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■コーヒーミルでゴリゴリと

私が時計塔に滞在してから、それなりの時間帯が経った。
だんだんと時計塔と、寡黙な主に慣れた私は、少しは手伝いをしようと思い立った。
「それでは厨房で、ユリウスの夕飯を作って来ますね」
時計の修理をしているユリウスに声をかけると、彼は不愉快そうに顔を上げた。
「いらん。私は勝手に食べるから、おまえも一人で食べるといい」
今までそうしてきた。でも私は首を横に振る。
「困っているところを助けてもらいましたし、お礼をさせてください」
そう言うと、
「変に気を利かせるな。私に構わず適当に過ごしていればいいだろう」
「ではユリウスのお夕飯を作って適当に過ごすことにします」
すると、ユリウスは嫌そうにため息をついた。
「はあ……勝手にしろ。
だが珈琲は不味ければ飲まないからな」
「珈琲?」
振り向いたけど、ユリウスはもう仕事に没頭して返事をしてくれなかった。

そして私は塔の厨房に行った。
「……珈琲とは未知の飲み物ですね」
帽子屋屋敷の主が紅茶派ならユリウスは珈琲派だ。
一応、珈琲についての記憶は残っている。
けれど厨房で珈琲器具を見ても何も懐かしさを感じない。
どうやら元の世界の私は、珈琲を淹れることには無関心だったようだ。
「でも……」
何となくムクムクと闘志が湧いてくる。
――珈琲だって、淹れてみせましょう。最高の一杯を!
私は一人腕まくりをしたのでした。

……しかし、すぐに私は思い知った。
紅茶や日本茶と違い、珈琲は豆の段階から手がかかる。
「え、ええと。豆は適当でいいですよね。そのうち勉強することにして」
とりあえず戸棚から適当な珈琲豆の袋を取る。
「豆を粉っぽく挽いて、それからろ過するんですよね」
ユリウスの珈琲器具はいくつか見つかり、私はそのうちの一つに目を輝かせた。
「おおー、手回しミルですか!」
私は上にハンドルのついた挽き具を迷わず選び、フタを開けて豆を適当に入れると、ゴリゴリとハンドルを回して挽いていく。
硬い豆が、少しずつ砕かれていく感触が意外に快感。
結構楽しいかも。
――これだけ楽しかったらきっと美味しい珈琲が出来ますよね。

「不味い……とてつもなく不味いです……」
第一号を試飲した私はあまりの苦さと不味さに即、流しに珈琲を捨てた(もったいない……)。
「やっぱり豆を挽く段階から失敗してますよね」
よく見ると、棚の珈琲豆のパッケージには『EPW』だの『NO.3』だの、規格と思しき表記がある。
紅茶や緑茶の経験からして、豆にあった淹れ方というのがあるのは疑いない。
でもそれ以前に挽き方が甘かった気がする。
ドリップにも失敗して、入れ立ての珈琲には細かい豆が浮いていた。
「うう……とりあえず、いろいろ試し飲みしてみて、まともな味になったらユリウスさんに飲んでもらおう」
私は別の豆を棚から取り出し、手回しミルに入れた。

そして数時間帯後、私はベッドの中におりました。

「き、気持ち悪いです……」
何度吐いてもまだ吐き足りない気がする。
「全く、あまり帰りが遅いから見に行って良かった」
ユリウスが背中をさすってくれた。
でもまだ胃がむかむかする。
それに横になってるのに全力疾走した後のように心臓が早鐘を打ちひどい頭痛がする。
ユリウスは心底呆れたと言った調子で、
「倒れるまで飲む奴があるか……。
買い置きの高級豆を湯水のように無駄にして……」
ブツブツ言うものの、背中をさする手は優しい。
「でも、あと一杯、あと一杯できっと美味しい珈琲が!」
私はカフェインの作用で興奮気味だ。
「いいから落ち着け」
そう。私は珈琲の飲み過ぎで急性カフェイン中毒になったのだった。
……何ごともほどほどに。
「ユリウスに喜んでもらいたかったんですよ」
私はベッドから真摯な目でユリウスを見上げた。
「ナノ……」
氷嚢を取り、私の額に当てていたユリウスは一瞬手を止める。
そして、とてもとても優しい目で、
「嘘つけ」
……ばれたか。
便利な電動器具に慣れた二十一世紀の人間として、手回しミルは感動だった。
うん。何か実験精神をえらい刺激された。
「今度、珈琲の本を貸してやるから。
それで研究なり何なりしろ。
また中毒になられたり、夢中になって夕飯を忘れられたりしてはかなわないからな」
「はいです」
私は素直にうなずく。
……というか、待ってたんですか、お夕飯。
こうして、私は時計塔で珈琲職人への一歩を踏み出したのだった。

――あれ。何か忘れているような……。

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