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■彼と浮気と二回目の測量会

 彼の話をしよう。

 ろくな男じゃ無いことは確かだ。
 だってマフィアのボスだもの。
 いやそれ以前の問題というか。
 とにかく最低な男だった。
 
 異世界に来て、最初にお世話になった相手。
 最初に告白らしきものを受けた相手。

 最初に……関係を結んだ相手。

 それ以降もろくな間柄ではなかった。
 対等とは言いがたく、どうにでも出来る相手と、一貫して見下されていた。
 私をまともに扱わない最低男だった。

 ……だけど帰る。彼の所に。

 なぜ、私に重きを置いてくれる、ダイヤの国の彼ではないのか。
 やっと『再会』し、恋人にまでなれた時計屋でもなかったのか。

 私にも分からない。
 これといった理由はない気もする。
 確固たる理由がある気もする。

 戻れば温かく迎えられる気もする。
 戻ればタダではすまない気がする。

 ただ一つ。これだけは揺るがない。

 私は帰る時間を決めた。

 
 …………

 …………

「ナノ。聞いているか、ナノ」
「はいはい」
 次のページをめくり、『これは』と思う部分に遠慮無くラインを入れる。
 必要な箇所はビリッと破き、床に放る。
「それは大変に貴重な紅茶の書で、手に入れるのに相当な苦労を重ねたのだが」
 声がする。私を自分の膝の上に乗っけている主だ。
「はいはい」
 ふむふむ。CTC製法の化学的アプローチ。
 香り高い生産法の考察論文。いちおう全部チェックしておくか。ビリッ。
「……ナノ。聞いているのか?」
「はいはい」
 ビリっ!
「…………」

「何するんですか、ブラッド!!」

 気がつくとブラッドのソファに押し倒されている。
 床にはビリビリにした書物の切れ端が大量に落ち、無残なことになった
本が無造作に放られていた。ずいぶんな惨状。知識への冒とく。一体誰が!
「私のコレクションを、ずいぶんと大切に扱ってくれるじゃないか」
 こちらの服のボタンを外しながら、ブラッドが言う。
「いやだなあ。時間帯が経てば元通りになるじゃないですか」
 ちなみにその場合、床に放った切れ端も消える。
 早いとこノートに書き写さないと!
「だからといって、目の前で貴重な書物に傷をつけられるのは、耐えがたい」
 身体を押さえつけられながら、切れ端を取ろうとジタバタしていると。
 ……キスをされました。私は眉をひそめ、
「止めて下さい。ブラッド。本当に止めて下さい」
「だからするんだ」
 彼はそう言って、かすかな隙間から舌をねじ込む。
 生温いものが口内を満たし、息もつかせないほどに私の舌を弄ぶ。
「ん……ぅ……変態ですか、あなた」
 息継ぎの合間に抗議する。
 しかし私の服をはだけたブラッドは、胸を愛撫しながら笑う。
「それは君の方では無いか? 
 心に決めた相手がいる素振りをしながら、他の男に許すなど」
 反応し始めた箇所を指先で悪戯し、頬を紅潮させる私に言う。
「あ……えーと、その、いやそうなんですが、そういう問題じゃあ……」
「ならどういう問題だ?」
 私の上体を起こさせて、シャツを剥ぎ取る。
 足の間に膝を差し込み、荒く刺激をされると、どうしても反応をしてしまう。
 これはもう、あらゆる人たちの調教の成果としか。
「ん……」
「君は本当に×××だな。なぜ他の男を選ぶ。そいつは私とどこが違う。
 技術か。××××か。それとも××××××か」
「いえそのあの……んっ……心と身体は別と申しますか……」
「一言いいか、お嬢さん」
 私の頬を撫でながらブラッドは言う。いっそ無表情で。
「ダメです。絶対にダメです」
「君の今の言は、浮気性の男に代表されるそれだと思うが」
「……ブラッド。忘れましょう、今は……」
 ブラッドを抱きしめ、自分からキスをし、私は微笑むが、
「あいにくと私は、自分の女の浮気を許すほど懐が深くない。
 覚えておきなさい、ナノ」
 やはり、ごまかされてはくれなかった。
 下着に手をかけながらブラッドは酷薄に笑う。

