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■さよなら、ユリウス

「は、はい……」
「行くぞ、ナノ」
 ユリウスに手をつかまれ、立たせてもらう――けど、足を支えきれずよろけた。
 けど両の腕でがっしりと身体を支えられ、安堵に涙が出てくる。
「さあ、帰るぞ」
「あら、つまらないですわ」
 どんな修羅場を期待していたのか、ガッカリしたようなクリスタ。
「さあ陛下、暇つぶしにつきあったんですから、仕事をたっぷりしていただきますよ」
 クリスタを引きずって、真っ先に城に帰って行くシドニー。
「ナノ、またお会いしましょう〜!」
 気楽に手を振るクリスタ。
「元気で」
 チラッと一度だけ私を見て、去って行くシドニー。
「……すまなかった」
 そう言ったのが聞こえた気がした。

「じゃ、トカゲさん。俺たちも帰ろうか」
「そうだな。ガキのことが心配だ」
 興味を無くしたように去って行くボリス。
 私に何か言いたげな視線をよこしながらも、それに続くグレイ。
「ありがとうございます、グレイ」
 ユリウスの腕の中で頭を下げる。私のために墓守領に駆けつけてくれた。
「にゃ? 何でトカゲさんだけ? 俺も来たよね?」
「何もしてねえだろ。さあ、行くぞ……またな」
 グレイの最後の一言は私に向けて。 
「あ、ボリスもありがとうございました!」
 私はどこか切ない思いで、それを見送った。
 ――グレイ。あなたにも、またいつか……。
 クローバーの塔の補佐官の後ろ姿。
 彼を想うと、胸に切なく、そして熱いものがこみ上げる。
 彼とも話をしよう。クローバーの国に帰ったら。きっと。
 
「さ、俺たちも帰るぞ。屋敷から増援が来たら厄介だ」
 ジェリコさんが笑う。完全勝利とあって、構成員さんたちも晴れやかだ。
「そう思うならさっさと帰れよ!」
「余所者一人に大げさなんだよ、ばーか!」
 悔しげな双子は中身まで子供に戻ったみたいだった。
 しかし私は、安心した反動か、どうしても足に力が入らない。
 ユリウスは少し眉をひそめ、
「仕方のない奴だな。ほら、乗れ」
「!!」
 おんぶの姿勢で私に背を見せる。皆の前なのに。
「で、でも……」
「いいじゃない。もうすぐ帰るんだから甘えておけば」
 素っ気ない割に、私の背をさすってくれるエース。
 あ。時間帯が変わり、空が夕刻になる。
 先ほどのブラッドの脅しがジワジワと胸に来る。
「お願い、します……」
 かすれ声でユリウスの背にしがみつく。
 み、皆に見られてすごく恥ずかしい……!

「よし、引き上げだ!」
 
 ジェリコさんの号令で皆が歩き出す。
 私はもう帽子屋屋敷を振り返らず、ユリウスの長い髪に頬を寄せた。
 夕日がやけにまぶしい。
 ここに来たときは一人。今は皆で。

 そしてまた、一人で帰る。

 …………

 その後は大変だった。
 そりゃもう大変だった。

 時計屋の作業室で、私は力なく訴える。
「いえ、だからそろそろクローバーの国に」
「絶・対・安・静・だ! 医者の許可が出るまで動くな!」
 強引にベッドから出ようとすると、謎の壁に阻まれる。
 領主の能力だろうか。お、おのれ時計屋!!
 ユリウスは黙々と作業をし、私を作業室から出さない。
「ユリウス! 大丈夫だよ。俺がしっかり監視してるから!」
「ああ、頼んだ」
「『頼んだ』じゃないですよ、ユリウス!エースも何を嬉々として
監視してんです! 抜剣とか怖いから止めて下さいよ!!」

 私は自分で思うより大変なことになっていた。
 栄養失調と筋力の低下。何より精神的後遺症。
 ……後からジワジワ来ました。
 夢で拷問の光景が蘇り、泣き叫ぶわ暴れ出すわ、日中、突然フラッシュ
バックしてパニック状態になるわ、涙が止まらないわ……。
 大人子供ナイトメアは出勤しまくりである。
 この世界にはあまり無さそうなカウンセリングまで、受けさせられた。
 エースの『監視』というのは、私が悪化しないように、との思いもある。

 ただ、その症状は意外なところで解決した。
 ある夜、またも叫んでいると、ユリウスに耳元でささやかれた。
「ナノ……進めるんだ、おまえの酷い記憶の時間を。ほんの少し!」
「え? 何? 何言ってるんです、ユリウス……」
「私も手伝う、いいから進めろ!!」
 何を言ってるのか分からない。
 でも彼の言うとおりのよく分からない方法を実践し、集中した。


 ……次の朝には、ぬぐっても、ぬぐっても消えなかった記憶が薄れていた。
 決して消えたわけではない。
 だけど遠い遠い昔の記憶のように、私の時間の奥深くに沈められてしまった。
 ユリウスが、私が何をしたかサッパリ分からない。
 とにかく、それからすっかり精神状態が良くなった。
 それから後は経過観察の期間が少しあった。そして……。

