続き→ トップへ 小説目次へ

■ダイヤの国との別れ・下
 
 一瞬の後、正気に戻る。今、自分は何て馬鹿なことをしたんだろう。
 あんな良くしてくれたブラッドに逆らうなんて。
 全身から血の気が引き、身体がガタガタ震えた。

「そうか」

 額につきつけられたのは、銃だ。

「あ、あの、ご、ご、ごめんなさい、ブラッド。
 私は、やっぱりあ、あなたと、け……」
 でも全ては遅い。

「これだけ壊しても意のままにならないのなら、脅して誓約を交わしたところで、
いつかまた君は逃げる。耐えがたい屈辱だ。
 あらゆる拷問にかけても、収まらないほど、君は腹立たしい女だ。」

 ブラッドはもう怒っていない。
 憤怒を通り越した氷の冷たさを思わせる。
 けど、何だろう。
 暗闇なのに不思議と分かる。

 彼は泣きそうだった。

 それを見て私も悲しくなる。
 ああ、そうか。
 なぜどれだけ願っても帰れなかったか。


 私自身、彼に惹かれかけていたのだ。


 出会う順番が違えば、きっと離れなかっただろうに。
 涙が出る。凄まじい罪悪感に、全身が押し流されそうだった。

 紅茶とか、もうそんなもの、きっと彼もどうでも良くなっていた。
 
「ナノ! 私は、私は、君さえいれば……他には……!……!」

 ブラッドが怒鳴る。私に素の感情を見せる。

「ブラッド。私を拷問にかけて下さい。好きなだけ……」
「出来るわけがないだろう! 他ならない君を傷つけるなど!!」
 そしてハッとしたように呼吸を落とし、
「君を傷つけていいのは、私だけだ」

 私の額に向けた銃の、引き金に力を入れる。

「そうで、ありたかった……」

「ごめんなさい、ブラッド」

 私は目を閉じた。
 奇跡は起こらない。
 汽車も来ない。
 しようと思ったことも果たせない。
 最低な私にふさわしい、最低な終わり方だ。
 
 けれど、全ての雑念をそぎ落とされ、鮮明になった意識の中で、やけに
最初のブラッドのことが思い出される。

 会いたい。会いたい。
 彼に会いたい。
 耐えられない。


 涙がこぼれた。こぼれて、止まらない。
 

「ブラッド。私は帰ります」
「さようなら、お嬢さん」

 声が重なり、銃声が響いた。



「…………」

 私は息をつめて見ている。
 私のすぐ真横の壁を貫いた男を。

 彼はうつむいている。暗闇でよく分からない。
 一瞬だけ、泣いているのでは無いかと思った。

「行け」

 銃を消し、それだけ言った。感情のない声だった。
 顔を上げたとき、初対面の人間を見るような視線があった。

「興味が失せた。どこにでも好きな場所へ行け」

「え……」
 私は彼の変わりようが信じられず、まじまじと凝視する。
「ど、どうして?」
「飽きた。それだけだ」
「……え?」
「全ての男が、変わらず、永久に君に執着すると思ったか?
 とんだ思い上がりだな。私は君への興味が失せた。完全に」
「ブラッド……?」
「どれだけ自惚れている? 君など、言うことを聞かないのであれば、
紅茶を淹れるのが少し上手いだけの、つまらない女だ」
「あの、ブラッド……その……」
 上手く言葉が出てこない。何て言えばいいのか。

「一時間帯以内に帽子屋領を出て行け。二度と帽子屋屋敷に、いや帽子屋領に
入るな。一歩でも足を踏み入れたら、諜報員疑いで再度ここに送り、
今度こそ、考えられる限りの拷問にかけさせてもらう」

 ブラッドの声は平静そのものだ。
 でも噴き出しそうな何かを、全身全霊の力で抑えている気がする。
 なぜかそう感じた。
 私はぎこちない動作で扉の方に行きながら、
「あの、ブラッド……本当に……」