 教訓。本は大切に扱いましょう。

 …………

「すみません。外に出たいのですが」
 手荷物一式や紅茶道具、紅茶葉を、泥棒のごとく風呂敷包みにして抱え、
私はニコニコと訴える。
 帽子屋屋敷の門を守る双子に。

「出すと思う? お姉さん」
 トゥイードル=ディーもニコニコ笑う。
「屋敷の紅茶が完成するまでは、出ないんでしょう?」
 トゥイードル=ダムも斧を構えながら笑う。
「つきあいきれません。面倒になりました。
 前言撤回し、外に出て家に帰ります」
「やれるものなら、やってみなよ、お姉さん」
「足を斬れば、もう逃げることも出来ないよね」
 ニコニコと、ギラギラ光る斧を向けてきます。
「やはり帰るのは止めました。しばらく無銭飲食します」
「そうそう。それが利口だよ、お姉さん」
「タダほど素晴らしいものはないよねえ」
 双子の嘲笑を背に、私はしくしく泣きながら屋敷に帰るのだった。

 …………

 そして夜の時間帯。
「ブラッド……勘弁して下さい……もう……」
 ベッドの中で息絶え絶えに訴える。
 しかしブラッドは汗ばんだ顔で笑い、また私の足を抱える。
 何度も何度も吐き出され、いい加減、感覚も麻痺しそうになった場所に
まだ熱い××があてがわれる。
 私はベッドに全裸で横たわり、荒く胸を上下させている。
「『奴』と比べてどうだ? 言いなさい。どっちが優れている?」
「そんなこと……出来る、わけ……」
 涙目で慈悲を請うが、
「なら君に教え込むまでだ。どちらがより優れているか――比べてみろ」
「ブラッド……あ……いや……ああっ……!」
 最奥に攻め入られ、雌の歓喜の声が響く。
 どこまでも浅ましく、罪深い自分の声が。

 …………

「やあナノ――」
「うああああぁっ!!」
 私の拳が、腹へめりこむ!!
「ぐはっ!」
 もんどり打って盛大に倒れる隻眼の車掌。私は車内で汗をぬぐい、
「あ、危なかった。もう少しで知らない場所に連れて行かれるところでした」
「いや、い、今の、明らかに、八つあた……」
 汽車の椅子に手をつき、どうにか起き上がる車掌。
「見知らぬ変な方。あなたの悪巧みには乗りません。
 私は帰る場所を決めたんです!」
「は、はは、元気になったね、ナノ。本当に思いだしたんだ」
 お腹をガードしつつ、隻眼の車掌は『でもね』と笑う。
「何ですぐ帰らないのさ。後始末なんて律儀なことをし出しちゃって。
 本当に想っているなら、今すぐ帰るべきだろう?」
 私は座席に座ると、なぜか持っていた駅弁を開ける。
 口でハシを挟み、パキンと割りながら、
「ダイヤの国に来て、最初の頃ならそうしてました。
 でも多少しがらみが出来ると、そうも行かないでしょう?」
 ノリ弁ウマー。卵焼きの甘みがもうね!

「本当は怖いんだろう? 決断するのが」

 車掌の顔が目の前にある。
 キスをされそうなほど近い。

「『する』ではなく、しました。決断したでしょう?」
「迷いがないのなら、なんで俺に会うかな?
 どうして理由をつけて帰るのを遅らせるんだい?」
 ……俵型のおにぎり美味ぇ。
「ふふ。俺にもまだチャンスはありそうだね。
 あ、ナノ。そのウインナー、いらないならいただくよ」
「え?」
 ヒョイパク。
「あ、あああああっ!!」
 私の……私のタコさんウインナーが!!
 蒼白になって目を見開く私に、片目の車掌さんはきょとんとして、
「え? 残してあるから嫌いなのかなって」
 しかし私は激怒した。当然である。
「バカバカバカ! 好きだから最後まで取っておいたに決まってる
でしょう!! ど外道!! バカ!! 変な服!! おかしな眼帯!!
 アホっぽいファッション!! その車掌服、どうかと思う!!」
「き、君、もしかして前々から、俺の服装が嫌いだった?」
 やや引きつり笑いを浮かべる車掌。でもすぐに、
「じゃあ、脱いで別の服を着てあげようか?」
 ピタッ。私が静止する。
 彼はニヤニヤと私を見、周囲に目をやる。
「ちょうど君以外に、お客さんもいないことだし……」
「セクハラ! セクハラセクハラ!! ネクタイ外さないで!!」
 お弁当のことを忘れ、慌てふためく私。
「そんな顔を見ると、もっとサービスしたくなっちゃうな」
「サービスの意味が違う! ボタンを外さないで下さい、セクハラ車掌!!」
 鎖骨が見える! ゲームが、違うゲームになる!!
「それじゃ、君も脱いでくれよ。何なら手伝おうか?」
「え? 何を……ジョー……っ!!」
 なぜか私の前で嬉々として服を脱ぐ変態と、慌てふためく私。
 悪夢は続くのだった……。