「ナノ……ナノ……っ!……」

「ユリウス……ダメ、もっと……っ……!」

 夜の作業室に声が響く。
 一時期とはいえ恋人同士だった私たちは、互いの思いを確かめ合うように……。
 ……すみません。流れでつい。
 

「ななな何で、何で私は……」
 翌朝はガクガクしながら頭を抱える。
 ユリウスも苦虫をかみつぶしたような顔で、
「おまえが先に誘ったんだろう」
「違いますよ、ユリウスの方が!!」
「いいや、おまえだ。エースが共有スペースにテントを張った途端に
私にベタベタとうっとうしく……」
「愛情表現で抱きついただけでしょう! それを勝手に勘違いして襲いかかってきて!」
「自分からボタンを外しただろう!」
「あなたこそ強引に!!」
 言い合っていると、
「エースを送り届けに来たんだが、お取り込み中だったか?」
「……やっぱり斬っておけば良かった。こんな××女」

 入り口でジェリコとエースが無表情に立っていた。
「別の国に帰るんだろう! 早く帰れよ!」
 一旦上がった好感度を再急降下させ、怒鳴るエース。
「いや、その帰りますよ、あ、あはは……」
 今にも斬りかかりそうなエースをなだめ、頭をかく。
 

 そして、ある時間帯のことだった。

 いつもの時間帯、いつもの作業室。
 最初にいつもの四人でゲームをしていた。
 たくさん笑い、おしゃべりをした。
 まずジェリコさんが仕事で『じゃあな』と言って去って行った。
 次にエースが疲れて私に『おやすみ……』と言って、床で寝てしまった。
 ユリウスが彼をソファに上げ、毛布を被せる。
 後は私とユリウスが残った。
 二人ではゲームをする気になれない。
 私が自慢の珈琲を淹れ、ユリウスに振る舞う。
 特に話もせず、二人で窓の外を眺めていた。

 そして、どちらともなく唇を重ねた。
 そのとき、どうしてだろう。

『呼ばれて』いる気がした。

 誰かに強く呼ばれている気がした。
 そして自分自身の心も。

 もう十分、気持ちの整理がついただろう、と。

 私は立ち上がる。
「ユリウス。そろそろ私、行きますね」
 彼は平然としたものだった。
「なら私も仕事に戻る」
 ユリウスは立ち上がり、作業台の方に戻る。
 私が散歩に行くと思ってるのでは?と思うくらい、普通の反応だった。
 私はトコトコと扉まで行き、振り返る。
 エースの寝顔、ユリウスが眼鏡をかけ、工具の準備をする様子をやけに
じっと眺める。
「……行かないのか? ここにいるか?」
 立ち去らない私に、ユリウスが言った。
「いえ。ごめんなさい」
 ハッとした。
 ユリウスにそう言わせてしまったことが申し訳なく、私は頭を下げた。
「それじゃ、ユリウス。本当にありがとう」
 ずっと寄り添ってくれた。利用するだけした私のそばに。
 扉を開ける。
 そして思う。きっと長く生きた時計屋には、私との別離など、飽きるほど
よくあった、別れの一つなんだろう。
 それでも少しでも、この別れを愛おしいと思ってくれるだろうか。
 いつか、また『彼』と会えるのだろうか。

「ああ」

「さよなら、ユリウス」

「またな」

 もう振り返らない。
 ゆっくりと、ゆっくりと扉を閉めた。

 ――さようなら、私の大切な時計屋さん。

 胸が痛い。張り裂けるほどに。ユリウスだけじゃない。
 ダイヤの国の全てに別れを告げる。
 それでも、私は帰る。

 一歩行くごとに珈琲と機械油の匂いは遠ざかる。
 代わりに私の足はどんどん速くなっていく。
「ナノさん!?」
 職員の人の驚いたような声がしたけど、振り返らない。
「さよなら、お元気で!」
 私はさらに速く、驚くべきことに誰にもぶつからず外に出た。
「元気でな!」
 と叫ぶジェリコさんの声を聞いた気もした。

 美術館の外を走る。建物から誰かが私を見ている気がした。
 でも振り返らない。決して。
 私はまっすぐに駅に向かう。
 着の身着のままでお金も切符もない。
 でも何とかなるだろう。
 そんな確信があった。

 もう迷わない。二度と。

 私は……家に帰る!