「消えろっ!」

 私はビクッとして独房の扉に寄りかかる。
 いつもは重い錠がかかっているのに、扉はスッと開いた。
 ヨロヨロと外に出るが、使用人たちは誰一人、驚いた様子もなければ、私を
止める様子もない。
 そういえば音は筒抜けだったっけ。
 私はもう一度振り返る。
 ブラッドも独房を出ていた。
 私にはもはや一瞥(いちべつ)もくれず、部下に拷問の方法を指示している。
「早く出て行った方がいいですよ〜」
 使用人の一人に言われ、ハッとして、慌てて上に続く階段を上った。
 最後にもう一度振り返る。
 
 ブラッドと目が合った。
 けれど彼は先にスッと目をそらす。
 私も地上へ続く階段を、転びそうになりながら上がった。

「ありがとう、ブラッド……」

 それで最後だった。

 …………
 
 帽子屋屋敷の廊下は長い。
「はあ、はあ……」
 ほとんど歩いてない生活だったのだ。
 少し進んだだけで、足が棒になったみたいに言うことを聞かない。
 何度も休み、よろめきながら進む。
 こ、こんなんじゃ一時間帯なんてとても無理――。
「…………」
 光さす帽子屋屋敷の廊下。窓の外には緑、青い空。
 鮮やかな色彩が一気に視界に飛び込み、感激よりも目が痛い。
「……う……」
 ボロボロこぼれる涙をぬぐい、また壁をつたい、歩き出す。

「あ! てめえ!」

 走ってくるのはエリオット。私が脱走したと思ったのだろう。
 銃を抜き、そのまま私を撃ちそうな勢いだ。
「ち、ち、違います! ブラッドは行っていいって言ってくれたんです。
 興味が失せたって。す、す、好きなところにいけって……!」
 何度も咳き込み、聞こえるか聞こえないかのかすれ声。
 それくらい長く閉じ込められていた。
「本当か?」
 まだ銃に手をかけ、疑わしげなエリオット。
「今、ブラッドは、地下にいるんです……。
 私一人で、あの場所から脱走出来ると、思いますか?」
 精神的拷問で、停止しかけた脳を叱咤し、言葉をつむぐ。
「まあ、それはそうだが……」
 エリオットは腕組みし、そしてハッとした顔になる。
「わ!」
 私をドンと突き飛ばし、地下室の方へ走っていく。
「ブラッドぉーっ! フラれたからって落ち込むなよーっ!!
 女なんてごまんといるさ!!」
 屋敷中に聞こえそうな大声で叫びながら。
 彼が拷問を受けやしないかと、一瞬だけ不安になった。
 ともあれ、邪魔者もいなくなり、私はまた、よろめきながら歩く。
 出口まではまだまだ遠い。
「そこの階段を上った方が近いんじゃないかな? 俺ならそうするぜ?」
 耳元で声がした。
「何、言ってるんです。早く出るなら出口、いや窓から――」
 ツッコミをしかけ、ハッとした。今の声は……。
 だけど振り向いても誰もいない。
 とはいえ、少し頭が正気に戻った。
 まっすぐ出口を目指しても遠回りだ。ショートカットしよう。
 私は手近な窓を開け、そこから外に出ることにした。
 窓を開け、窓枠をまたぎ――、
「わっ!!」
 バランス感覚も戻っていなかった。
 顔面から外の茂みに突っ込んでしまう。
「いたたた……」
 痛いし休みたいけど、仕方ない。
 茂みの中に手頃な太さの枝があるのを見つけ、それを杖代わりに立ち上がる。
 日光の中、よく見ると肌の色が青白い。腕も足も細くなっていた。
「早く……早く……」
 足を引きずり、屋敷から少しずつ遠ざかる。
「ん……?」
 そのとき視界に、あるものが見えた。
「あ……」
 茶園だ。懐かしい。
 今は人の気配がない。休憩時間だろうか。