 …………

 そして別の汽車の中。 
「ひどい! ひどいんですよ、エース!! 
 野郎、セクハラとか、ウインナーとか!
 しかも走る列車内でだから、乗り物酔いを……」
「あははは! 言い方がいやらしいな、ナノ。
 それと、泣きながら俺の腹に、ドスドス正拳を入れ続けるの止めてくれない?」
 エースが私の手を押さえる。彼もまた車掌服だ。
 う……エースの奴。軽い力なのに、私の鉄の拳が動かない!
「正拳を入れないと襲われます。正当防衛的な?」
 私は低い低い声で言う。
 ていうか、ここはどこだ。 
 最近こんな夢を頻繁に見ていた気がする。
「それじゃ、ナノ。久しぶりに疲れた騎士を癒やしてくれよ」
「は? 何でそうなるんですか? それに今は騎士じゃないでしょう?」
 しかし逃げる間もなく座席部分に押し倒される。
 私は理不尽な思いで車掌服の騎士を見上げた。
「私、この世界の男の人たちの玩具じゃないんですが……」
 玩具といっても大人御用達の。
「えー。だって、仕事しすぎて疲れちゃったんだよ。
 ここにはユリウスもいないし、甘えさせてくれよ、な?」
「…………」
 ドキッとする。
 彼の言う『ユリウス』は私がずっと求め、待っていた相手だ。
 だけど私は、ついに彼に再会しなかった。そして別の人を選んだ。
 ――ん……? 
 かすかな違和感。何か忘れているような……。
「どうしたの? ナノ」
 私の服のボタンをプチプチ外しながらエース。
「いえ大事なことを忘れてるような……」
 あ、砂時計だ。
 そういえばずっと持っていた砂時計があった気がする。
 あれはどこで手に入れ、今、どこにあるのだろうか。
「君が記憶喪失になるのは、いつものことだろう? 
 一つや二つ、気にするなよ」
 シャツの前をはだけ、薄布越しに胸に口づけ、エースは笑う。
『いつものこと』なのか。
 そして襲われるのは確定事項か。泣きたい。
 エースは遠慮会釈無く、薄布の中に手を潜り込ませ、
「そうだナノ。帽子屋さんと上手くやりたいなら、いい加減に
その浮気癖を改めた方がいいぜ? 
 人恋しいのは分かるけど、君のそれはもう病気レベルだよ?」
「あなたがそれを言うか! そうお思いなら、会うたびに襲うのを
止めてくださいよっ!!」
 腕を突っ張って全力で抵抗する。
 しかしセクハラ車掌その2は楽しそうに、
「場所が変わると、やっぱり興奮するよなあ。
 特に公共の場所とかだと。君もそうだろう? ナノ」
 ガタンゴトンと揺れる汽車の中で、車掌に襲われるヒロイン。
 本っ当に別のゲームですなあ!
 エースは濡れた下着の隙間から指を差し入れ、容赦なく動かしながら、
「悦んでくれて嬉しいぜ、ナノ。次は痴○プレイで行ってみる?
 手すりにつかまって羞恥に耐える君を、俺が背後から――」
「ん……やだ……ぁ……」
 変態は、国が変わろうと夢だろうと現実だろうと、変態だった。

 わ、私のことじゃありませんからっ!!

 …………

 そして時間帯は過ぎていく。

 後始末をちゃんとする。そしてキッパリと家に帰る。
 これが私の決めたゲームのルールだ。

「ここのページの記述がこうで、ここがこうだから……」
「ナノ。ベッドの中で書物を読むのは止めてくれないか?」

「お嬢様。申し訳ありません〜。ミスで区画全部が枯れてしまいまして〜」
「発育が悪かったんだから、かまいません。
 もう一度最初から植え直しましょう。今度は土の品質を変えてみます」

