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■時計塔のお茶の味

珈琲をカップに注いでいたとき、後ろから声をかけられた。
「また、ここにいたのか」
「あ、おかえりなさい。新作の珈琲ですよ」
買い物から帰ってきたユリウスに、厨房にいた私はニコニコと珈琲を差し出す。
ここのところ、私は時計塔で過ごす時間の半分以上を、厨房で過ごしていた。
もちろん珈琲の研究に余念がない。
……研究というには無残な出来の物しか淹れてないけど。
ユリウスも、私が差し出した新作の珈琲を見るなり眉をひそめた。
「色も悪いし匂いもひどい。
一体何の豆を使ったんだ?」
「コロンビア豆のスプレモですよ。中炒りの粗挽き」
「中炒りなら中挽きにするのが常識だ。
湯温も低すぎるんじゃないか?」
ブツブツ言いながらもユリウスは一口含んでくれ……

「だ、大丈夫ですか? ユリウス」
流しの水をガブガブ飲んで、ようやく治まったユリウスは、私をすごい目で睨んだ。
「……二点」
「うう」
冷酷な採点にうめき声しか出ない。
だがユリウスは怒気をはらんだ声で、
「おまえ……生豆を勝手に焙煎しただろう」
低い声で言われ、冷や汗が流れる。
そ、そう。生豆があったので、火にかけローストしてしまったのだ。
その作業を『焙煎』という。
自分のお好みに煎り具合を調節出来るという、マニア憧れの工程。
むろん、珈琲店のオーナーがやるような職人の領域だ。
「あ、あはは。つい」
いやあ大変だった。
熱々の豆がフライパンから眼球めがけて跳んできたときは死を覚悟した。
そしてユリウスは烈火のごとく怒った。
「つい、ですませるな!!
ハンドピックもエイジングもろくにやってないだろう、おまえ!
ヴェルジもパーチメントもコッコも入っていなければあんな悪臭になるか!
手回しミルもろくに使えない素人が焙煎に手を出すな!
いいか、ニュークロップの水分含有量は……」
ガミガミと叱られ、謎の専門用語を羅列される。
飲み物に執着しないように見えるユリウスだったけど、実際には帽子屋屋敷の主並みに味にうるさい人だった。
そのかしましさたるや、紙ドリップと布ドリップの違いを味で判別するレベル。
「ユリウス。次は! 次は必ず成功させますから!」
「ダメだ。おまえは当分珈琲器具に触れるな。
触れたら、その場で塔から追い出すぞ!」
「あう」
それを言われたら反論出来ない。
私はガクッと肩を落とした。
「……そう、合わせることはない」
「え?」
急に落とされた静かな声に顔を上げると、ユリウスが私を見ていた。
怒りが収まったのか、とても静かな瞳だった。
「帽子屋屋敷には良い思い出も多いんだろう?
なら無理に忘れようとする必要はない。
一度嫌なことがあったからといって、何もかもが否定されるわけではないだろう?」
「…………」
私はここに来てからずっと、病気のように珈琲だけを追及していた。
緑茶も飲まずに珈琲だけを。
いつも馬鹿みたいにはしゃいでいた。
失敗してはユリウスに怒鳴られてヘラヘラ笑って。
忘れようとしていた。
帽子屋屋敷の思い出を。
……帽子屋屋敷の主を。
「これをやる」
ユリウスが紙袋を私に渡した。
街での買い物の品らしい。
「え……でも……」
戸惑いながら顔を上げると、
「珈琲の味は、少しずつ上達している。
だが無理に急ごうとするな」
「ユリウス……」
ユリウスはそれ以上は言わずに厨房から出て行った。
でも最後に立ち止まり、
「それと今度焙煎するならキューバ豆にしろ。
あの方が初心者向きだ」
そう言って、階段を上がっていった。
厨房に遺された私は紙袋の中を見た。

急須と、煎茶の茶葉が入っていた。

時計塔の最上階にシートを引く。
やかんに入れた、カルキ抜き済みの湯に温度計を入れ、湯温を確かめる。
そして適量の煎茶の葉を急須に入れ、湯を適量入れる。
さらにまたちょっとお湯を足し、少し待つ。

『茶葉を見るんですよ、ナノ様』

帽子屋屋敷にいた緑茶ソムリエさんという人の言葉が浮かぶ。
構成員でもあったその人は、何度目かの大きな抗争のときに帰ってこなくなった。
その人のことはずっと意識から締めだしていた。
私は茶葉が開いたのを確認し、あらかじめ温めておいた湯飲みに注ぐ。
一口含むと、爽やかな苦みとかすかに混じる甘み。

『この和菓子、本当に美味しいですね。あ、お茶も悪くないですね』
『甘くて小さくて形も可愛くて……あ、お茶も美味しいですよ?』
あわててつけ加えた使用人さんたち。

『ニンジン茶ってないのか?』
真剣な顔で聞いてきたエリオット。

『ねえ、お姉さん、砂糖入れていい?』
『ねえ、お姉さん、牛乳入れていい?』
真顔で聞いたディーとダム。

『ふむ。個性的な味わいだな……』
一度だけ飲んだその人は、少し複雑な顔でそう言った。

時計塔の最上階は強風地帯だ。
「はあ……お茶が美味しい」
私は正座をし、ばっさばさと髪と足下のシートを風に揺らしながら、お茶をすする。
私は安全な時計塔の高みから地上を見下ろす。
帽子屋屋敷は見ない。
見ない。
でも見える。
心の中で思い浮かべている。
「あれ? 何だかしょっぱいですね」
視界がぼやけている。
雨が降らない世界らしいのに緑茶にポタポタ雫が落ちる。

私はずっと風に吹かれてお茶を飲んでいた。
涙が後から後からあふれて、止まらなかった。

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