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■鏡の国の余所者2

 そして、新しい日常は忙しく流れていく。

「すごいわ、紅茶がこんなに味わい深くなるなんて!」
「美味い! こんな美味い珈琲、飲んだことがないよ!」
「次はこの珈琲を淹れてくれよ! ブレンドは任せるから!」
「おい順番だ、こっちは三時間帯待ったんだぞ!」
「ありがとうございます」
 墓守領の人たちは、鏡の国でも暖かい。
 修行中の私を手放しに褒めて下さる。
 
 そして、新しい国での知り合いも来てくれる。
「ようナノ。繁盛してるな。
 調理場で余った紅茶の茶葉を持ってきたぜ。
 いつまでも客持参はマズいだろ」
「調子はどうだ? この一級珈琲豆が好みではなかった。おまえが使え」
 うう。前の国では紅茶を分けていただけないという、悲惨な迫害に
あっていたので、鏡の国で受ける優しさが身に染みる。
「余所者君。ユリウスが君のこと、気にかけていたみたいだけど、
君はユリウスのことなんか……気にしてないよね?」
 心配して様子を見に来て下さる方、警告を発しに来やがる方、様々だ。

 そしていつの間にか、墓守領以外の客も増えてくる。

「陛下が噂を聞き、是非、君の紅茶を試してみたいと言ってきた。
 この最高級茶葉を好きなように使ってブレンドしてくれたまえ」

「ねえねえ。マタタビ珈琲が淹れられるって本当!?」

「病弱なガキにぴったりな珈琲なら、ここだと言われた。
 この薬草とニンニクとニラとイワシの頭を使って――」

 ……しまいには、何でも屋と勘違いするアホまで出る始末である。

 とある夕暮れの時間帯には、こんな客も来た。
 両腕にどっさりとニンジンを抱え、
「あ、ええとそのぉ……に、ニンジン紅茶が淹れられるって本当か?」
 ものすごい冷や汗で、ひたすらキョロキョロと、周囲を気にしている。
「帽子屋領の方はご遠慮いただきたいのですが」
「な……っ! なぜ俺が帽子屋領の者だと分かった!」
 分からいでか。
 私は珈琲豆をブレンドしながら、挙動不審なお客様を見る。
 ウサギ耳を隠しきれてないスッポリ帽子(帽子の脇からウサギ耳が
はみ出ている)、サングラス。後はいつもと違う私服を着てるくらい。
 オレンジの髪の毛も、目立つガンベルトも銃もそのまんま。
 これで変身したつもりなんだあ、と哀れみの心が私を襲う。
 私はビシッと人差し指をつきつけ、
「マイスターの眼力をナメないで下さい。正体は分かっています。
 帽子屋ファミリーナンバー2! 『エリオット=マーチ』!」
「……っ!!」
 奴は雷に打たれたかのように固まった。そして一瞬遅れ、
「ば、バカ、大声を出すなよ! 俺がここにいるってブラッドに知られたら……」
 敵地で銃を撃つほどアレじゃあなかったみたい。
「……さすがだな。噂に聞くだけあるぜ」
「敵対領土の方に紅茶は淹れません。お引き取り下さい」
 私は台を拭きながら言う。
「う、嘘つけ! 他の領土の奴らは淹れてもらったって言ってたぞ!」
「では言い直しましょう。帽子屋領の方には紅茶を淹れません。お引き取りを」
「――っ!!」
 三月ウサギの全身から殺気が上る。
 しかしサングラスのナンバー2はどうにか己を抑えたらしい。
 ……まあ、銃を撃つなら腕の中のニンジンを落とさなきゃいけないもんね。
 私は販売用のナノブレンド『秋の絶望セイロン迷子風味』をブレンド
すると、とっとと缶に詰め、封をする。
 そしてチラッと周囲を確認。
 ……夕暮れ時。仕事帰りの方が珈琲を飲みにくるまでには、少し間がある。
 今はいわば空白の時間帯だ。
 私は販売用紅茶を陳列スペースに置き、エリオットをじっとりした目で眺め、
「まあ、そこはそれ。ジェリコさんたちに黙っておくことも出来ますが……」
「……!」
 三月ウサギの耳がピンと立つ。しかし私は、
「通常料金というわけには行きませんねえ」
 夕暮れで、私の表情は影になって見えないに違いない。
「…………」
 エリオットは大量のニンジンをドサッと台に置く。
 そして財布を出すと私に放った。ずっしり重い。
 さすが、ウサギでもナンバー2。
「好きなだけ持っていけ!!その代わり、不味いニンジン紅茶を淹れたら……」
 私はお札を素早く抜き取り、エリオットに投げ返す。
「お気に召しましたら、またいつでもお越し下さい。
 もちろん、今回と同じ料金とは、いかないかもしれませんが……」
 人の足下を見るのが、こんな快感だったとは!!
「……好きにしろ」
 地面に唾を吐き捨て、マフィアのナンバー2は私を睨むのであった。