「重症のカフェイン中毒症です。しばらくは紅茶をお取りになりませんよう」
「了解しました。テイスティング四百種終えたら、半時間帯ほど控えます」

 ……紅茶作りは遅々として進みません。


「お、おい、あんた。大丈夫か? その……ニンジンケーキ、食うか?」
 茶畑の帰りに、草原でぶっ倒れていたら、エリオットに声をかけられました。
 考えずに撃つ、ダイヤの国のエリオットに。
「ご安心を。胃の内容物を全て戻せば、正常値に戻る……かも」
「どこが安心なんだ! いいから立てよ!」
「はい……」
 と答えた物の、私は血の気の失せた表情で草を握りしめる。
 寒い。全身がブルブルし、滝のように汗が出る。
「分かった。歩かなくていい。おぶってやるから、ほら」
 エリオットがしゃがみ、私に背を見せてくれるが、
「いえ、下手をすると、あなたの背中が大変なことに……」
 逆流の必要性を訴える胃を押さえ、うめくと、
「……分かった」
「うう、すみません……」
 エリオットが両腕で私を抱えてくれた。
 そのまま大股で屋敷に向かう。風が髪に心地良い。
 しかし。う、ウサギ耳が……ウサギ耳が……!
「本当にバカだよな、おまえ」
 ドサクサに紛れてウサギ耳を触れぬかと悶えていると、エリオットが言った。
「だが、ブラッドへの忠誠心は認めてやる」
 ……なんですか、それは。
「ブラッドのために、こんな状態になってまで。大したもんだ」
 エリオットは少しだけ私に笑みを見せた。
 知らんうちに、エリオットの好感度が上がっていた!
「測量会で何かあったら俺に言えよ。ナンバー2の俺がシメてやる」
「そ、測量会……?」
「ああ。これからだ」

 …………
 
「測量会は……お休みさせて下さい……」
 帽子屋屋敷の一室。
 私はベッドに横になり、子ウサギのごとくブルブル震えながら言う。
 しかし私を見下ろすマフィアのボスは冷たく、
「車椅子を用意させろ。無理やりでも連れて行く」
 悪魔が。黒スーツに着替えた悪魔が言う。
「な、なあブラッド。やっぱり休ませたらどうだ?」
 ほんのちょこっとだけ、味方になってくれたエリオットが言う。しかし、
「弱っていた方が、いっそ都合がいい。
 ウロウロしないから見張りやすいし、逃亡も困難になる」
「え? ナノはもう逃げねえだろ?」
「昔の男に会えばどういう反応を示すか。
 この女はこう見えて、筋金入りの×××だからな」
「ああ、それはそうだな。あの時計屋に、色目を使ったくらいだからなあ」
 さっきと態度を反転させ、エリオットがうなずく。
 私を見る目には一転、浮気女を糾弾する冷ややかさがあった。
 どうでもいいですが、部屋には構成員の皆さんもおられる。
 彼らの前で、私の人間性がああだこうだと話さないでいただきたい。

 しかし、正直言って『ここの』ユリウスに会うのが死ぬほど気まずい。

『記憶を取り戻しました。別の国に帰ります。
 あなたとの関係は無かったことにして下さい。
 でも今は帽子屋屋敷にとどまって、ブラッドの女をしています。
 義理の息子さんとお幸せに。子育て頑張ってね☆』

 ……どの口が言うか。私なら絶対に相手を殴ってる。

 いやあ、でもユリウスがエースをねえ。
 何度思い出しても笑いがこみ上げる。
 どうなってるんだ、あの二人は。謎だらけだ。

 それはともかく、エースに始末されかけたことは記憶に新しい。
 そういった意味でも、会う気になれない。

「お嬢様。車椅子をお持ちしました〜。起き上がれますか〜?」
 返答するより早くメイドさんが、私を抱き起こしてくれる。
 ううう。全て戻して空っぽの胃が、なおも逆流しそうに。
「お姉さん、顔色がヤバイよ、土気色だよ、ボス?」
「会場に行く途中で動かなくなったら、切り刻んで埋める?」
 トラブル大好き双子がニヤニヤ笑う。
「ボス。ナノ様は、出来ればお屋敷で安静された方が……」
 私を看てくれた医師の顔なしさんも、おずおずと言ってくれるが、
「行くぞ」
 車椅子が押される。く、苦しい!!
 カフェイン中毒で苦しんでいるのに、身体が紅茶を求める。
「紅茶。こここ紅茶……」
 小刻みに震える手で、テーブルの上の紅茶を取ろうとした。
 しかしテーブルは遠い。

『…………』

 部屋中の人間の、哀れみの眼差しが痛かった。

 …………

 二度目の測量会の会場は……ザワザワしておりました。
 通常のざわめきではなく、別のざわめきで。
「ダージリンを。ブレンドは任せた」
「はあ……」
 私は椅子から何とか立ち上がり、生まれたての子鹿のように歩く。
 そして紅茶セットの置かれた、近くの移動テーブルに手をつく。
 明らかに怪しげな挙動と顔色の私は、会場中の視線を集めている。
 けど、私の頭の中は紅茶のブレンドデータでいっぱいだ。
 紅茶を手早く淹れていると、背後から、
「なあブラッド。あれでまともな紅茶を淹れられるのか?」
 おうように腕組みし、エリオットがブラッドに聞く。
「今はどんな状態でも美味い紅茶を淹れるからな。 
 体調が崩れたなら崩れたで、味の変化が生まれる。
 モタモタせずに淹れろ、ナノ」
「は、はい……」
 私は真っ青な顔で答える。
 ――あ、あれ……?
 私、ブラッドの奴隷っぽくないですか?
 記憶を取り戻して関係を一新できたと思ったのに。
 考えてみると結局屋敷を自由に出られてないし、好きなときに抱かれて、
紅茶を淹れさせられて……。

 ……対等になったと思っているのは私だけで、実は全然変わってなくない?