 通り道だったので、そこを通り過ぎる。
 そして加工所が目に入った。
「…………」
 吸い込まれるように中に入る。
 そこも人はいなかった。
 ただ、棚にはテイスティング用の茶葉がラベルナンバーをつけられ、
何百種類も並んでいた。
「……う……」
 ――時間が、ないのに……。 
 だけど私は手に取る。
 空の缶を探し、棚からいくつかの茶葉を取り出す。
 そして手早く作業に入った。


「……完成」


 作業は呆気ないほどに簡単に終わった。
 私の最高傑作といえるブレンドだ。
 ここにある最高の材料で作った最高のブレンド。
 今の自分は、体力や精神状態に左右されず、紅茶を淹れることが出来る。
 いつ、どんなきっかけだったかは思い出せない。
 でも気がついたらそうなっていた。
 本当なら味を見たいが、ブランクもあるし、そんな暇は無い。
 だから厳重に封をして、缶のラベルに番号と自分の名を入れる。
 私は作業所の木のテーブルに、それをコトリと置き、また出て行った。

 私の最後のブレンド。
 ブラッドの手に届くだろうか。彼は飲むだろうか。
 中身を床に叩きつけ、使用人に片付けさせてもおかしくない。

 でも多分、飲むだろう。感想は彼にしか分からない。

「はあ、はあ……」
 ずっと日に当たっていなかったため、日差しが焼け付くようだ。
 何度も立ち止まり、一歩、また一歩と屋敷から遠ざかる。
 あと少し、あと少しで門だ。
 領を出るまでの長い道のりを考えないようにし、私は急ぐ。
 そして見たくない人影を見た。

「あ、お姉さんだ!! 兄弟、お姉さんが脱走してきたよ!」
「本当だ。さすがお姉さん。うちの地下から脱走するなんてすごいね」

 ……何でこんなときだけ、勤勉に働いてるんですか、双子ども。
 門を出ようとしたら、二人の斧にはばまれた。
「ブラッドに飽きたって、言われた、んです。
 好きなとこに行けって……」
「はあ? 何言ってるの? あのしつこいボスが簡単に諦めるわけないじゃない」
「逃げてきたら始末しろっていう命令なんだよね。ごめんね。お姉さん」
 で、伝達が遅い!!
「ブラッドに、聞いて、下さい、彼は今、地下に……」
「ええー、面倒くさい! それで嘘だったら休暇が無くなるよね」
「僕らが行っている間に逃げられても、給料が減らされるよ」
 そう言って、斧をかまえる。少し気の毒そうに、
「大好きなお姉さんだから、痛くないようにしてあげる」
 嘘こけ!!
「目を閉じていて。一瞬で終わらせてあげるからね」
 私は慌てて逃げようとした。でもそんな体力は――。

 銃声が聞こえた。

 ん? 銃声?

 顔を上げると、双子が斧を構え、門の外を睨んでいる。

「悪いが、その子を見逃してやってくれねえか?」


 ……は? 何であなたがここに?

「拒否されても、力ずくで返してもらう」

 双子が色めき立つ。
「な……なんだよ、おまえら!!」
「正気? 墓守領がまた、そろいもそろって何の用事だよ!」

 そう、皆そろっていた。
 ジェリコさんにユリウス、構成員の皆さん、それにエースまでが勢揃いだった。
 なぜかグレイにボリス、ついでにシドニーとクリスタまでいる。
 ――な、何で? どうして!? 何で分かったんですか?
「ナノ!! 大丈夫!?」
 エースが私の方に駆け寄ろうとして、ユリウスに襟首引っ張られていた。
「ユリ……ウス……?」
 かすれ声で言うと、ユリウスは私の方にいたましげな視線を向けながら、
「その、虫の知らせがあったんだ。それでジェリコに頼み、ありったけの
味方を集めてもらって、駆けつけたんだが……」
 宙を見、言いづらそうに呟いた。
 あまりのことに、さび付いていた頭の中が、少しずつ動き出す。
 