 …………

 …………

 私は札束をいくつかドサッとテーブルに置く。
 場所はまたまたジェリコさんの執務室。
 お向かいのソファには、領主様と時計屋のお二人が着席されている。

「ご用意いただいたお店の物品代。今までの宿泊代及び食事代、露店の場所代。
 あとは紅茶の茶葉、珈琲豆含むその他もろもろの支払い及び、わずかばかりのお礼です」
『…………』
 ジェリコさんとユリウスはにわかには反応出来ないようだった。
「受け取っていただけませんか?」
「……いいや。あんたは頑固そうだからな。あとで完済証書を作る」
 苦笑しつつ、ジェリコさんは札束をしまう。
「信じがたい。まさかこんな短期間で返済してのけるとは……」
 ユリウスも目を見開いている。
 私も信じられない。
 クローバーの国では、あれだけ売り上げが火の車だったのに。

 まあ理由がないこともない。
 まず材料は客持参。その割に通常価格だったため。
 おかげで仕入れ等の作業の手間が省け、仕事に集中出来た。
 また、役持ちが来てくれることで、物珍しさで客が殺到。
 私の屋台が一種の流行になったのだ。
 
 最後に帽子屋ファミリーの営業妨害がなかったこと。
 多分これ一番大きい。

 ついでに言うと、どこぞのウサギさんが大いに寄与して下さった。
 毎度毎度、危ない薬を求めるがごとくの形相で、乾燥ニンジンの袋を
持ち、人目を忍びやってくる。
 こちらの言うままに大金を出し、何度も何度も来て下さる上得意客様が。

「おい。どうした? 凶悪な笑みを浮かべているが」
 ユリウスがやや引いた顔で言う。
「いえいえ」
 私はニコニコと、お二人に笑う。
『まあ、ともあれ――』
 三人同時にしゃべりだした。
「あんたのおかげで領土に賑わいが出て助かるぜ。今後ともよろし――」
「流行は過ぎ去るのも早い。おまえも調子に乗らず、これからも――」
「それで墓守領を出ようと思いますので、荷物の運び出しについて――」

 沈黙。

「あの……」
 最初に私が口を開いた。

「ナノ。前の国に、戻ることにしたのか?」
「そこまでの決心が本当についたのか!? 何度も言ったが中途半端な
未練だけで汽車に乗っては――」
「あ、いえまだ帰りません」
「そうか……」
 ホッとしたようにソファにもたれるジェリコさん。
 やはり厳しいまなざしのユリウス。

 帰るのには確かにキリがいいタイミング。
 ただ、それでいいのかという思いがある。

「なら、なぜ墓守領を出る? 別の領土が大金でもちらつかせてきたのか?」
 ユリウスは、疑わしげだ。
 まあ実際に、ダイヤの城や、大貴族の家なんかから、お誘いの声はあったけど。
「駅の領土に移るつもりです。まだナイトメ……あちらの領主様に
お話はしてませんが。でもあそこなら、いつでも汽車に乗れるし――」

「ダメだ」
「止めた方がいい」
 ユリウスとジェリコさん。同時だった。


「あそこは中立地帯に近いというだけで、完全中立ではない。危険だ」
「出来ればここにいてほしいんだがな。他の領土だと目が届かねえ」
「でも最初から、すぐ帰るつもりでしたし……」
 いつの間にか住人扱いされているのが、嬉しいような戸惑うような。
「いえ、でもですね。最初から私は帰ると――」
 腹をくくって説得するしかないらしい。
 