 …………


 …………


 ………………


「ん……」
 冷たい風を感じて目を開けると、あたりには暗闇が広がっていた。
「……?」
 私は身体を起こし、怪我をしていないか確かめる。
 幸い、目に見える場所に外傷はない。
 ついでに言うと服も乱れていない。
 勘ぐってはアレだけど、何か事件に巻き込まれたわけではないようだ。
 ――ということは、あれですね。また呑気に昼寝しちゃいましたか。
「あはは、ずいぶん遅くなっちゃいましたね」
 私は自分で自分に笑い、小さくくしゃみをする。
 風が冷たいなあ。空はあんなきれいな星空なのに。

 私はダルい身体を叱咤し、木の根元から起き上がった。
「こ、腰が……」
 寝過ぎたせいだろうか全身が痛い。
 何てことだ。私はいったいどのくらい長いこと昼寝していたのだろう。
 しかも夜まで!外で!
 何もなくて本当に良かった。
 私は小さく肩を落とした。
「またダメダメですねえ」
 痛む身体をほぐし、とりあえず家に帰ることにした。
「――家?」
 そして私は辺りを見回す。
 そういえば、ここはどこなのだろう。
 私の家……。

「あ、空き地!?」

 我に返る。私がいるのは、ごく小さな空き地である。
 両脇には家があって、私のいるところだけポツンと四角い空き地になっている。
 それにしても狭い。雑草が生え、さながら猫の額のように。
「それと、なぜに土管が……」
 なぜか三角に積まれた三つの土管。私はその上で爆睡していたらしい。
「何なんですか、ここは……」
 雑草をかき分け、道に出ると、空き地の方を見た。
 よく見ると、空き地の入り口には立て看板があった。
「むむ……」
 夜目でよく見えないが、目をこらすと……。
『売地。連絡:クローバーの塔』
「やっぱり売地ですか――て、クローバーの塔!?」
 ギョッとして周囲を見る。

「ここは……」

 クローバーの国だ。
 私は戻ってきたらしい。
 しかもここ、元々私のプレハブ小屋があった場所だ。
 遠目にクローバーの塔が確かに見える。

 私はしばし逡巡し――塔と反対側の道へ歩き出す。

 振り返らずに。

 最初はゆっくり。でも足はすぐに駆け足になる。
 速く、速く、少しでも速く。
 景色は流れるように後ろに去っていく。


 そして気がつくと、私は帽子屋屋敷の前にいた。
 門に双子はいない。でもその方が良かった。
 といっても懐かしさはない。
 ダイヤの国でさんざん見ていたものだから。
 それでも敷居をまたぐとき、ズキリと痛みが走った。
『いつか君は、自ら帽子屋屋敷の門をくぐるだろう』
 ずっと前、ブラッドにそんなことを言われた気もする。
 まさに今が、そのときなわけだ。

 だけど、もう迷わない。
 
 まっすぐに本邸の方へ向かう。
「……いえ……」
 今は夜だ。
 私はゆっくりと、庭園の方に向かう。
 帽子屋屋敷の庭園はよく整えられ、美しく刈り込まれている。
 そして、ほどなくして目的のものが見えた。

 お茶会のテーブルだ。
 今は準備が出来たからか、誰もいない。
 芝を踏む音がやけに大きく響く。
 椅子の数は四。ブラッドにエリオットに双子。
 私の帰還はまだ誰も知らないみたいだ。
 なので、私は勝手に紅茶の缶を開ける。
 黒エプロンもないし、本調子でもないけど大丈夫だという確信がある。
 そのくらいのスキルは、身についたと思いたい。
 
 やがて蒸らし時間になり、私はテーブルの前で待った。
 遠くから足音がする。
 どうやら来たみたい。
 
 私は次のブレンドを考え、立っている。
 ブラッドがどんな紅茶を喜ぶか、彼の厳しい舌に合う紅茶をどう淹れるか。
 彼が満足する新しいブレンドはどんなものか。

 大きな歓声が聞こえる。大人のものが一つと、子供のものが二つ。
 走ってくる音は三つ。ゆっくり歩くのは最後の一人。
 でも普段の彼からは考えられない早足だ。

 私はそっとポットを傾け、紅茶を淹れる。
 あ。まずい。涙が入るところだった。
 そこで私は、自分がさっきから泣いていたことに気づいた。

 紅茶を淹れ終える。
 振り向くと、皆がいた。

 だけどたった一人しか目に入らない。

 自分を抑えてくれていた冷静さも崩れ去る。
 走り出した。
 エリオットが駆け寄ろうとするディーとダムの襟首を引っ張り、私のために
道を空けてくれる。
 彼に礼も言わず、私は走る。
 走って、走って、

「ブラッド……っ……!」

 泣きながらブラッドの胸に飛び込み、抱きしめた。
 もう完全に涙が止まらない。
 後から後から涙があふれて、どうすればいいか分からない。
 あらゆる感情がぐしゃぐしゃに心の中で乱れ、言葉も出ない。
「ナノ。よく帰ってきた」
 耳元で誰よりも聞きたかった声。
 もう離すまいと抱きしめてくれる腕。涙を拭いてくれる手。
 私は顔を上げる。
 すぐに唇が塞がれた。
 だけどすぐ離れる。私の言葉を促すように。

「ブラッド……私……私……」
 
 上手く言葉にならない。でも彼は待っていてくれる。
 そしてどうにか言葉に出来た。

 私がずっと言えなかった言葉、

 でも、ずっとずっと言いたかった言葉を。


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