」 これだけはキッパリと言い切れる。 同時に肌身離さず持っている玉露の銀包装をなでた。 「恋より、か」 ユリウスは少し苦笑した。 そしてふと思い出したように 「そういえばおまえ、小瓶はどうした?」 「小瓶?」 「ペーター=ホワイトに飲まされた薬の容器だった小瓶だ。 あれはどこにやった?」聞かれて、私の頭に疑問符が乱舞する。 ユリウスもハッと気づいたように、 「そうか。そういえば記憶喪失だったな」 「ペーターに飲まされたってそれ、どういうことですか?」 私も聞いた。 私はソファに正座している。 そして自分で淹れたほうじ茶をすすりながら、 「耳をちょん切ります」 「……おい」 「あ、間違えました。耳を引きちぎります」 「まあ、あの白ウサギなら喜んで享受するだろうが……」 ユリウスは自分で淹れた珈琲を飲んでいる。 布ドリップで抽出した中煎りのサントスだ。 私はユリウスがうっとうしがるのを無視して、横でじーっと作業を見ていた。 ――見事な手際でした。絶対に次こそ、己の手で再現してやる……。 いえ、それはさておき。 ユリウスは私がこの世界に来た当時のことを教えてくれた。 ――ペーターが私にキスしていたなんて……。 乙女として許されることではない。 「まあ、その後のパンチも手首のスナップが利いていたがな」 ――個人的には、黙って見ていたこの人も蹴飛ばしたいけれど。 まあ、家主には逆らえない。 私は気分を切り替えた。 「それで、その小瓶が元の世界に戻るための鍵なんですね」 「ああ。おまえが確かに拾ったと、奴も言っていたんだが……」 「『奴』?」 「あ……コホン、何でも無い。こっちの話だ」 わざとらしく咳払いするユリウス。 怪しすぎるけど、まあ、いいか。 「無くしたなら、探しに行った方がいいですかね?」 塔の外に出るのは気が進まない。 でも元の世界に帰るために必要なら出なければいけないだろう。 とはいっても、目が覚めた場所が分かったとして森の中だ。 果たして簡単に見つかるかどうか……。 「いや、あれは落としたり無くしたり出来る類のものではない。 おまえは必ず持っているはずなんだが……」 ユリウスは気むずかしげにうなる。 「必ず持っているならいいんじゃないですか? そのうち出て来ますよ」 私が慰めるように言うと、 「気楽でいいな、おまえは」 時間の番人氏は憎らしげに私を睨んだのでした。 とはいえ、私がこの世界に来たときのことを詳細に説明されたのに記憶が戻らない。 これは由々しき問題だ。 もっと話してくれるようにユリウスに言うと、 「いや、別に思い出せないのなら、無理に思い出さなくてもいいのではないか?」 「え?」 信じられないことをユリウスが言った。 するとユリウスは言いにくそうに、 「私は、その、記憶のあったときのおまえより、今のおまえの方が……」 そのとき、 「ユリウスー! ナノー! 久しぶりだなあ!!」 豪快な音を立てて扉を開け、エースが入ってきた。 3/4 続き→ トップへ 小説目次へ |