 一時間帯後。

「止めるコトは出来そうにない、か」
 ついにジェリコさんが大きく息を吐く。ユリウスは眉間のシワを深くし、
「おい、ジェリコ!」
「仕方ないだろう、ユリウス。彼女はまだ余所者だ。
 俺としちゃ、本当にいつまでいてくれても、いいんだが……」
 そう言われて嬉しくないわけがない。
 でも別れの辛さは迷いを産む。
「ジェリコさんもユリウス……さんも、ありがとうございました。
 もう少しで帰ります」
「それはいつごろになる? 次のコーカスゲームくらいは観戦出来そうか?」
「そうですね。帰る前に少し勉強していくつもりですし、そのくらいは……」
 何のしがらみも無しに、好きな領土を歩ける。
 金がある、店がある
 こんなフリーダムな状況は、今まであまり縁が無かったシチュなのである。
 この機会にちょっとのんびりしたい。
 ……堕落してるかも。
「観戦出来るなら良かった。あんたの席も用意する。是非来てくれ」
「お約束は出来ませんが……お世話になりました」
 差し出された手を硬く握り返した。

 …………

 …………

 舗装されているとはいえ、駅までの道のりは遠い。
 そこを一人、屋台を引く私。
 屋台には商売道具一式が乗っていて、さながら夜逃げの様相である。
 もちろんジェリコさんは手伝いを申し出てくれたが、当然お断りした。
 これ以上、ご迷惑はかけられない。
「うわっ!」
 荷物の重みで屋台が傾いた。危ない危ない。
 だがこの屋台には全財産が乗っている。
 へいこらへいこらと私は道を行く。
「とりあえず、駅に行って、滞在許可をいただいて、アパートを探して……」
 お金があるっていいなあ。本を買いたい、紅茶を買いたい。
 心がじんわり温かくなる。
 本当にもう少しいるのもいいかもしれない。
 コーカスゲームとやらも見てみたいし。
「し、しかし重い……」
 意地を張らず、墓守の人らに手伝ってもらうべきだったか。
 しかし、かなり進んだ。ここはすでに墓守領の外だ。
 私は汗をかきながら、駅に向かった。
 と、そのとき。

「よお! あんた、墓守領を出たんだってな!」

 ……道の向こうから、上得意様のエリオットがやってきた。

「!!」
 私は屋台を止め、素早く辺りを見回す。
 まだ民家は見えるが、人の往来はない。
「ど、ども……」
 命第一。私は屋台から少し離れ、後じさり。
 だがエリオットはずかずかと近づいてくる。
「やっぱり出てくると思った。さ、行こうぜ!」
 エリオットはたいそう親しげに、私の肩を叩く。私はきょとんとして、
「どこにです?」
「帽子屋屋敷だ。決まってるだろ?」

 それだけは勘弁して下さい!

「い、いえ。敵対領土の方ですし……」
「もう墓守領を出たんだろ? なら問題ないよな。
 帽子屋屋敷に住めよ。そうすればいつだってニンジン紅茶が飲めるしな!」
 エリオットはキラキラと輝いていた。

 私は気づく。

 彼はボッタクリについては、全く気にしてない。
 逆に私が墓守領を出て、喜んでる。大喜びだ。
 私が帽子屋屋敷に来ると、信じて疑っていないらしい。

「あんたのニンジン紅茶。本っっ当に最高だったぜ!!
 ブラッドにも絶対飲ませてやらないとな! ああ、そうだ。
 あんたの部屋も決めないとな? どこがいい? 
 俺の部屋の近くの方が、いつでもあんたの紅茶が飲めるし……」

 ……エリオットは知らぬ間に、私に餌付けされていた。

「いや、本当にご遠慮下さい。私は駅で商売をするつもりで……」
 荷物満載の屋台を指さす。
 するとエリオットの目がすぅっと細まった。
 大きなウサギさんが、一気にマフィアのワルな顔になる。
「ふうん。なら、屋台が無かったら、帽子屋領に来るしかねえよなあ?」
「……っ!!」
 これだけ商売道具を揃えるのに、どれだけ苦労したと!!
「や、止めて! お願いですから!!」
 屋台を庇うように両手を広げる。
 しかしエリオットはすでに銃を取り出していた。
「安心しろ。紅茶の道具なら帽子屋屋敷に何でもそろってる。
 あんたもさっさと屋敷に来れて、一石二鳥だろ?」
 マフィアのナンバー2は完全に勝利を確信したみたいだ。
「待って! エリオット。お願いですから……!」
 銃を楽しそうに私に見せつけ、悪人面である。
 だがそこに、
 