「離せジェリコっ!! もう我慢の限界だ!!」

 声が聞こえた。聞き慣れているけど聞き慣れない声が。
 真っ青を通り越して真っ白な顔で振り向くと、
「落ち着け、ユリウス! 会場のど真ん中で争いなんかやらかしたら、
どんなペナルティが下るか……!」
「そうだよー、ユリウス。余所者さん、すっごく浮気者だったみたいだし、
もうユリウスが構う価値なんか無いって」
 墓守領の席である。

 そこで……いちおう現時点では正当な私の恋人のはずのユリウスが、
激昂し、こちらに来ようとしている。
 それを羽交い締めにして、必死に説得するジェリコさん。
 対照的に、椅子の背に頬杖ついて、呑気に構えるエース。
 ……帽子屋屋敷に侵入してくれたエースと、本当に同一人物なのだろうか。
 ここのエースは気の変わりやすい子供。
 まして、ユリウスの存在が絶大なのは当然。
 とは知っていても、この態度の激変ぶりには涙が出てくる。
 
 とか何とか状況を把握しているうちに、紅茶が出来た。
 ティーポットを傾けると、ティーストレーナーに鮮やかな橙の紅茶が
吸い込まれていく。色、香りともに今のところ問題なし。
 しかしティーカップを持つ手はおぼつかない。
 紅茶が波打ち、今にもカップの壁を乗り越えそうだ。
「一流の紅茶職人なら、もっと背筋を伸ばせ」
 ブラッドがスッと私からカップを奪い、優雅に飲む。
 私は重荷が失せた反動で後ろに倒れ込み、
「しっかりしろよ、あんた」
 エリオットに支えられ、椅子に戻された。
 どうにかブラッドに視線を移すと、満足そうに紅茶を飲んでいる。
 味は合格らしい。
 そして私は視線をユリウスに――。
『必ず助けてやるからな』
 ……ユリウスの目がそう言っていた。嬉しいけど申し訳ない。
 絶対に、私が帽子屋屋敷で苛められてると、勘違いしている。
 いや確かにそうなんだけど。
 あと私が記憶を取り戻したことは……知らないな、あれは。
 事情を説明し、お別れ出来る時が来るのだろうか。
 ジェリコさんも心配そう。子供のエースは……冷ややかだ。
 私たちの間の友情はもう戻らないのか。しくしく。
 落ち込んでいると、周囲の声が耳に入る。

「駅長さん、駅長さん。あれが『修羅場』って奴だよ。
 余所者が時計屋さんと帽子屋さんを天秤にかけ、弄んでいるんだ」
 明らかに誤解を生む知識を、お色気猫が吹き込んでいた。
 ……国が変わっても彼は変わらないなあ。
 クローバーの彼と同一人物なのか、迷いそうになった。
「そんな良い女なら、遊ばれてみてえもんだな」
 ……逆に変わり果てた男が一人。いや変わり果てる前の姿というか。
 私の視線に気がつくと、手を振ってニヒルに笑う。
 今はスーツ姿だが、それでも隠せない遊び人オーラ。
 かつて私に真摯な告白をして下さった、補佐官殿の面影(?)は無い。
 いったい、あなたに何があった。グレイ=リングマーク。
 ついでに子猫のごとく可愛いチビメア。
「補佐官? チ、チビメア?」
 あ。小さくても思考が読めるんだ。可愛いなあ。
「……っ! ね、狙われてる。私が美少年だから……!」
 可愛くないことをほざき、ミニメアはグレイの陰に隠れたのだった。
 
「まあ、楽しそうですわ。どういった修羅場ですの?」
「陛下。みっともないから、ジロジロ見ないで下さい」
 ……事の元凶だというのに、罪悪感のカケラもないダイヤの主従。
 女王ってのは、どこの国に行ってもどうしてこう、面倒な存在なのか。
 
 こうして二回目の測量会が始まった。

「あ。もうダメです。吐――」
「ナノーっ!! 持ちこたえろ! 医務室はどこだーっ!!」
 エリオットにお姫様抱っこされ、衆目の中、医務室にダッシュされたのであった……。

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