 虫の知らせ? 何だか都合が良すぎないだろうか。
 そんな不確かなもので、ユリウスが、皆が動くわけがない。
 だがユリウスの目には、何かの確信があった。
 ――あ……。
 私は、帽子屋屋敷で聞いた声を思い出した。

『そこの階段を上った方が近いんじゃないかな? 俺ならそうするぜ?』

 もしかすると、エースが何か知らせたのかもしれない。
 目の前の小さなエースでは無く、他の国を飛び回る謎多き騎士が。
 
「だけど、何で他の領土の皆まで……」
 シドニーたちを見ると、
「他領土の動向は常に監視しています。墓守領のことも」
「以前、お茶会にお招きしたせいで、ご迷惑をおかけしましたもの。
 お役に立てるんじゃないかと思いまして」
 ニコッと笑うクリスタ。
 いやあ遅すぎないですか。第一なぜ女王様自らが。
 野次馬に来る口実が欲しかっただけでは……ゴホン、邪推は禁物か。
 続いてダイヤの国のグレイが、
「俺は……ガキの虫の知らせだ。血相変えてあんたを手伝ってやれってさ」
 ナイトメア君か。
「最初はガキのたわごとなんかで動く気はなかった。
 だが、何だか知らないが、だんだん、あんたのところに行かなきゃ
いけないって気がしてな。自分でも分からねえが、来ちまった」
 あんたとは、あんまり接点がないのに何でだ? と首をかしげる。
 その横で、純粋に好奇心でついてきただろうボリスが笑っている。
「グレイ……」
 ナイトメアのことは分かる。夢の中でしばしば会ったのだ。
 私の見たものに青ざめ、何度も吐きながら、悪夢を払ってくれた。
 ここに来るまで何度か意識が飛びかけたとき、彼につながったのかもしれない。
 グレイは――鏡の国の彼が、ダイヤの国のグレイを動かしたんだろうか。
 同じ役は連動していると聞いた。目に熱いものが浮かびかけ、慌ててまぶたをぬぐう。

 とはいえ、あまりに刺激が大きすぎ、私はもう立つ気力も無く、へたりこむ。
「ナノ!!」
 ユリウスが叫ぶ。
 だけど双子がブンッと私の前に斧を振り下ろした。
 硬そうな地面に斧がめりこむ。
「ここ、帽子屋屋敷の敷地内だけど? 入ってくるなら覚悟をしてもらわないとね」
「この子の始末はボスに命じられてるの。数の暴力に屈して逃がしたんじゃ、
減給どころじゃないよ」
 そう言って、私に斧を振り下ろそうとした。

 ギィンと、痛い音が走る。

 一つの斧をユリウスが拳銃で止め、もう一つの斧はジェリコさんのシャベルで阻まれた。
 すでに二人とも敷地内に十分足を踏み入れている。
 シドニーも銃、グレイもナイフを抜く。
「こんなことをして、タダですむと思うなよ!」
「すぐに屋敷から加勢が来るよ、そうしたら……!!」
「帽子屋屋敷の終わりだな。三勢力が手を組んで、対処出来ないと思うか?」
 ジェリコさんが言う。
「あー、ごめん二人とも。でも女の子を斬るのは駄目だよ」
 ボリスもすまなそうに銃を二人に向けた。ドライですなあ。
「むしろ、いつものようにサボったということにして、誰にも気づかれない
うちに逃がした方が得策だと思いますけどね」
 面倒くさそうにシドニー。
「時計が止まったら休憩も給料も関係ないよね」
 大人が大勢いるとあって、完全に余裕なエース。
「どうするんだ? おまえたちを始末してからこの子を助ける方が早いというのなら……」
 グレイは完全に暗殺者の顔でナイフを構える。
 帽子屋屋敷の二人と、三領土の精鋭たちがにらみ合う。

『…………』
 双子は悔しげな顔で彼らを睨み、ゆっくりと斧を引いた。
「……さっさと行けよ」
「僕らは何も見なかった。そういうコトにしておいてやるよ」

1/1

続き→

トップへ 小説目次へ

- ナノ -