「探したぜ。どうしたんだ? その大荷物は」

 声が聞こえた。
「!?」
 一瞬ユリウスが助けに来てくれたのかと思った。
「何の用だ、トカゲ」
 エリオットのワルな笑みが消える。
 私も彼の視線を追った。

「薬膳珈琲を注文しにいったら、一体どういう痴話喧嘩だ?」
 木陰から現れたトカゲの暗殺者が、煙草を地面に吐き捨てた。


 グレイ=リングマーク。
 クローバーの国では礼儀正しい……えーと、アレな人。
 ダイヤの国では、ブラッドやユリウスの相手で忙しかったこともあり、
顔見知り程度の関係だった。
 長い紫のショールに、少し着崩したシャツ。整えていない髪。
「よお! 久しぶりだな。クソガキにまた珈琲を頼むぜ。今回は――」
 ガラの悪そうな不敵な笑みと、乱暴な言葉使い。
 私の知っている彼と一致しなさすぎる。
「あ。すみません。実は今、いったん店を閉めてまして。
 駅の領土に行こうと思っているんですが……」
 しかし空気を読まないウサギが、
「はあ? 何言ってるんだ。あんたは帽子屋領に来るんだろ?
 さ、行こうぜ。ブラッドもあんたを待ってる!」
 たった今、私の屋台を壊そうとした男が、にこやかに私を手招きする。
 同一人物(?)と三股という、奇怪な浮気はしたくない。
「ええと、あの……」
 卑怯を承知で、私はチラッとグレイを見る。
 助けていただけないものか。そしたら、

「おい。嫌がる女に無理強いしてんじゃねえぞ」

 グレイは分かってくれた!
 どう動いたのか謎な素早さで、一瞬後には私の前に立ちはだかっていた。
 グレイの陰から恐る恐るのぞくと、エリオットは、
「……死ね」
「伏せろ!!」
「っ!!」
 グレイに腕を引かれ、無理やり伏せさせられた。
 その真上を銃弾が貫通す……て、屋台に当たったぁっ!!
 あああ! いただいた中で一番高価だったティーポットが!!
「エリオット!! 止めて下さい!!」
 屋台を庇い、悲鳴を上げるが、
「うるせえ! あんたが素直に来ないのが悪いんだろ!」
 逆ギレされたー!!
「ちっ……考え無しのウサギは厄介だな」
 グレイが吐き捨て、両の手にナイフを握る。私を振り向き、
「おいあんた。屋台は俺が何とかするから、どこかに隠れていろ」
「え。でも……」
「さっさとしろ! 今のあいつは、あんたがいようと撃ちかねない」
「は、はい!」
 私はへっぴり腰で、場を離れ、木立の後ろに隠れた。
 その向こうでは、三月ウサギとごろつきトカゲ(失礼)が、銃とナイフを
交えていた。元の世界なら銃の大勝利だろうけど、ここは不思議の国。
 ナイフが銃弾を弾くという、ありえない光景が展開される。
 大きな音で耳が痛い……。
 あ。今、弾かれた銃弾が、屋台の柱の一つを破壊……!
 ああ! グレイが避けた銃弾が、紅茶の缶を貫いた!
 もう見ていられず、私は木の陰で頭を抱える。
「……ん?」
 そこで気づく。

 借金を返済しても残った、かなりのお金。
 新天地でやっていくための全財産。

 それが、そっくり全部、屋台の中だ。

 ――お金が破壊されるほど、ひどい戦闘にはならないですよね。

 私は激しさを増す銃とナイフの応戦を、祈る思いで見守っていた。

 …………

 …………

 屋台が燃えている、パチパチと。いや、屋台だったものが。
 私の全財産とともに。
「…………」
 言葉に出来ない。
 焼け焦げていく商売道具とお金を目の前に、何も出来ない。
 ジェリコさんとユリウスに大見得切って出てきたのに。
 私は黒煙を上げるキャンプファイアーを前に、呆然と座り込む。
「その、何て言ったらいいか、俺には分からないんだが……」
 後ろから遠慮がちに声をかけてくるグレイ。
 彼はどうにかエリオットを追い払ってくれた。
 だけど、私はろくにお礼の言葉を言っていない。
 激しい戦闘の代償は、私の全財産であった。
 いただいた品々、貴重品の紅茶の茶葉や珈琲豆。そして金。
 鏡の国で得た全てを失った。

「少ないが、今の俺の手持ちだ。残りは後で……」
 グレイは申し訳無さそうに財布を出してくる。
「いえ。私も無防備でした。守っていただきましたし、いただく筋合いはありません」
 力なく応える。
 墓守の護衛をつけることも可能だったのに、蹴ったのは私だ。
 私はフラッと立ち上がる。
 どうするかって?
 またジェリコさんたちに泣きつくなんて出来るわけがない。
 なら、全てを失った今が、帰るのに一番いい機会かもしれない。

「おい。あんた、どこに行くんだ?」
 フラフラと駅の方に歩き始めた私に、グレイが聞く。私は振り向き、
「もちろん、これから汽車に乗ります。もう詰んでますし」
 予定が早まったが、帰るしかない。よろめきながら歩き出す。
「ちょっと待てよ!」
 肩をつかまれた。

「そんな状態で、しかも金がないから汽車に乗る?
 あれがどんなに危険なものか、分かってるのか!?」

 うう。昔のグレイのくせに、ちょっとお父さんモード入ってる。
「そうはいっても、駅では皆さん、普通に乗ってたでしょうが……」
「あれは住人だからだ! あんたはまだ余所者だろう!?」
「でも……」
 グレイは真剣だ。私は反論しようとして、黙る。
 何だかドッと疲れてしまった。
「おいあんた、どうした?」
そういえば借金返済のため働き詰めだったし、
返済したらすぐ領土を出て、しかも重い屋台を引いてきた。
 私はその場に座り、膝に顔を埋める。
「なら、ダイヤの城ですか……」
 エースから好感は持たれてないと思う。
 黒ウサギも、ダイヤの国では冷たい印象しかなかった。
 でも消去法では、もうダイヤの城しか残らない。
 女王陛下に、私の紅茶は好評だったみたいだし、大丈夫だろう。
 城には書庫もあるし勉強も出来る。
 ……女王。城の書庫。
 封印していた、暗黒の記憶が一瞬だけ浮上しそうになった気がした。
 気のせいか。どうか気のせいであってほしい。
「ダイヤの城? まあウサギは可愛いが、あそこは残酷な女王が――」
 なぜか真剣に、私のことを考えてくれてるグレイ。
 とはいえ単調なお説教が続く。何かだんだん、まぶたが重く――。

 …………
 
 …………

 目を開けると、知らない天井があった。
「……?」
 そこは今まで見たどの部屋とも違う。
 墓守領や帽子屋領の大きな部屋ではない。
 ユリウスのように、こぢんまりした部屋でも無い。
 どちらかといえば、ごく普通の貸家。
 だが家具も、本棚にベッドにテーブルに椅子。最低限のものしかない。
 窓も小さく部屋は薄暗い。まるで『隠れ家』のようだ。
 あと狭いキッチンも見えた。
 今は誰かが立ち、何やら包丁で食材を刻んでいる。
「はあ!?」
 思わず叫んでしまった。
 キッチンにいるのは、エプロン姿のグレイだった。
 よく見れば私はベッドに寝かされていた。
「グ、グレイ!? わ、私に何を……!?」
 今までが今までだったので、つい警戒をあらわに聞いてしまう。
 するとキッチンに立つグレイが、プッと噴き出した。
「心配すんな。ガキに手を出すほど、落ちぶれちゃいねえよ!」
 ……大変な侮辱である。しかももう少し年食ったあなたは、普通に私に
手を出してきましたがね。
「あんたは、あそこで寝ちまったんだ。だが墓守領に帰りたくねえみたい
だったし、あのまま寝ていたら、いつ三月ウサギが来るか分からねえ。
 だから、まあ仕方なく……」
「それは、どうもすみません……」
 決まり悪く頭を下げ、ベッドから下りようとする。
「おい! いきなり起きると立ちくらみがするぞ。もう少し寝てろ」
「いえナイトメアじゃないんですから。では私はこれで――」
「よし出来た」
 グレイは聞いちゃいない。
 
 ん? 待てよ? グレイが、キッチンに?

 瞬間、ツーンと異臭が漂ってきた。
 これは間違いなく人体に有害な成分を含んでいる!
 立ち上る紫の煙に目が痛くなり、私は涙を拭く。
 だけどグレイは『何か』を器に盛りつけているところだった。
 逃げ場なく呆然とする私の方に来て、たいそう得意そうに、
「これを食べれば元気になる。特製材料で作った薬膳スープだ」
 紫という色合いだけで十分特製です。
 かくして私が元気になる可能性がゼロとなった。

 エリオットと再会したのは、ベッドから出られるようになってからだった。

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